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守る側と守られる側

 店の前に2人の青年が立っていた。  1人は白の半袖パーカーに黒のカーゴパンツ。もう1人は黒のタンクトップにやはり白のジップアップのパーカーを羽織って、膝丈の迷彩柄ショートパンツを履いている。  至はその2人を店の外から見つめ首を傾げた。 『1人は見覚えが…』  髪もまとまってはいるがラフな感じで、半袖パーカーが印象と違う…ああ! 「大輔くん?」  やっと合点がいって、店の前に立ち声をかける。 「至さん!」  店外から声をかけられ、不意をつかれたように驚いていた大輔の傍で目の大きな黒髪ショートが見つめてきた。 「いや、まさか外から声掛けられると思ってなくて〜」 「東郷病院の帰りなんだよ。初めまして、一馬くん」  身長は3人ともそうは変わらないが、大輔が一番大きい感じだ。 「初めまして!八代一馬と申します」  大輔に負けず劣らず、深く頭を下げる。 「先日は、大輔がご迷惑をおかけした挙句大変良くしていただき、ありがとうございました」  と再度礼。 「あ、いえいえいいんだよ。とりあえず中へ入ろう?」  あまりの礼儀正しさに流石に苦笑して、至は2人を中へと促した。 「大輔さん!いらしてくださったんですね〜」  真衣子がトレイを脇に抱えてやってきてくれた。  ランチ前の店はまだ混んでいなくて、お客さんも2組だった。  これから忙しくなるのだが、その隙に来てくれたようだった。 「初めまして一馬さん。ここでアルバイトをしている松原真衣子と申します」 「初めまして、八代一馬です」  ここじゃなんだからと至は真衣子にテーブル席へ案内してとお願いして、取り敢えず控え室へと向かった。  挨拶に出ようとしていた浩司とすれ違い、至は1人控え室へ入る。  浩司は少し至を気に掛けながらも大輔の席へ向かった。 「よく来てくれたね。一馬くんも」  慌てて立ち上がった一馬は、ちょっと見上げる感じで浩司を見て先日は大輔が…と至への挨拶と同じことを告げた。 「いや、あれはうちのが勝手に引き込んだことだから。でもいい知り合いができてここの全員喜んでる。仲良くしてやって」 「はい」  満面の笑みで答えた顔をみて、浩司はゆっくりしてってな と去っていった。 「でかい人だね〜」  一馬が小さな声で大輔に言う。 「貫禄が違うよな…男として憧れるわ」 「大輔が鍛えてもあそこまで行くかな」 「やってみないとわかんねえじゃん」  そんなたわいもない話の中、真衣子が水を持ってきてくれた。 「ここでもイチャイチャですね〜」  幾分か顔が引き攣ってて、大輔と一馬は怯え顔 「浩司さんと至さんもイチャイチャするんですか?」 「もうしょっちゅうですよ。何かっていうと2人でひっついてます」  え〜意外…厨房に立つ浩司を2人でじっと見てしまう。  真衣子はしてやったりの顔で、 「オーダー決まりましたらお呼びくださいね」  と、大きな板テーブルのお客さんのお皿を下げにいった。 「至…どうだったんだ?」  タイミングを見て浩司は控え室へと入っていく。  至が髪を束めているところだった。 「相変わらずだってさ。悪くもないけど、良くもないって感じ」  普通に振る舞って、髪を括り終わったので店に出ようとしたがそれを浩司は止めた。 「何か言われただろ。先生に」  ドアの前に立って、至を見つめる。 「別に何も。さっき言った通りのことだけだよ?何怖い顔してるんだよ」 「脳死肝移植希望申請…言われなかったか?」  至は平静を装ってはいたが、目がかすかに揺れたのを浩司はちゃんと見ていた。 「前回の検診の後に先生に聞いたんだよ。そろそろ肝移植希望申請をしておかないとって…少しでも早く登録すれば少しでも早い順番になるからってな」 「何も…言われてない」 「嘘言うなよ?大事な事なんだ」 「嘘言ってないよ。移植の話は出たけど、まだ大丈夫って」  声が震えていた。  浩司は大きくため息をついてドアに寄りかかる。 「何を怯えてるんだ至。病気になった、移植で治る、だったら移植する。こんな簡単な図式だぞ。なんで嘘言うんだ。移植しなかったら悪くなる一方で…」 「浩司…」  至が浩司の言葉を遮った。 「浩司は脳死肝移植なんて考えてないだろ…」  一瞬浩司が逡巡したが 「そんなわけないだろ。なんでそんなこと」 と言いかけた時ドアがノックされる。 「店長、グラタンの注文が入りました。容器にバター塗っておきましたけど…」  麻衣子の声だった。今この時に話すことじゃなかったと我に帰る。 「この話は夜にしよう」  浩司はそう言い残して部屋を出た。  至はその場に立ちすくんで、詰めていた息を吐き呼吸を整える。至は見てしまったのだ。  浩司が自分のものを置いている棚の奥に入っていた『生体肝移植』の本を。  浩司は自分の肝臓を自分(ぼく)に移植しようとしていると、至は気づいてしまったのである。   グッと一回唇を噛んで、はっ!吐息を吐くと、口角をあげて部屋から出た。 「真衣ちゃん グラタンは大輔くんたち?」 「はい、一馬さんです。大輔さんはオムライスとたまごサンドを」  ー食べさせたいって言ってたもんなぁたまごサンドーと思い出して、ほんとに気に入ってくれたんだなと至は2人の席へ目を向けた。  軽く頭を下げられて手をふり返すと、真衣子が 「エスプレッソとおすすめコーヒーもご注文です」  そう言って目の前に現れた。 「はいはい、了解」  至は厨房の片隅へ身を移し、エスプレッソマシンと焙煎機のスイッチを入れた。  食事が終わって大輔と一馬は、デザートをカウンターでどうぞと言われ今カウンターに座っていた。  至からちょっと話があるからと引き止められてのことだが、ランチタイムで異常な混みように少し恐縮して、2人はデザートのプリンとマカロンをいただく。  一馬はプリンがいたく気に入ったらしく、半分ずつといいながら4分の3ほど一気に食べてしまった。  それに怒りもせず、大輔は 「な、美味いだろ?これ至さんが作ってるんだって」 「え?そうなんだ?すごいねえ。こんな美味しいの作れるってさ。教えてくれるかな?レシピ」  なんでもチャレンジ精神の塊の一馬がいたずらそうに笑う。きっと無理だよね〜と言いながら、残ったコーヒーも口にした。 「このコーヒーのファンもいるんだろうね、コーヒー得意じゃないけどこれは美味しいって思えるよ」  色々と嬉しい感想を言ってくれる一馬が嬉しくて、大輔は無意識に愛おしそうな顔で一馬を見てしまっていた。  浩司がそれに気づいて真衣子に目配せをし、それを見た真衣子が至に教えに行く。  やるなあ〜大輔くん、と微笑ましく2人を見て、至は新しいエスプレッソを淹れ始めた。  12時50分頃になると、お客はだいぶ減ってくる。  大テーブルを含め4組ほどになった頃、至は漸く大輔たちの元へやってこられた。 「待たせちゃってごめんね〜」  一馬を挟んでカウンター席に座ると、持ってきたオレンジジュースを2人の前に置く。 「生搾りだよ。さっき絞ってきた」 「え、ありがとうございます。さっきから待たせて悪いねって浩司さんからも色々いただいちゃってて なんかほんと申し訳ないです」 「引き止めてたの僕だから気にしないでよ。それで早速なんだけど」  そう言って至は、カウンターにも置いてあるショップカードを取り出し 「一馬くんにお仕事お願いしたいんだけど…いいかなぁ…」  と一馬を見た 「えっ⁉︎」  いきなり言われて一馬が背筋を伸ばした。大輔もちょっと驚いている。 「こう言うお仕事をしていないなら言ってね、実はショップカードを刷新しようと思ってて、いいところ探してたんだよね」  ショップカードを一馬に渡して、 「それも気に入ってるけどもう7年前の物なんだよね。そろそろ変えどきかなって」  一馬はそれを見て、温かみのある優しいデザインだなと思った。  オレンジを基調とした、それでいてどぎつくない色味。斜めに入った白いラインと象徴的なカップとポット。7年前と聞いたが、これを作った人はもっと前の時代を想定しているはずだとも思った。 「見れば見るほど素敵なカードです。お店の雰囲気にもすごく合ってて。変えちゃっていいんですか?」  と一馬は至の顔を見た。 「変えない方がいいと思う?」 「お店によく合ってると思います。温かみのある、いい意味で前時代的(レトロ)な雰囲気があって」 「ん〜そうか…そう言われちゃうと悩むなぁ」  カウンターに肘をついて頭を支える。 「それに俺は商業デザインはやったことがなくて…」 「そっかぁ〜残念…というか、変えなくてもいいのかなぁ…」  至は手を外して、改めてもう一枚取り出しじっとカードをみつめた  そんな至の隣で 「そう言う意味でもちょっと興味はあるんです」  と一馬は続ける。 「え?」 「今ふとデザインは浮かんでます。もしも俺が作ってみてダメだなと思ったら没にしてもらってこのカードを継続…と言うことにしてくれるなら…お話は一応…」 「ほんとに?いいよそれで、ありがとう!」  ぱあぁっと顔が綻んで、一真の手を取りーよろしくねっーと笑う至に、一馬も照れたように笑って 「はい」  と答えた。 「それで、料金の話なんだけど、どのくらい用意したらいいかな」 「え、いいですよそれは。大輔もお世話になったし今日だって…」 「一馬くん、それはだめだよ」  真剣な顔で至が諭す。 「一馬くんは絵でお金を稼いでいる『プロ』なんだからこう言うことはきっちりとしないといけないよ。自分を安く売ってはダメ」  それは以前に大輔にも言われていたことだった。 「これからお友達とかが、色々頼んできてもきっちりとしないとダメだよ。と言うことで、どのくらいになりそう?」  一馬はちらっと大輔を見る。  大輔はマネージメントをしているわけではないが、イラストの依頼も一馬が向こうの言い値で引き受けてしまうところを何度かみていて、しかもそのイラストにかかる時間が対価に見合わないのもみてきているから、報酬の相談は必ず自分に言うようにと言ってはいたのだ。 「こう言う話は初めてで俺もすぐには算段がつかないけど、かかる時間はどのくらいになりそう?」 「今は手が空いてるし、もう2.3浮かんでるから、仕上げるのに3日有れば…かな」  大輔はスマホで相場等を調べ始める。  そんな大輔を至は感心して見つめ、彼は彼なりにがんばって一馬くんを守ってるんだなと頼もしく思っていた。  自分も守られてるなと感じてはいる。しかも今回浩司は身を削ってまで自分を守ろうとしている…先々、病気はいずれにせよ一馬くんも罪悪感を感じるほどの愛情を受けるようなことが起こるのかな…と、今の至は思考がそっちへ向かい気がちだった。 「そうですねえ…5千から1万くらい…ですかね」 「え?そんなんでいいの???」  大輔がメモにまとめて提示した金額は、思っていたより安い。 「至さん、このカード作った時のこと思い出してみてください。印刷までしてもそうそうかからなかったでしょう?」 「確かに…」  と至は記憶を遡った。デザインは確か…話し合いはしたがほぼお任せで…枚数は印刷屋の規定で一万枚だったとおもう…で、全部で3万くらいだった気がする。 「今回デザインだけってことで、相場を見ても大体そんな感じでしたし、一万円は高く見積もってです。大体時間工賃を踏まえて考えますので、後は一馬の頑張りで」  にっと笑って一馬を見ると、ちょっぱやでとガッツポーズをしてくれた。 「誠実な返答ありがとう。じゃあ改めて正式に依頼させていただきます。口約束もなんだから、一筆書いておこうか」  至は控え室へコピー紙を取りにゆき、簡単ではあるが依頼書と称して書いてくれて印も押してくれた。 「あと、こんな風がいいと言うのがあれば…」  一馬が用紙を受け取りながら聞いてみるが、 「頭に浮かんでるって言っていたそれをまず見せて欲しいなって思ってるよ。それを見てお互い詰めていこう」 「わかりました」  それから少しして、大輔と一馬は帰って行った。 「大輔くん中々だな」  カウンターの上の食器を至が片付けていると、それを受け取りにきたカウンター向こうの浩司が言ってきた。 「ね、すごくしっかりしてた。一馬くん愛されてるよね〜」  そう言って食器を少し上がっているカウンター上部へ乗せて浩司を見るとー俺だって負けてないーと顔に書いてあるような顔つきで至を見ていた。  至は思わず吹き出してしまい、それを偶然見た真衣子が 「店長どんな顔してるんですか」  と笑ってはいるが半ば呆れたように言ってくる。 「普通だが?」  食器を受け取って洗い場へ置くと、浩司はそそくさと冷蔵庫へ向かって行ってしまった。 「店長って無口で強面ですけど、心の声顔に出過ぎですよね」  真衣子が寄ってきて至に耳打ちをする。 「だよね。大体若い子と張り合うってなんだよってもう」  カウンターの隅で2人して笑い合っているのをみて、 「真衣子、3番テーブルの食器!」  と浩司が言ってきた。 「は〜い」  最後に顔を見合わせて笑って、真衣子は3番テーブルへと向かう。  店内を見回して、特に忙しそうでもなかったから至はその場に座ってさっきのことを考える。  大輔も頑張って一馬を守っているのを見た。自分も守られていると確信した。浩司の考えていることも、理由も意味も解るのだが、ただ納得とかそう言う前に本当に罪悪感なのだ。  一緒に生きていきたいと決めた時、お互いの家に行った。  双方許せるわけがないと言うスタンスは一緒だったが、浩司の家が凄まじかったのだ。  元々代々が武士から始まり軍人さんの家系で、今では父方の兄弟親族が殆ど自衛隊隊員という家系だった。 浩司も高校から自衛隊学校へ行かされていて、当然のように自衛隊員になる道筋が立っていたのである。  しかし浩司は調理師になりたい夢が昔からあり、それは再三親にも言ってはいたらしい。しかし自衛隊にも『給養』という料理の専門分野があるから、給養員になればいい。そこまでは妥協してやる、の一点張りで自衛隊から離れることはなかったのだ。  そこへ男である至を連れて行き、一生を共にすると告げたらそれは両親大激怒となるのは当然で、母親には泣かれるし父親は浩司を殴り、それでも倒れず意志を曲げない浩司を何度も打ちつけてきた。  それに浩司は黙って耐えたのである。  父親の目は至にも行ったが、線の細い痩せた至には流石に手が出せなかったのか、その分が浩司に行ったと言っても過言ではなかった。  代わりに至は、酷い罵声を浴びせられた。  女の腐ったのだとか たぶらかしたとか、もっと口汚く罵られたが至は正座したままこちらも黙って言葉を受け入れていた。  それに激昂した浩司が、至に被さるようにして罵倒していた父親の両手を掴み、至から引き剥がし、それでも流石に殴れなかったのかそのまま畳に突き飛ばしたのだ。  力は断然浩司の方があったのも父親は気に入らなかったのだろう。お決まりの 「勘当だ!出ていけ!2度と目の前に現れるな!」  と叫んで2人を追い出した。  その経緯を思い出してはため息が出る。  あの怒りは怖くもあったが、愛情も感じられた。  手塩にかけて育てた息子が、自衛隊はいずれにしろ男に持っていかれる…。  それはやるせなかったと思う。きっと今でも浩司のことを気にかけ、心配はしているだろう。悪いのは全部(あいつ)だということにして、忘れることのない日々を過ごしているはずだ。  自分が悪者になったっていい。どう思われてもいい。その代わりとして浩司のそばにいる権利を有しているとも思っている。自分勝手な考えだけれど、その権利はあるし絶対に離れない。  しかし…あれ程までに怒り、今もやるせない気持ちで暮らしている矢田部の家の人達のことを考えると、『これ以上の浩司』を奪うことはできなかった。  浩司の肝臓を貰う権利は…それは自分にはない…。  そこまで優しさに甘えられない。甘えてはいけない。  もしも甘えてしまったら…浩司のそばにいる権利が、唯一のカードがなくなってしまうかもしれない。という恐怖心が湧いてくる。  ゾクッと背筋が寒くなり、思わず両腕を抱きしめた。  病気が悪化するより怖い。  ずっとそばにいたい。できるなら浩司の腕の中で… 「いーたーる、どうした?」 「え…」   ふと我に帰ると浩司がカウンターの向こうで呼んでいた。 「寒いのか?熱でも…」 「あ、ごめん、大丈夫。なに?お昼?」  浩司が差し出してきたコルク皿に乗ったドリアを見て、至はそれを受け取る。 「お客さん後1組になったからな、今のうちに食っちまえ。何ぼーっとしてた?」  至がドリアを受け取るのを確認してから、すぐにコーンスープを渡してくれる。 「いや、ちょっと色々考えてたよ、ショップカードのこととか」  嘘を言う必要もないのだろうが、今ここで難しい話もできないから。 「真衣子にはトリプルチーズドリアにしてやるな」 「わーい、ありがとうございます〜」  洗い場で食器を洗いながら満面の笑みをもらす真衣子に 「本当好きだよねw浩司のドリア。真衣ちゃんは」 「美味しいじゃないですか〜私の友達も一回食べて病みつきになったって言ってましたよ」  まあ確かにね〜と呟いて、至は未だに怖い考えに及んだ心臓の鼓動を隠しながら、普通のドリアをフーフーしながら食べ始めた。

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