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もどかしい感情
「どう?」
ハーゲンダッツを持って、大輔が一馬の部屋へやってきた。
2人の借りている部屋は2LDKの結構広めな部屋。
お互い6畳の部屋が持て、LDKまとめて10畳ほどの中にキッチンが3畳、キッチンはカウンターで区切られていて、ダイニングテーブルはリビングを広く取りたいために置かなかった。
アパートは、至達のお店があるところと駅を挟んで反対側にあったが、あちらは繁華街もあって賑やかである反面こちらは閑静な住宅街で、駅から30分という不動産屋の換算により、2LDKで風呂付きトイレ別など好条件でも家賃は9万円ほどだった。実際男性である二人の足なら15分もかからない。
そしてその家賃の分配はというと、2人で半々…と言いたいところだが家のことを一馬に任せきりな大輔は、それを考慮して6万円出している。
養いたい気持ちはあるのだが、そこは一馬の気持ちを尊重した。
「うん、あとは色付けすれば、いい形で見てもらえるようになるよ」
アイスを渡して、大輔は近くの椅子をデスクへ近づけて座った。
「本当に3種類作ったんだ。あの時点で浮かんでたデザインなん?」
「そうだよ。あのカードほんとにいいカードだから、あれ以上と思うと結構プレッシャーだった」
笑いながら蓋を開けてスプーンでアイスを掬う。
「そっか。で、いつ見せに行く?」
「色が塗れ次第かな、明日…か明後日くらい」
大輔は一馬のアイスしか持ってきておらず、一馬はひと匙救って大輔の口元へ持っていった。
「お、さんきゅ。うまっ」
「やっぱハーゲンダッツはストロベリーだよな」
ニコニコとまたアイスを口に入れて一馬はご満悦。
「好きだよなそれ」
ニコニコの一馬をみながら、大輔は髪を撫でた。
「俺有給取れって言われてるんだけど、休みとって一緒に行こうか?」
優しくそう言われて、一馬は大輔を見つめる。
「大輔は俺に過保護すぎ」
反論を許さないように、もう一口アイスを大輔の口に入れると
「俺だって一人で行けるよ。大丈夫。まあ、有給取るのはいいけどね。一緒にいる時間取れるし」
最後の方ぼそぼそと言って、アイスもモゴモゴ。
「構ってほしいのは俺の方なんだけどな〜」
撫でていた頭をそっと寄せて髪にキス。頬にキス。そして唇にキス。
「絵に没頭すると、飯以外部屋から出ないじゃん…?まあそれはいいんだけど…ひと段落ついたなら、俺を構え」
そう言いながら頭を抱きしめ、両頬に手を当ててもう一度キスをする。
「んー、わかったわかった」
アイスを一旦デスクに置いて、一馬は大輔を離した。
「まずは…」
「うん」
「アイス食べさせて」
うあっ!アイスに負けた!と椅子から大袈裟に落ちて大輔は床に寝転ぶ。
「駄々っ子か」
声をあげて笑って、一馬はアイスをパクパクと急いで口にいれはじめた。
「溶けたら美味しくないからさ」
そう言いながらだいぶ平らげて、床に寝転ぶ大輔の脇に座り込みまたひと匙大輔の口に放り込む。
「美味しいでしょ?俺の好きな苺あじ」
「うん」
「じゃあ…」
と、一馬は空になったカップを手を伸ばしてデスクへ置き
「俺の好きな苺味の…キスしよ」
そう言って大輔にかぶさって、キスをした。
舌の絡まる深いキス。
一馬の言う通り、苺の味がした。
夜になって部屋へ戻ってから、至と浩司はお互いがお風呂を終わるまで病院の話や移植の話は出さなかった。
至は浩司が風呂に入っている最中に、健診日の例に倣い母親へと伝えてもらう為姉に電話をかけた。
至の家は元々が地主の家系で至で6代目になる旧家であった。
今では普通に暮らす一般家庭と何も変わらない名ばかりの家柄ではあったが、それでも父親は一般家屋よりは多少広い土地と家を必死に守ってきたと言う自負があった。
だから長男として生まれた至も同じように家屋敷を守りそして次へ繋げていくものだ、と信じ切っていた。
息子は小さい頃から「コーヒー屋さん」になりたいといい、それを全うし日本でもそうはいない資格をとって、夢を叶えた。それはいい。
自分とて一介の会社員で、旧家の跡取りとしての役目は家を守ること以外は何もない。
だから至が22歳の時に、挨拶に連れて行きたい人がいると言い出した時には『いい人でもできたか』と父親は喜び、そろそろと思っていた家屋敷の権利を渡す準備を始めたものだった。
しかし後に連れてくるのが男と聞き、しかも一生を共にすると聞かされ言いようのないショックを受けてしまった。
色々、それは色々思考を巡らせ、今の時代相手が男でも家は守れる…しかし跡取りは…とそこまで行くと毎回行き詰まってしまう。
親というものは勝手なもので、子供のことで自分が思い描いていたものが壊れてゆくことに耐え難い恐怖を感じる。まして『家』の存続に関わることなどは余計にだ。
父親は食事も取れないほど弱まり、暫くずっと伏せっていると至は聞かされた。
約束の日に2人で出向いた時も
「お父さん未だ 会いたくないと言っているのよ…。お疲れもまだまだ取れないようだしねえ…」
と母に言われ家に入ることもなく玄関先で引き返して来たのだった。
代々続いてきた家が、自分の代で潰えるのが辛いことは至にも察せられるが、これは譲れない。
至には姉がいるが、父親も姉に跡を継がせても良いのかもしれないとも考えた。 だが家に入ってきた血筋ではない娘の配偶者が、どこまで真剣にこの家屋敷を守ってくれるのか未知すぎるし、その責を負わせるのは息子を持つ親としては釈然としないところもあったのだろう。
本当に色々なことに頭を巡らせて、父親は精神が疲弊してしまったのだった。
母親は父親の手前賛成はしないが、至の生まれつき悪い肝臓のことを心配しており、姉を通じて定期的に連絡が来ていたのだ。
毎月の検診結果も姉と母親にだけは伝えていて、今回の移植全般に関わることは母にも相談はしたいが、会えない以上要らぬ心配をかけてしまうかもと思いこちらも悩むところである。
「お義姉さんに連絡したのか」
風呂から上がってきた浩司は、冷蔵庫から水のペットボトルを出しグラスに注いだ。
飲むか?と問われ、うんと答えた至は座っていた床からソファーへと座り直す。
「それじゃあ、お義姉さんに話したことを俺にも教えて貰おうか」
グラスを至の前に置いて、浩司は至の正面の床に胡座をかいた。
「姉さんには、検診に行ってなんの変わりもないとだけ言った」
水を口にして、歯切れの悪い口調で至は言う。
「本当に今まで通りだった?」
言ってることを信じれば、またいつもの日常に戻れて次の検診までの1ヶ月間はそれなりに安心して暮らせる、のだが実際医者から直接そろそろ移植のことをと言われている浩司には、今回何もなかったとは思えない。
「数値はいつも通りだった…よ。だったけど…移植の話は、された。できれば早くって」
浩司はため息をついた。やっと言ってくれた。
「それで、お前は何を怖がってる。移植をすれば、こんなにビクビクした生活しなくても良くなる可能性が上がるんだぞ」
そこまで言って浩司は、昼間至が言いかけたことを思い出す。
「控え室でお前、俺が脳死肝移植を考えてないと言ったが…どう言う意味だ。俺は移植には…」
言いかけた時至が手のひらを見せてストップのポーズをとり、立ち上がってリビングの端にある浩司の棚から本を一冊持ってきてテーブルに置いた。
至が見つけてしまった、浩司の持つ生体肝移植のことが書かれた本である。
「浩司…浩司は脳死肝移植じゃなくて、生体肝移植を考えてるだろ。しかも自分のを…」
虚をつかれて浩司は言葉に詰まった。
まさにこれからその話をしようとしていたところだったから。
「この本、見つかってたのか」
本を手に取ってパラパラと中をみる。
「至もこれを一度読んでみるといいぞ。経験者の手記とかも載っていて、これからの俺たちには知っておくべきことが書かれている…」
そんなことを言いながら本を閉じた浩司の手から本を奪い取って、至は床に叩きつけた。
そんな至を見たことがなかった浩司は、少し面食らったように至を見ている。
「なんでそんな…生体肝移植なんて勝手に決めてるんだよ。僕は、浩司に肝臓貰おうなんて絶対に思わないから」
ソファに深く座り直して、至は膝を抱えた。
浩司は床に落ちた本を拾って、テーブルに乗せると
「まだ俺が…移植できると決まったわけじゃない…。出来ればしたいけど、諸々の検査や審査をして、様々な条件をクリアしないと移植はできないんだ。その時間も含めて早めに動きたいと思ってる。だから至にもわかってもらって、一緒に乗り越えようって話なんだが…」
「検査して、条件がクリアになっても…僕は浩司に肝臓貰う気はないんだよ」
浩司はそんな至に構わずに話を始める。
「この本見たら、脳死肝移植のほうがほんの少しだが、生存率が高い。もっとも生存率自体が80なん%と言う高水準だから安心は安心なんだけどな。でも、時間がかかるだろ。だったら条件クリアした生体肝移植のほうが待ってるよりも早いかと思ってて…」
「聞いてた?僕は浩司から貰わないって言ってるんだよ」
浩司に最後まで話させずに割って入る。
「なあ?なんでそんなに頑なになってる?俺の体を心配してるなら、この通り頑丈だ。調べたら何か出るかもしれないけど、今までに大病もないし大きな怪我もない。しかも生体肝移植は、至の悪い部分を補助する分しか取られない。全部ってわけじゃあないんだし」
「そう言うことじゃない。僕は絶対に浩司から貰わないから」
ため息しか出なかった。何が至をここまで頑なにしているかが、浩司にはまったくわからなかった。
至の『浩司から肝臓を奪ったら、僕が浩司のそばにいる権利がなくなる恐怖』は、流石に伝わるのは難しいだろう。
とりあえずその日は、子供のように拗ねてしまった至をなんとか宥めて寝かせることには成功した。
が横になっただけで眠れない至は、その後に居間に戻って例の本を読み始めた浩司に言葉にできない気持ちを沸かせる。
「駄々っ子みたいだな…自分…」
そっとため息をついて目を瞑るが、浩司がページを繰る音が耳についてなかなか寝付けなかった。
「どうしたんですか?お二人とも…」
朝イチ9時に店に来た真衣子は、よそよそしい感じの二人を見て、心配そうに至に声をかけてきた。
「ん?別になんでもないよ?何か違う?」
いつもふんわりと笑って、柔らかい風を送ってくるような至の笑みが凍りつくようなのだから、真衣子も怪しがるのも無理はない。
モーニングの時間はいつも二人で回しているのだが、本当に様子が変なのだ。
「明らかに違いますけど、言いたくなさそうなので聞きません」
触らぬ神になんとやらで、いつも寡黙な浩司からもなんか変な空気が漏れ出ているので、真衣子はホールを中心にテーブルを拭いたりを始め厨房には近づかないように決めた。
ホールには3組のモーニングのお客さんがいる。
「真衣ちゃん、今日ランチ前に一馬くんがショップカードのラフ?って言うの持って店に来てくれるって」
話しかけてはくれるんですね。
「あ、はいわかりました。その時はお店回します」
「よろしくね」
いつもその時間を狙ってきてくれる大輔一馬ペア。今日は一馬さんだけなのかな、などと他愛もないことを考えながら各テーブルの準備をしていた時だった。
バタンッ!と入り口のドアが開いて、白いブラウスに黒いスカートを履いた中年の女性がツカツカと入り込んできた。
モーニングのお客さんかな…と思った真衣子は、女性に近づき、
「ご案内します」
と声をかけたが、その女性は真衣子をギッと睨んだかと思うと、
「あんたなのっ?」
といきなり髪を掴み、平手打ちをしてきた。
一瞬真衣子自身も何が起こったのかも分からず、呆然と床に崩れる。
「何してるんですか」
至が走ってきて、真衣子と女性の間に入り
「なんですかいきなり、どうしてこんなことをするんです」
「うちの旦那をたぶらかしてる奴がこの店にいるって旦那自身が白状したのよ!どいつなの?まさかあんた?」
血走った目で女性は、今度は至に攻撃をしようと手を振り上げたが、その手は浩司に止められた。
「いったいなんなんです。ご主人を誑かすって、ここは普通の喫茶店ですよ」
浩司の目が怒っている。その時にやってきたのが、店常連の芝さんである。
「ああ〜〜康子!お前なんてことを!」
駆け寄ってきて浩司に捕まっている女性を引っ張って腕をホールドする。
「芝さん…どう言うことですか、真衣ちゃんが何をしたって言うんです?」
床から立ち上がった真衣子は、頬を抑えてその場に立っていたが、浩司に控え室で頬を冷やしておくといい、と言われスタスタと控え室へ向かった。
叩かれて泣いていないのは流石だなと、瞬時浩司は思っていた。
「いや、ほんとすまない。ちょっとした口喧嘩だったんだが〜妻が誤解してなあ〜真衣ちゃんごめんな〜」
歩いてゆく真衣子の後ろ姿にも声をかけたが、真衣子はその声に手を挙げて応えて控え室へ入っていった。
「離してよ!大体あんたがこの店にいる人の話を出すから!どの子なのよ!」
「あ、あの!お客さんがいらしゃいます。ちょっとここへ腰掛けて話をしましょう」
至がすぐ側のテーブル席を示して椅子を引く。
芝さんが奥さんを奥へ座らせて、自分も席についた。
「じゃあ僕、ちょっと真衣ちゃん見てくるから話聞いといて」
至は浩司も座らせ、そう言って控え室へと向かっていった。
芝さんにしてみたら『え〜〜至くんいっちゃうの〜〜?浩司くん怖いんだよ〜〜』
と、内心思いながら、両足をがっつり開いて座り、腕を組んで背筋を伸ばして二人を見ている浩司をチラッとみる。
「いったい何があったのか、冷静に離してもらいましょうか」
芝さんの奥さんも浩司の圧に少しは冷静になったのか、小さく息を吐いて怒りで上がっていた肩を少し下ろした。
「今朝ね、ちょっと妻の機嫌が悪くて俺への当たりが強かったから…ついこの店に行って癒されてこようかなって言っちゃってね。お前と違って優しく微笑んでくれる人が俺にだっている…なぁあんて言っちゃったらさあ…」
奥さんがその言葉に芝さんを睨みつける。
浩司の眉もぴくりと上がって
「なあぁあんて言っちゃったらさあ…じゃないんですよ。お客さんもいる中でこんな…」
芝さんがビクッと肩を振るわせる。
「奥様も…お怒りになるのはわかりますがいきなり叩くのってどうなんですか…」
確かに血が昇っていたとはいえ、最初に見た人間をぶっ叩くと言うのもちょっと早計すぎたなと下を向いた。
「愛されてますね、芝さん」
至がコーヒーをテーブルに置きながら言ってきた。そして浩司の隣に座ると
「真衣ちゃんの頬はそこまで腫れていませんし、本人も精神的ダメージは受けてませんので大丈夫です」
奥さんは胸を撫で下ろし、
「すみませんでした…」
と頭を下げた。
「だから言ってたじゃないですか〜奥様に優しくしてあげてくださいって」
さりげなく『至くんの顔を見ないと』と言う言葉は除いて、至は声をかけた。
面目ないと頭をかきながら、芝さんは恐縮する。
「まあ…事情はわかりました。芝さんなので今回はこれでお仕舞いにしますが…」
浩司は少々高圧に語気を強めて
「2度と無いようにしてくださいね」
と告げ、小さなため息と共に席を立っていった。
「はい、済みませんでした」
奥さんと二人して声を合わせ浩司に頭を下げて、芝さん夫妻は浩司を見送る。
「至くん本当にすまなかったね。真衣ちゃんにはまた改めてお詫びに来るから」
「本当に申し訳ありませんでした。頭に血が上ってしまって、今となってはお恥ずかしいです」
「奥様がお怒りになって、芝さんが追ってくるなんてお二人がお互いを思い合っているって言うことじゃないですか。暴力はいただけませんが、仲良くなさってくださいね」
いつもの至の笑みに、芝さん夫婦も気持ちが和らいだ。
「コーヒー、冷めないうちにどうぞ」
奥さんは『なるほど、この微笑みね』と思いながらコーヒーを口にして、その微笑みがそのまま味になったようなコーヒーに驚いた。
「美味しい」
「ありがとうございます」
「な、美味いだろ?お前もこの店に来てやってくれな」
芝さんもコーヒーを啜りながら、奥さんも常連にしようとしてくれた。
「食事も、軽いものですけどおいしいです。お友達と是非」
至スマイルをより強化して、常連客ゲットに走る経営者であった。
「真衣子、はいるぞ」
「はい」
返事を聞いてから、浩司は控え室へ入った。
「大丈夫か?」
「全然大丈夫ですよ、咄嗟に顔引いたのでそれほどバッチリ当たってなかったんで」
至が渡したのか、小さな保冷剤をタオルで包んで頬にあてていたが、浩司の顔を見て笑う。
「それならいいが、びっくりしただろメンタルは?」
「それも全然平気です。びっくりはしましたけどね」
浩司はかいつまんでことの成り行きを話し、それを聞いた真衣子はゲラゲラ笑ってくだらない〜〜とお腹を抱えた。
「それって至さんのことですよね、ああおかしい。あの至スマイルを引き合いに出すのは無しですよ〜」
「それはそうだよな」
真面目な顔で言う浩司にも笑いを誘発され、もう許してとほぼ悶絶で真衣子は笑い転げる。
「もう店長、至さん好きすぎ」
またツボに入られたと浩司は苦い顔をして、自分のタイミングでいいから戻れたら戻ってな といって控え室を出た。
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