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第12話 ひよっ子、訓練する
訓練場に着くと、すでに皆、己の技や身体を磨いていた。模擬的に戦いをする者、頭より大きい石を投げる者、壁や地面を素手で殴る者、立て掛けた梯子をぶら下がりながら登る者……どれも自分にはハードルが高いなとヤンは震える。
「……この辺りにするか」
レックスは訓練場の一角で足を止めると、ヤンを振り返った。彼は騎士服の裾から腰に帯剣していたダガーを抜くと、切っ先をヤンに向ける。
「ひぃ……っ」
その動作だけでヤンは頭を抱えて縮こまった。
「抜け」
「は、はいぃ……っ」
情けない声を上げてヤンはダガーを抜くと、両手で構える。剣は先程よりもずっしりと重く感じ、切っ先を相手に向けるだけで精一杯だ。
「かかってこい」
レックスはすでにヤンを見据えて戦う気満々だ。本気ではないとしても、そんなレックスの視線に射すくめられて、ヤンは動くこともできない。
「……っ」
剣を持つ手が震える。ついでに足も震えた。震えてばかりの自分に、情けなくて涙が浮かぶ。
「来ないなら、こちらから行くぞ」
そう言って、レックスは間合いを詰めて来た。反射的にヤンは身を翻し、彼に背を向けて走り出す。おい! とレックスの声と追ってくる足音がした。
「逃げたらお前の実力も分からない!」
「む、無理ですぅー!」
やっぱり無理だ。本当に蛇を倒せたのは奇跡だか何だかが起きて、自分はたまたま生きているだけに過ぎない。意図的に相手を傷付けるなんて……ましてや殺すなんてできっこない! とヤンは狭い通路に逃げ込んだ。
「どこだ!?」
遠くでレックスの声がした。ヤンはそのまま狭い場所、狭い場所へと進んでいく。そして樽や木箱が積んである陰に身を潜めた。
「……」
はあはあと、自分の呼吸だけが聞こえる。もっと息を潜めないと見つかるかもしれない。ヤンは両手でダガーを構えながら、小さく小さく縮こまった。
ここはどこだろう? 城壁内なのは確かだけれど、まだ来て二日目のヤンには分からない。
けれど、感じる。
レックスが静かにこちらを狙っている気配が。
訓練場の声も届かない所で、ヤンはじっとして気配を探る。諦めていない、レックスは必ず自分を見つけてここにくる。そう本能が警告していた。
そしてこうしていると、以前も同じように息を潜めていたことをどうしても思い出してしまう。相手の一挙手一投足も聞き逃すかと、神経をこれ以上なく研ぎ澄ませて――……。
「……っ!」
キィィン! と刃が当たる音がした。ヤンが気配を察して咄嗟に振り上げた剣と、空から降りてきたレックスの剣がぶつかったのだ。
彼は金の瞳で冷静にヤンを見下ろしている。ヤンは彼がさらに攻撃を繰り出さないかと、じっとそのままの体勢でレックスを見上げていた。
「お見事」
レックスはそう呟くと、剣を引いて鞘に戻す。ヤンは剣を持つ力さえ抜けて、ヘナヘナと地面にへたり込んだ。甲高い音を立ててダガーが地面に落ちる。何とか……何とか攻撃を防げた。
レックスがしゃがむ。
「……なるほど、蛇を倒しただけのことはあるな。戦術もお前には合って……おい?」
「うっ……う、……ううう〜」
緊張の糸が切れてしまったヤンは情けなく泣いた。あんな恐ろしい目には、二度と遭いたくないと思っていたのに、これをしないと『家族』は虹の橋を渡れないのだ。浮かばれない『家族』を想ってヤンは泣く。情けない自分でごめんなさい。けれどいつか、その恨みを自分が晴らすから、と。
「……」
レックスが手を伸ばしてきた。ヤンはビクッと身体を震わせると、その手は一瞬躊躇ったように止まったが、そろそろとまた伸びてくる。
そして、大きな手がヤンの頬に触れた。温かくて、優しい触れ方に、ヤンはますます泣けてくる。
「……誰だって、傷付くのは怖い。けど……」
レックスのしっかりした親指が、ヤンの涙を拭った。温かい。
「みな、大切な誰かを守るためにここにいる。ハリア様もだ」
お前にもそういうひとがいるんだな、と言われこくん、と頷くと、なぜかレックスは息を詰め、頬に触れていた手をサッと引いた。どうしたのだろう、と濡れた眼 で彼を見ると、金色の双眸は強い視線でヤンを睨んでいる。
「……っ」
しかし次には、レックスの頭は下がっていった。彼の短いグレーの髪を呆然と眺めていると、彼は顔を下に向けたまま、スッと立ち上がる。
戻るぞ、という言葉と共に、長い足でスタスタと歩いていくレックス。ヤンは慌てて涙を拭って、彼のあとを追いかけた。
訓練場に戻ると、レックスは筋力トレーニングに励む騎士たちの様子を見ている。心なしか目付きが鋭くなっていて、見られている騎士たちもやりにくそうだ。
どうして、また癖が出たのだろう、とヤンは思う。確かに、挨拶にしてしまえば違和感を消せると思った。けれど何の脈絡もなく出てしまうようだし、頻度もそこそこ高い。
まさか、ひとには言えない重篤な病気が隠れているとか?
そう思ってヤンは首を振った。レックスも不本意そうだったし、多分一番苦しんでいるのは本人だ。ヤンが気にしてはレックスはもっと苦しむ。
(これからは癖が出ても、明るく振舞おう)
そう心に決めてレックスのそばに行った。
「ヤン!」
ヤンが足を進めると、昨日部屋に来てくれた面々がヤンを呼び止める。その目はキラキラと輝いていた。
「さっきのレックス様との手合わせ、見てたけどやっぱりすごいな!」
「……えぇ?」
思ってもみない言葉にヤンは声をひっくり返しながら聞くと、その中のひとりが興奮したように話す。
「レックス様より早く走っていたし、しかも百戦錬磨の騎士団長が見失うとか……さすが!」
そう言って抱きつかれ、それをきっかけに囲まれて揉みくちゃにされた。突然のことで驚いて動けず、されるがまま頭を撫でられたり頬擦りされたりする。なんら特別なことはしていないし、さっきはレックスから逃げただけなのに、と戸惑っていると、こちらを見ていたらしいレックスが大きな咳払いをした。同時にヤンを囲んでいた従騎士たちは動きを止める。
「お前たち……全員まとめてかかってこい。その不躾な手と頬を切り取ってやろう」
レックスがギロリと睨むと、みんなヤンの身体からサッと離れた。それも小さな悲鳴付きで。ヤンもつられて短く声を上げ、身体を硬直させる。
「それが嫌なら特別任務だ。城壁外の見回りに走って行け、今すぐにだ」
「は、はいぃー!」
ヤンよりも情けない声を上げて、バタバタと従騎士たちは去っていく。レックスが怖いのは通常運転なのだと分かってきたけれど、なぜだろう、今が一番怖い。
「あ、あ、あの、……レックス様っ」
従騎士たちの行く末を睨んでいたレックスは、その怖い目のままヤンを見下ろす。彼の手が拳を握ったのが見えて、殴られるのでは、と身構えた。
「お前のダガーはなんの為にある?」
「へ……っ?」
「自分の身くらい自分で守れ。あと、訓練場にひとがいる時は、お前は使用禁止だ」
そう言われて、ダガーの存在をすっかり忘れていたことに気付く。そしてそのせいで、従騎士なのに、騎士としての訓練もろくにできないようにされてしまった。ヤンは肩を落とす。
ひとりで寝ることもできず、レックスの身の回りの世話はほぼない。そして騎士として鍛錬もできなければ、自分は何のためにここにいるのだろうか。
そんなヤンの様子を見てか、レックスはひとつため息をついた。ため息をつかせてばっかりだな、と落ち込むと、顎をくい、と持ち上げられる。
「お前は……今何をされていたのか分かってないのか?」
「え……?」
見上げたレックスの顔は、僅かに眉間に皺が寄っていた。おかしなものを見るような視線に、ヤンは視線を逸らす。
「みなさん、僕を褒めてくださってたん……ですよね?」
突然のことで動けなかったですけど、と言いながら、ヤンは気付いた。騎士たるもの、他人の褒め言葉に対して、スマートに返さなければならなかったのだろうか。だとしたら注意されて当然だ。
「す、すみませんっ、次からは笑顔でお礼を言……いてっ」
顎を持っていたレックスの手が、ヤンの額を指で弾く。涙目で痛む額を押さえると、レックスはさらに眉間に皺を寄せた。
「もういい。お前は俺の許可なしに俺から離れるな」
「は、はぁぃ……」
ヤンは泣きそうになりながら返事をした。
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