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第10章 俺の決意と決断 3
「あと、こちらを」
渡されたのは巾着だった。中に金貨が入っている。
「仕事が見つかるまでのつなぎの金です」
「ありがとう。王さま、けっこう話のわかるいい人だなぁ。金まで用意してくれるなんて驚いた。さすがアルフィーの父親だ」
俺の軽口にカイトは眉尻を歪めた。
そこに扉がノックされ、ジュリアは入ってきた。
「シン……」
目が潤んでいる。
「ごめん、ジュリア。俺、悪いことばっかりやって」
ふるふると激しくかぶりをする。その拍子で大きな目から涙がこぼれて散った。
「父上から聞いた。シンは、悪くない。シンはアルフィーのためにと思ったのでしょ?」
「ああ」
「決めるのはアルフィーだから、ぼく、どんな結果になっても我慢するよ」
「すまない」
「いいんだって。ぼくに話したことを父上にまで言うってことは、それがシンの真実だから。でもアルフィーが残るって言ったら、シンはもうここには戻ってこられない。それが――」
ふえって崩れて、泣き出してしまった。慌てて抱きしめて背中をさする。
「また会える。っていうか、ジュリアが王様になったら、恩赦を出してくれたらいいんだろ?」
「あ、そっか」
「その間、諸国を巡って、いろんな知識を身につけて、ジュリアの役に立つように頑張るから」
「……うん」
「互いに頑張ろう」
うんうん、とうなずくジュリアを強く抱きしめ、立ち上がる。カイトが心配そうに俺を見ているのは、さっき言った時間のことだろう。城から出たことのない俺が、繁華街まで行って取り急ぎの宿を取るってことが心配なんだと思う。
「じゃあ」
「シン、気をつけて!」
手を上げ、応じてカイトについて歩き始める。
ここに戻ることはないかもしれない。いや、ないだろう。
国王と話している時は必死だったけど、冷静になってみたら、あの責任感の強いアルフィーが責務を投げ捨てて俺を選ぶはずがない。
あー、俺の独りよがりな一人相撲だったってことかな。
長い廊下を歩き続け、ようやく建物から出た。カイトが深く頭を下げているのを見て、今度は城壁に向かって進む。
俺、こんな知らない世界で一人生きていけるのかな?
いやいや、夢占いをして金を稼いで、諸国漫遊ってのもいいだろう。少なくても六菱商事で働いている時より気も楽で幸せなはずだ。脱サラしたと思えばいいだけのこと。
心にかかるのは、知らない世界だってことだけだ。やることは一緒なんだから、きっとなんとかなるなるっ。
城から王都の繁華街に通じる道を進む。林の中を歩いているうちに太陽は落ちかけていた。世界がオレンジに染まりながらも、東側には帳が降り始めている。片方は青く暗く、もう片側は橙に染まった明るい世界。
俺は呑気にも、自然って綺麗だなぁ、なんて思いながら歩いていた。
「ひぃ、疲れた」
王都についた時には真っ暗で、なんとか宿屋で一室確保することに成功した。この世界に来てひと月は経っているが、城から出たことがなかったから、少々怖じ気ながらの道中だ。とはいえ、道は一本道だし、そもそも王都は城を中心にして放射線状に伸びているから道を間違って、ってことはない。
共有の湯殿で汗を流し、一階の食堂で景気づけの麦酒と肉料理をたらふく食って部屋に戻ってきたところだ。
カイトは指示通り従っただけと言ったが、渡されたサンドバック型の鞄の中は上下着替え用が一着と下着が三枚入っていた。これ、どう考えても悪いことをして城から放逐された者への対応じゃないだろ。しかも金も。
ベッドにダイブしたら、強烈な眠気が。今まで最高級のベッドで寝ていたから、背中は痛いし掛け布団は薄っぺらいしで、寝にくかったものの、今の俺には関係ない。一瞬で意識は飛んでしまった。
次に気がついた時には、太陽がけっこう上のほうにきた頃だった。めちゃくちゃ寝てたようだ。
「おはようございます。寝過ごしちゃったんだけど、なんか食い物ありますか?」
食堂で机を拭いている若い女の子に声をかけると後ろから返事がきた。
「もちろんあるけど、残り物でいいなら安くしてあげるよ」
太ったオバサンでこの宿屋の女主人らしい。娘となら物騒じゃね?と思ったものの、隣の万屋が旦那の店だそうで、旅に必要な品を売っているということだった。そっちは息子がメインに手伝っているそうだ。
給仕が楽なようにキッチンに近いテーブルにつくと、なかなかボリュームのある食事が並べられた。パンに、山盛りのサラダとポテトフライ、目玉焼きと厚切りベーコン。ここまではわかるんだけど、明らかに昨日の残りって感じのビーフシチューが大皿に盛られてドンと置かれた。具材は肉とジャガイモと人参と玉ねぎで、こんなにジャガイモばっかり食えねぇって感じだ。
それでも安くしてくれるそうだから、黙々と口に運んだ。城での洗練された食事とは正反対の素朴な味だが庶民の俺にはこれくらいがちょうどいい。
食いながら、これからどうしようかって考えるものの、案が浮かんでくることはない。
アルフィーが追いかけてきたら遠くに行っていたらなぁ、このあたりでしばらく過ごしていたほうがいいかなぁ、とか思い、自分の本心と愚かさにはっとなる。
来るわけないだろ、あいつは誰よりも責任感が強く、国王の息子としての責務を果たさねばならないことを理解している。
……俺、なんであんなこと国王に言ったんだろう。あんなことしなければ、今頃城で夢占いをして、幸せタイムを謳歌しているはずだったのに。
「……はあ」
「不景気ねぇ」
声をかけられて我に返り、顔を上げるとテーブルを拭いていた若い娘がグラスに水を注いでくれていた。この子、なかなか可愛いんだ。オバサンはずいぶんでぶっちょでシミだらけの顔をしているんだけど。
「ありがとう」
「ため息の数だけ幸せは逃げていくのよ」
「俺の国でも同じ考え方だよ、ソレ」
「どこから来たの?」
「遠いトコから」
「へぇ。いいわね、旅って」
〝旅〟という言葉にドキンと心臓が跳ねた。
「私も旅に出たいって思うわ。ずっと親を手伝ってこの宿屋の面倒見て、いずれ継ぐのかなって思うとため息出る」
「そっか」
「元気出してね」
「ありがとう」
女の子がキッチンに戻っていき、俺も注いでもらった水を飲むと部屋に戻った。と同時に扉がノックされる。
「はい」
さっきのオバサンだ。
「洗濯終わったよ。ほら」
「あ、ありがとう」
服をもらって鞄に詰める。それから肩に担いだ。
一瞬、数日ここに滞在しようかとも思ったが、やめた。来るはずがないんだ。未練たらしいだろ。
これからどうするかの案はないけど、ジュリアと約束した通り、いつかジュリアが恩赦を出してくれたら、その時に彼らの役立てるように、情報収集と人脈作りをしておかないとなって思う。
宿代を精算し、外に出る。昼間の王都は活気づいていて景気のいい声が飛び交っている。石畳の街道に馬車や荷車が発する車輪の転ぶ音がなんとも風流だ。十七世紀ヨーロッパって感じだな。
あ、でも、十七世紀くらいだったら銃なんかの飛び道具も発達しているのだろうか。城では見なかったな。衛兵も槍や剣は携帯していたが、銃らしきものは所持していなかったように思う。
そのあたりの文化構造も調べてみよう。
「おい」
と後ろから声が聞こえ、肩を掴まれた。
「兄ちゃん、ちょっと待ちな」
なに、チンピラに絡まれてる? 俺。
数名の目つきの悪そうな男たちがいる。十代後半くらいから四十くらいまで、かな。六人、か。
「さっきの宿でマールに色目使っていただろ」
「色目? いや、普通に話をしていただけだけど。マールっていうの、あの子」
「口説いていたじゃねぇの」
「客に給仕していただけだろ? つか、会話しただけで絡んでいたら、悪評立って営業妨害じゃねぇの?」
俺の肩を掴んでいる体格のいい男は眉尻を上げた。
「あの娘はここらで人気者なんだ。それを口説くってのはいただけねぇな。反省して金目の物を置いていけば痛い目だけは勘弁してやる」
あ、そっち。アイドル親衛隊かなにかかと思った。
それにしてもすげぇわかりやすいカツアゲ理由だよな。ビックリした。
とはいえ、体格のいいのが六人か。どうしたもんかな。こいつら、魔剣で斬れるのかな? いや、さすがに人間を斬るのは勇気がない。
「それは困るんだけど。旅ができなくなる」
王家の存在をちらつかせて怯んだところを逃げるか。
そう思った時だった。
「それは私の連れだ。絡まないでもらおうか」
この声――
「なんだ、てめぇ」
フードで顔を隠しているが、間違いなくアルフィーだ。
そんな――でも――
「だから言っただろ、こいつの連れだ。相棒って言ったらいいか。とにかくその手を離せ。こいつに触れられるのは私だけだ。従わなければ叩きのめす」
まっ、またっ、なんつーことをっ!
「クソ生意気な野郎だっ、やっちまえ!」
掛け声に、うっすら見えていた口元がきれいな半月を描いた。笑ってやがる。
「面白い。旅の始まりにちょうどいい」
バッと腕を振り上げてマントを弾くと、飛び掛かってくる男に向けて見事にストレートを決めた。が、それだけじゃない。角度を変えて肘鉄。ボクシングじゃ思いっきり反則技だが男は見事に吹っ飛んで動かなくなった。気絶したかな。
「この野郎!」
フードが弾けて顔があらわになると、嬉々としたアルフィーの、整った顔があった。
アルフィー……俺を追いかけてきたのか。俺との十年を選んでくれたのか。
「シン! ボヤッとしていないで一人くらい引き受けろ。お前のトラブルだろうが」
「わかってるよ!」
反射的に怒鳴り、肩を掴んでいる男にタックルを食らわせる。俺は二対一、アルフィーは三対一で乱闘が始まった。
けど、俺ですらつまらないと思うほどあっけなく終わってしまった。終わりかけのところで警備兵が集まってきたからだ。男たちが慌てふためいて逃げていく。叩けばいろいろ出てくる連中だろうから、ここで捕まりたくはないだろう。
で、俺たちは……面倒なことになったかな、と思いきや、アルフィーが服の中から印籠のようなものを見せると、兵士たちの顔色が変わった。そして全員が背筋を伸ばして敬礼する。
どうやら身分を示すものだったらしい。葵の御紋的な物なのだろう。
「行くぞ、シン」
「あ、ああ」
歩き始めたアルフィーを慌てて追いかける。
「あの、アルフィー」
「今日からアルと呼べ。珍しい名ではないが、間もなく第二王子が国王の機嫌を損ねて諸国漫遊の旅に出たと広がるだろう。その時、似た年の男が二人で、片方の者が王子と同じ名だと面倒だからな」
いやそれ、前出と後出の辻褄合ってないから。
「ええ、ああ、まぁ、そうだけど。でも」
「なんだ、お前が父王に進言してくれたんじゃないか。未熟者だから、十年、人間成長のために放逐しろって」
そんなこと言ってません。
「正確には九年だ。ジュリアが成人するまでの間、世界を巡って情報を集め、己の知識として蓄えてこいと言われた。もちろんお前もだ」
「………………」
「どうした、不服か?」
「いや。……まさか」
「どっちの〝まさか〟だ?」
アルフィーがにやりと嫌味っぽく微笑む。余裕の、上から目線の。でも、それが、うれしい。
「まさか不服なわけがないだろうって意味だよ」
「なんだ、まさかアルフィーが俺を選んでくれたとは、じゃないのか。ガッカリだ」
いちいちうっせーよ。
「シン、感謝している。私にとってはかけがえのない九年になるだろう。それを与えてくれたお前に心から礼を言う。本当にありがとう」
旅支度、いたせりつくせりだったのは、こうなることがわかっていたからか。やっぱり国王、慧眼で、人間のできた人なんだ。
「シン?」
「いや、こっちこそ。あ、そうだ、お前さ、前にこの国で私の顔を知らない者はいないって言っていただろ。大丈夫なのかよ」
俺の問いに優美に微笑む。
「確かに幻獣に言った。その通りだ。が、それは正装して澄ました顔をしている肖像画の話だ。こんな姿をした私を見て正体に気づく者なんていないだろうさ」
なるほど。
「シン、これからよろしく頼む」
「ああ」
俺はアルフィーが差し出した手をガッチリと握った。俺たちの自由奔放な旅の幕開けだった。
が。
この旅が俺の不幸の始まりだってことは、また違う機会にレポートしたい――
完
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