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7.夢の中で

   フェルヴァーレイはしんと静まり返るヌウォド治癒院を見上げた。イディオルヌとは終戦後に送られた基地で別れたきりだ。すぐ家に帰ると言ったのに、彼は野戦病院に行ってしまった。いったい今どこでどうしているのか。今日は親戚に会うついでに足を延ばしてみたのだが無駄足だったようだ。何度扉を叩いても応答がない。ここまで来てただ帰るのも惜しい気がして、さてどうしたものかと考え込んだ。 「フェルヴァーレイ・ボーツセントゥ。ここで何をしている」 「うっ、た、大尉……!?」  まさかの邂逅に動揺したフェルヴァーレイは、反射的に敬礼を取りかけてすぐさま崩した。除隊して今は民間人だ。キンダリオ・ウォーレスリント大尉はもう上官ではない。おそらく恋敵。個人的に面識のない一介の衛生官の顔とフルネームを記憶しているあたり、向こうもそういう認識なのだろう。敵意剥き出しで睨んでくる。 「恋人に会いに来たんです」 「振られたらしいな。さっさと消えろ」  キンダリオは虚言を鼻で笑ってその場を立ち去った。人格者の評判に似つかわしくない、人を見下した態度だった。フェルヴァーレイは苛立ちを堪えた。自分が喧嘩を挑んだところで、体格に優れ武道に精通した大尉に勝てる気がしない。  消えろといいつつ先に立ち去った大尉が気になって、そっちのほうへ行ってみた。すると建物の裏手で、通用口らしきドアを叩いて中に呼び掛けているのを見付けた。必死の形相で、放っておいたらドアを破壊しそうな勢いだ。 「イディオルヌ! いるんだろう開けてくれ!」 「大尉、ちょっと落ち着きましょう。留守なんですよ」 「フィンデリカが退院したんだ、留守な訳がない!!」  キンダリオはフィンデリカが退院したら知らせるよう手配していた。もちろんイディオルヌが野戦病院を去ったのも把握している。今日はおよそ五年振りに再会した家族とのひと時を放り出してイディオルヌに会いに来たのだった。 「ちょっ、大尉、会いたくないだけかも知れないし」 「うるさい!!」  キンダリオは宥めようとするフェルヴァーレイを拳で黙らせた。さっきから悪い予感がしてならない。こんなことは初めてだった。間違いだったらそれでいい。とにかくイディオルヌの顔を見なければならない。衝動のままドアを破った。十五年振りの廊下を駆け抜けて、迷いもなく二階の一室に突入する。そこには静かにベッドに横たわるフィンデリカと、縋り付くように座りこむイディオルヌがいた。サイドテーブルにはワインと、空になったなんらかの薬の小瓶が置いてあった。 「イディ……イディ!! ああ、なんでこんな……」  抱きかかえたイディオルヌには辛うじてまだ息があった。そうっと床に寝かせて部屋を飛び出す。ふらふらと階段を上るフェルヴァーレイを捕まえて、イディオルヌのもとまで引き摺った。 「毒を飲んだらしい。治せ。絶対に死なせるな!」  意識のないイディオルヌを見て、フェルヴァーレイは殴られたときより強い衝撃を受けた。毒による症状に治癒術がどこまで有効か分からない。それでも懸命に治療を施す。その間にキンダリオは辻馬車を拾って、イディオルヌは病院へと運び込まれた。  翌日の早朝にイディオルヌは目覚めた。窓の外で小鳥がさえずっている。まだ薄暗い室内で、傍らには幼馴染が椅子に腰掛けていた。組んでいた腕がぴくりと動き、俯いていた顔が上がる。 「イディ、気が付いたんだね。痛みはある?」 「フィンデリカは……」  キンダリオはぐっと体を強張らせた。フィンデリカは部屋に踏み込んだ時点で手遅れだった。明るくて生き生きした彼女しか知らなかったキンダリオは、久し振りに見たフィンデリカの変わり果てた姿に胸を痛めた。痩せこけて、肌も髪もぱさついて。あの家で笑い声を響かせていた可愛らしい少女。イディオルヌに残された最後の肉親。今の彼に伝えるべきではない。眠っていると告げると、しかしこう訊かれた。 「どんな死に顔だった? 目が霞んでよく見えなかったんだ。苦しそうだった?」 「……いや、安らかだった」  イディオルヌはよかったと呟いて、弱々しく息を吐いた。 「置いていかないって言ったのに、どうしてこうなったのかな……どうして僕はいつも一人になるんだろう。大切な人はいつもいなくなる。僕だけ残して、みんな……」 「一人じゃない、イディ、僕がいる! 一人じゃない!」  キンダリオは泣き崩れるイディオルヌが落ち着くまで抱き寄せた。その後二日間病室に泊まり込んで、幼馴染のために短い休暇を全日使い切った。家庭を壊すのを喜ばないイディオルヌのために、キンダリオは友人として彼を見守ることにした。今後は友情を大義名分に、影から日向から幼馴染を支えていく。 「イディ、僕たちは離れていてもいつも一緒だ。どんな道を進んでも僕らの絆は永遠に途切れない。僕が支える、いつでも駆け付ける、いつでも君を思ってる」  心を君に捧げる――最後にそう言い残してキンダリオは基地へと戻った。  キンダリオがいる間もイディオルヌを見舞っていたフェルヴァーレイは、大尉の後を引き継いでイディオルヌを一人にしなかった。応急処置が功を奏したため身体へのダメージはそれほど大きくなく、イディオルヌは五日間の入院で済んだ。フェルヴァーレイは退院に付き添い、自宅ではなくとあるアパートに連れて行った。 「大尉から聞いたんだ。あの家で両親も亡くしてるんだろ? ちょっと悲しい思い出が多過ぎるから、これを機に引っ越そう。ここは仮の拠点だ。家具付き物件が見つかってよかったよ。新しい家が見つかったら俺は治癒院を開業する。一角を工房にするからイディは魔具を作るといい」  相変わらずの強引さ唐突さにイディオルヌは唖然としたが、反対はしなかった。イディオルヌは思考を放棄したかった。考えてもどうせ間違う。最善と思った手段が最悪の結果を招く。だからフェルヴァーレイはちょうどいい。こっちの都合なんて尋ねないで勝手に決めてくれる。  彼との生活は悪くなかった。昼間は働き、夜は同じベッドで眠る。人に愛される幸福を知って、ハイヴェルインの苦悩がより一層身に迫る。妹にも愛される喜びを知ってほしかった。きっと彼女を絶望から救う手立てになったはずだ。何度後悔してもし足りない。 「自分がされたいようにしゃぶって」  イディオルヌは目の前に差し出されたフェルヴァーレイの指を咥えた。唇を窄めて吸い付く様子をじっと見詰められて、まだ淫らになりきれないイディオルヌは羞恥で頬を染めた。  フェルヴァーレイがイディオルヌを恥ずかしがらせるのは、決まってキンダリオが訪ねてきた日だ。今日も昼間に二人でお茶を飲んだ。ほんの一時間程度。疚しいことなど何もないとフェルヴァーレイも知っている。わかった上での嫉妬。だがイディオルヌは幼馴染と会うことをやめる気はない。今やキンダリオだけが幸せだった頃の名残だ。彼が友人でいてくれる間は生きていようと思えた。 「ああっ」  男根が温かい粘膜に包まれてイディオルヌは仰け反った。自分がしたよりもっと巧みに舌を絡められて何も考えられなくなる。快楽を貪り合う瞬間はここに居てもいいんだと思えて心が安らぐ。  フェルヴァーレイの心を波立たせる原因は他にもあった。イディオルヌ本人は気付いていないが、彼はときどき寝言を呟く。父親と同じ名のハイヴェルインという男は何者か。キンダリオを呼ぶのは単なる懐かしさからか。 「名前を呼んでくれ、イディオルヌ」 「フェルヴァーレイ……っは、あ、あ、フェルヴァーレイ……!」  自分の中にフェルヴァーレイを受け入れる。自分も彼を愛しているのか、わからない。忘れたい事とは何か、フェルヴァーレイにはまだ何も聞かせていない。聞かないでいてくれる彼に甘える。ただ彼にしがみ付いて、されるがままに揺さぶられる。  イディオルヌはふと夜中に目を覚ました。月光で肌が冷たい。寝返りを打つと眠ったままのフェルヴァーレイに抱き寄せられた。鼓動を感じるたび死ねなかった罪悪感が重くなる。イディオルヌは今夜も夢を見た。

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