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1.再会

   イディオルヌ・ヌウォドは魔具作成を生業としていた。魔具とは魔術を封じた道具で、彼の場合は治癒の魔具を専門に取り扱っている。自宅の工房で作業に集中していたイディオルヌは呼び鈴の音に顔を上げた。  予定外の来客は召集令状の配達人だった。大陸を二分する戦争の火蓋が切られて早四年。戦況は未だ落ち着きを見せず、いずれの陣営も消耗が激しい。イディオルヌが受取証にサインすると、配達人は次の犠牲者のもとへと向かっていった。  徴兵検査から一ヶ月の新兵訓練を経て、西側の国境に近い基地に送られる。到着するなり大尉から呼び出されたイディオルヌは部隊の中で噂の的にされていた。 「大尉殿はああいうのが好みだったのか」  兵舎に集まった男たちは品のない冗談で笑った。イディオルヌを呼び出したウォーレスリント大尉は子爵の三男らしい長身の男前。清廉潔白な人柄と偉ぶらない態度で兵士から人気が高い。そっち方面で羽目を外すこともなく、堅物の愛妻家として知られていた。イディオルヌは線が細く、どこかミステリアスな雰囲気を纏った美形。二人の組み合わせは想像を掻き立てるものがあった。  大尉の部屋を辞したイディオルヌは、自分に向けられた好奇の目を無視して建物の外に出た。まだ用途を知らないいくつかの建物を横切って兵舎に向かう。煉瓦作りの建築は飾り気がなく倉庫のように素っ気無い。停めてある車も無骨なデザインの軍用車両ばかり。目に映るもの全てが実用性だけを考えて作られていた。人間ですら研磨されて、軍隊という機械を動かす部品に仕立てられている。青空を旋回する見慣れない鳥だけが自由だった。  兵舎に戻ると同じ班の者に囲まれて質問攻めにされた。 「大尉とは幼馴染だ。八年振りだから向こうも懐かしくなって声をかけてきただけだ」  イディオルヌは煩わしそうに皆から距離を取った。新参者の生意気な態度を咎める者はいなかった。イディオルヌの機嫌を損ねるのは上手くない。これから始まる行軍では衛生官である彼の治癒魔術が命綱となるのだ。こいつはこういう奴、役目さえきちんと果たしてくれればいい。皆はそう思うことにした。それにもし大尉に告げ口でもされたら、それこそ面倒だ。大尉は依怙贔屓するような人間ではないが、さすがに部屋に呼ぶほど親しい幼馴染がボコボコにされたら心証を悪くするだろう。    夕飯後の自由時間を狙って、フェルヴァーレイ・ボーツセントゥはイディオルヌを物陰に引き込んだ。彼も治癒魔術の使い手で、イディオルヌと同じ部隊の衛生官。治癒の魔術は自分自身にかけることができないため、衛生官は二人一組が基本だった。 「なんの真似だ」 「そうかりかりするなよ。大尉とは本当にただの幼馴染?」  溜息を吐いて顔を背けるイディオルヌに、フェルヴァーレイは続けた。 「ヌウォドって有名な医者がいたのを思い出したんだ。生きてりゃ結構な年の爺さんだ。あんたの親戚か?」 「……父の伯父にあたる」  ヌウォド家は治癒士一族だ。だが名を上げたのはその伯父だけであとは一介の治癒士だし、伯父も含めて皆他界してしまっている。今のヌウォド家にはイディオルヌと病気の妹しかいない。イディオルヌは医院を継がずに低価格帯の魔具作成で細々と生計を立てている。子爵家や大尉に働きかけられるような社会的地位や後ろ盾はない。フェルヴァーレイが考えるようなズルができる力はないのだ。そもそも大尉と道ならぬ関係だとしたらおおっぴらな呼び出しがおかしい。そう説明されたフェルヴァーレイは一応納得したようだった。 「じゃあ俺と遊んでも問題ないわけだ」  距離を詰めようとするフェルヴァーレイをイディオルヌが掌で制する。固い感触に違和感を覚えたフェルヴァーレイは、胸に押し付けられた防御の魔具を見付けた。 「さっき大尉から貰ったんだ。やるよ」 「でもこれ……いいのか!?」  フェルヴァーレイは目を丸くした。小さな正八面体のそれは、身に着けた者を物理ダメージから守ってくれる。素材と表面に施された術法図の精緻さから、官給品よりずっと上等な代物であることがわかった。おそらく大尉が個人的に購入したものだろう。新米には不釣り合いな高級品。なんだ、やっぱり贔屓されてるんじゃないか。という言葉は呑み込んだ。前線に近い地域に派遣される身としては、こんなに心強いものはない。治癒士同士、持ちつ持たれつだ。フェルヴァーレイは有り難く頂戴しておくことにした。    仕事に区切りがついたキンダリオ・ウォーレスリント大尉は、椅子から立ち上がって窓の外を眺めた。活動する兵士たちの中から、つい幼馴染の姿を探してしまう。優しく揺れる鉛色の髪。澄んだ緑色の瞳。彼の美しい姿は相変わらずキンダリオの心を掻き乱す。明後日には基地を出発してしまうイディオルヌとの短いお茶会を回想した。 「ヌウォド二等衛生官であります」  部下に案内されて部屋に通されたイディオルヌは、真っ直ぐ前を見て姿勢を正した。らしくない軍人口調と再会の喜びにキンダリオは顔を綻ばせる。 「やあイディオルヌ。久し振りだ。会えてうれしいよ。そう畏まらないで。上官じゃなく友人として君を招いたんだ。楽にしてくれ」  部下が退室するのを待って、イディオルヌは勧められた応接セットのソファーに遠慮がちに腰を下ろした。 「フィンデリカは病気だって聞いたよ。あんなに活発だった子が可哀想に。容態はどうなの?」  イディオルヌの妹フィンデリカは数年前に倒れ、兄の出征で療養施設に移されるまで自宅で床に臥せっていた。治癒魔術でできるのは怪我の治療が主で、病気は薬で治す。どちらも限界があり万能ではない。フィンデリカもトイレと食事以外は殆ど寝て過ごしている。人生を一番謳歌しているはずの十代をベッドで過ごすのはなんという悲劇だろうか。 「私に出来る事ならなんでも言ってほしい。君の……君たちのためなら援助は惜しまないつもりだ」 「ありがとう。でも大丈夫。贅沢はできないけど困ってもいない。二人だけでやっていけてる」  彼は昔から多くを望まなかった。子供の頃から控えめで、人見知りもあって、慣れるまではなかなか名前も呼んでもらえなかった。キンダリオは今でもはっきり覚えている、イディオルヌと初めて出会った日。  祖父が世話になった高名な治癒士の紹介で、同地区に医院を構える治癒士が屋敷に呼ばれた。治療を受けた父の侍従の腰痛はみるみる回復した。治癒士の仕事を初めて目の当たりにしたキンダリオは甚く興味を惹かれ、我儘を言って医院に連れて行ってもらう約束をした。そして訪れたヌウォド治癒院で不治の病にかかってしまう。  初恋だった。治癒術の説明もそっちのけで、イディオルヌばかりが気にかかる。治癒院に足繫く通い、ときには屋敷に招き、一ヶ月が経つ頃にはすっかり仲良しの二人になった。屋敷の庭の一角に隠れて、こっそりとっておいたお茶会のお菓子を二人で食べる。世界に自分とイディオルヌとしかいないみたいで、大好きな時間だった。イディオルヌの可憐な見た目も好きだったが、それ以上に人柄に惹かれている。 「これ、格好いいね。本当に走ってるみたい」  躍動感のある獅子の置物。靡く鬣が風を感じさせる。小さいけれど細部もよく出来ていて、キンダリオも時折手に取ってじっくり眺めることがあった。 「欲しいの? イディにだったらあげてもいいよ」 「リオも気に入ってるのに、どうしてそんなこと言うの?」 「だって、格好いいって」 「リオは僕の目を褒めてくれるけど、欲しいからじゃないでしょ? 僕もだよ」  今まで出会った人々、特に平民や裕福でない者の視線に含まれる得体の知れない恐ろし気な感情。その中の一つがイディオルヌにもある。イディオルヌもそういう人間の内の一人。どこか無意識にそう思っていたキンダリオは友情を汚した自分を恥じた。その日の夜、母親に向かって宣言した。 「お母さま、僕は大人になったらイディオルヌと結婚します」 「まあ、あの子のことが大好きなのね」 「はい!」  母はただ目を細めて頷いてくれた。キンダリオが三男だから。六歳と五歳の子供の可愛らしい戯れだから。 「イディオルヌ、なぜ徴兵に応じたの?」  介護が必要な家族と二人暮らしは免除の理由になり得る。再会できたのは嬉しいが、やはり前線に近い危険な所に彼がいるのは心配だ。 「それは……みんなと同じだよ。国の役に立とうと思って」  イディオルヌは出されていたお茶を口に含んだ。キンダリオは彼の隣に移動して、カップに視線を落とす彼に手を出すよう言った。不思議そうな顔をしながらも言いなりになる様子が昔と変わらなくて、キンダリオは懐かしさに胸が締め付けられた。差し出された右手に防御魔具を握らせる。驚いたイディオルヌが返そうとするが、その手を魔具ごと両手で包み込んだ。子供の頃もこうして無理やりプレゼントを受け取らせたものだ。 「頼むよイディ。これくらいはさせてくれ。フィンデリカのためにも、君を危険な目に合わせるわけにいかない」  見つめ合っていた視線を逸らし、イディオルヌは呟くようにお礼を言った。右手が解放される代わりに、今度は背中に腕を回されて驚く。あまり肉付きの良くない身体は、逞しく成長した幼馴染に簡単に抱きすくめられた。制服越しに鼓動が伝わる。  キンダリオは親が見繕った女性と結婚し、今では子が一人居る。開戦から家族とは顔を合わせていない。他の男たちが金で快楽を買う環境で、彼だけは遊びに耽らなかった。次に愛する人の前に立ったとき、恥じ入る部分など無く胸を張っていられるように。 「イディはちっとも変わらない」 「大人になったよ。君もだろう? リオ」  少し緩んだ腕をイディオルヌはすり抜けていってしまった。

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