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思い違い

モーニングのお客は引けて、ランチに向けて 皆で準備を始める時間になった。 「あれ、ないな」  浩司が冷蔵庫を覗いて中を確認しながら呟く。 「バターって昨日発注しなかったか」  夕方発注して、次ぐ日の早朝に裏入口に置いてくれるシステムになっている仕入れ状況だが、生物とかは氷につけて発泡スチロールに。バターやチーズ等は保冷バッグに保冷剤と共に置かれていたはずだが…昨夜の注文票を確認すると、 「無い…やっちまったな…」  バターは結構使う食材だ。 「わたし買ってきますよ、そこのスーパーで」  控え室から出て芝さん夫妻に謝られた真衣子は、大丈夫ですと笑って見送ったあと、気丈にも業務へと戻っていた。  その芝さんご夫婦を見送る際に真衣子は 「駅前のアンジェロっていうお店のマドレーヌがね、至さんの作るマドレーヌに負けないくらい美味しいんですよね」  とそう言って、ーあ、ただの情報ですからーとにこやかに微笑んだのだ 「ま、真衣ちゃん」  至は焦ってオロオロしたが、浩司は『強いな真衣子。いいぞ』と見守っていた。  まあその日のうちにアンジェロのマドレーヌが箱詰めで届くのは余談。 「頼めるか、悪いな。至、金渡してやって。5本くらい頼む」 「わかりました〜」  至とともにレジへ向かい、数千円を預かって真衣子はお使いへ向かう。  そんな時、時間指定でもしていたのか浩司のスマホが鳴り厨房で受けていた。 「はい、あ、お世話になってます。大丈夫です」  何の気なしにレジのお金を確認しながら聞いていた至だったが、 「じゃあ、今度の休みの火曜日に、はい検査ということでわかりました。何日かかかるんですか?とりあえず1日で終わるんですね。わかりました…」  検査という言葉を聞いて、至はカウンター奥へ顔を向けた。 「何の電話…」  カウンターまで走ってゆき、ぶつかるようにカウンターで身体を止める。 「あ、聞こえたのか。今度の休みに生体肝移植の話を聞きに行くのと、俺の身体をそれに耐え得うるかの検査をな」  インゲンを茹でている鍋を菜箸で混ぜながら、何でも無いことみたいに言う浩司に至は一気に怒りが上がってきた。 「ねえっ!勝手なことするなよ!なんだよ浩司の検査って!」 「お前に肝臓をやるための検査だけど」  インゲンが湯気を上げながらボールに上げられて、浩司の顔が湯気で隠れる。 「もう移植するの決まってるみたいに言うな!僕はまだ移植を承諾した覚えはない」  その言葉に今度は浩司が眉を顰めて至を見た。 「しないつもりなのか?」  至の状態で移植をしないと言うのは、結果は1つなのだ。 「お前…移植をしないことがどう言う意味なのか解ってるのか…」 「わかってるよ…でも浩司に肝臓をもらうなら僕は…」  自分で考えて背筋が氷りそうになったことを思い出し、今それを自分が言おうとしていることにまた身体が急激に冷え、両手で身体を抱きしめる。 「おい至。何を考えてる。お前まさか」 「僕は…浩司から移植を受けるのは…」  ガタガタ震え出し、声も小さくなってきた至に浩司は駆け寄って 「大丈夫か、ちょっと座れ」 「離せ!僕の気持ちも知らないで何でそんな検査とか!僕は…」 「こんにちはー」  カランとカウベルがなって、店の入り口が開くとチノパンにおもしろTシャツを着た一馬が元気よく入ってきた。  カウンター前で自身を抱きしめるような姿の至の背中に手を置いている浩司の姿を見て、一馬は一瞬凍りつく 「え…あの、お取り込みちゅ…でしたか…?」  妙な勘違いをする一馬は、とっさにドアノブに手をかけるが  「待って待って違う違う」  と止めたのは至だった。 「いまちょっと目眩しちゃって、支えてもらってたんだ。もう大丈夫だから」  引き攣った笑みを浮かべ、一馬が来ることを一瞬でも失念していた自分を恨む。 「え?大丈夫ですか?俺出直しましょうか?って、顔色めっちゃ悪いです…ほんとに」  窓際の席へ促されながら、一馬は出直しますけど、と帰ろうとするが 「本当大丈夫、待ってて今コーヒー持ってくるから」  だいぶ元の笑みに戻り、至は奥へいってコーヒーの準備を始めた。  浩司は元の仕事に戻って、黙々と作業をしている。  一馬はふと考えた。入る直前に聞こえた至の『僕の気持ちも知らないで検査とか…』と言う言葉。 『誰かどこか悪いのかな…』  一応紙に刷った状態のものと、ノートパソコンを開いて確認してもらう準備を始めながらそんなことを思う。 「ごめんね、最近ちょっと体調がね。もう大丈夫なんだけどたまにあるんだよ〜やだね〜歳かな」  あははーと笑いながらコーヒーを置いてくれて、一馬の前に至が腰掛けた。  まあ、本人がそう言うなら…と一馬は早めに切り上げようと思い、まず話を始めることにした。  3枚のカードの見本が刷ってある紙を渡して、説明をする。 「一応前のカードに倣って、こんな感じのオレンジ基調のやつと、真ん中のは気分を変えて色を思い切って青を基調に、それでもレトロ感を残しつつやってみました。で、3枚目は、ちょっと絵を入れて今までとは全く違った感じのちょっと写真ぽいやつです」  紙に印刷したものを見せられて、至はじっと考えた。  一番惹かれたのは、3枚目の絵だった。  ハチドリがホバリングしながら花の蜜を吸っている様子が油絵のように描かれていて、そこからグリーンのグラデーションで右の方へ色が濃くなって行き、ロゴや小さなカトラリーが可愛く並んでいるものだ。 「この3枚目の…すごく良い。何だか飾りたくなるような、そんな感じがしていいな」  ショップカードのあるあるとして、貰った人は割とお財布に入れっぱなしにしたりすることが多いと思っていた一馬は、今至が言ったように家で飾って置けるような絵にしたらいいのかもなと考えて作った3枚目だった。  至がその意思を汲んでくれて、今、少し嬉しい気持ちになっている。 「ちょっと絵画調になりすぎてる気もしますけど、俺もこれはちょっと自信作です」 「本当、良いよこれ。さすがだねえ〜」 「いやあ〜気に入っていただけて嬉しいです〜。それ色違いも考えてて、花を藤にした場合こんな風に右側紫を徐々に濃くしてく感じとか、この赤い花だったら赤を濃くしていく感じで花の色に合わせても良いかなって」  とノートパソコンに画像を映し出した。 「この最初のは何でグリーンに?花は黄色だよね」 「ああ、それは黄色は濃くしてもあまり映えないし、今までと系統が似ちゃうかなと思って葉の色に合わせたんです」  なるほど。と至は紙のほうと画面を見比べていたが、 「僕は…最初のグリーンが好きだなぁこれ本当いい。確かに絵画調が強いかもだけど、それがまたいいね。ほんとこれは、もらった人が壁にピンで止めてくれたりしてくれそうな感じがする」  至が気に入ってくれたことが一馬には嬉しかった。  「コーヒーいただきます」  せっかく出していただいたので、冷め切らないうちに飲みたい。  ここのコーヒーは俺でも飲めるから好きなんだよね。美味しいって思える。 「吉田さんの方でご要望とかないですか?本来ならそちらが優先だったんですけれど」  紙の見本とノートパソコンを見比べていた至は、 「思ってたのはね実はあったんだけど、この緑のハチドリのがねすごくいいなって思って」  紙を目の前に持ってきて、じっと見つめた。 「まあちょっと油絵風になり過ぎてるので、そこは修正できますよ」 「え、描き直すの?」 「いえいえ、エディターでどうにでもできるんです。まあ基本の絵は描きますけど、それだけあれば、絵画調や劇画風にも漫画風にもできますよ」  試しに…とそのカードを劇画調にして見せると、なかなかハードなハチドリが現れて、至は吹き出した。 「面白いね、僕なんかはパソコンは見るだけだけど、こう言う風にも使えるんだね。一馬くんかっこいい」  かっこいいのはパソコンですって、と照れてコーヒーを啜る。 「僕からは何も言うことないや。さっきの油絵風のやつで進めていってもらいたいと思うよ」 「本当ですか?俺の案でいいんですか?」 「何自信の無い事言ってるの、すごく素敵だよこれ」  印刷された用紙をまじまじと見て、何かいろいろ考える。 「このカードがさ、来てくれた人の部屋に飾られるといいなって本気で思うよ。優しいいい絵だね」  たった今冷戦状態の浩司との事を思って、至は絵を見つめた。  どうしたらいいのかな。ちゃんと話すのがいいのかな、でもな。  の堂々巡りな気持ちが、この絵でなんだか軽くなった気がする。 「わっかりました。じゃあこのカードを一度俺なりに仕上げてまた持ってきますね。明後日あたりお時間どうですか?」 「うん、平気だよ。店は火曜日が休みだから、それ以外なら全然オッケー。じゃあこれ」  見ていた紙を一馬に渡そうとしたが 「これ見本で置いて行きますよ。何か変えて欲しいこととか、何かあったら連絡ください」  と一馬は自作の名刺を渡した。 「またクリエイティブな名刺だね〜」  小さくてカラフルな直角三角形モザイク状に重なって周りを縁取り、その真ん中に『八代 一馬』という名前が面白いフォントで印字されていて、下に携帯番号が書かれているだけのシンプルな名刺。 「目立ってなんぼなんで」  へへっと笑って一馬はノートパソコン等をしまい始めた。 「お昼近いし?食べて行ったら?」  とのありがたい至の言葉だったが 「今からそこの東郷に行かないとで」  リュックのファスナーを閉めて、食べたいんですけどねーと言いかけた時に浩司がミートスパゲティとサラダとスープが乗ったトレイを持って立っているのが目に入る 「東郷?どこか悪いのか?」 「え、矢田部さんそれ」 「どうせならと用意していたんだが、時間はないのか?」 「いえ、11時15分が予約で…」  時計を見るとまだ10時半 「なんだ時間あるじゃないか、もし絶食検査とかでないのなら食べていけ」  トレイをテーブルに置いて、去って行ってしまう。 「え〜いいんですかぁ?」 「それはいいんだけど、ちょっと強引でごめんね。どこか悪いの?無理じゃないからね」  至が気を遣ってくれるが 「いえいえ、大したことじゃないんですよ。俺腎結石持ちで、月一で破砕術っていうの受けに行ってるんですよ」 「破砕術?手術なの??毎月?」 「術って言っても手術とかじゃなくてね、こう…腎臓に直接超音波を当てて中の結石を破砕するんですよ」 「砕くっていうこと?」 「そうなんです。それをしないと本当大変で」 「腎結石ってものすごく痛いって聞くよね」 「もうのたうちまわりますね。でも、こうやって毎月破砕していれば、石が小さくなってそのまましっこで出ちゃうんです。これが破砕しないと、尿管に詰まったり、ひどい時は…」  声を急に潜めて 「ちんちんにはいったりして、そうなったらもう」  至の顔が瞬時に痛い顔になる。 「想像つくでしょ、男ならね…」  しんみりとした顔で一馬も痛い顔をしてため息をつく。 「なので、そうならないための予防でね、毎月通ってるんです」  せっかくなのでいただきます〜そういって、フォークを手に取りまずサラダ。 「僕はなったことないから言えないけど…人に聞くと本当に痛いみたいだし…その、ちんちんに入り込むって初めて聞いてちょっとゾッとするね」 「自然にしっこと共に出ちゃう時もあるんですけど、それだって通る時にね…めちゃくちゃ痛いから」  なんで痛い話してんだ俺、と笑って一馬はスパゲティに手をつけた。 「あ、なんか前押さえちゃった」   至が笑って手を浮かせる。 「わかりますよ〜そんなとこ痛いなんてあまりないですしね」  一馬も、大輔もこの話するといつも押さえてますと笑った。 「うちの父も結石持ちですが、長年患ってると痛みに耐えることができるようになるそうですよ」  真衣子が急に話に入ってきて、2人は一瞬飛び上がった。 「そんな集中して話す内容ですか?私ちゃんと戻りました〜って言いましたよ」  変なとこ押さえちゃって〜と言いながら浩司の方へ歩いて行く後ろ姿を見て一馬はチュルンとスパゲティを吸い上げる。 「真衣子さんて…怖い人ですね…」 「多分、浩司より怖いかもしれない…」  逆らわないようにします…と一馬は心に決めた。 「そう言えばね大輔が面白いこと言うんですよ」  ん?っと聞き返すと 「俺の腎結石は別段移植なんかする必要のないものなんですけどね」  移植と聞いて至はドキッとした。なんてタイムリーな言葉…。 「大輔は…あ、俺の結石は片方の腎臓だけなんですよね、それなもんだから『俺の腎臓1個一馬にあげようか?』なんて軽く言ってくれちゃって」  そう言って笑っている。  やっぱりみんな同じようなこと考えるのか…大輔くんも一馬くんの事大好きだもんな 「でもね俺思うんですよ。俺の場合は移植は全く必要ないんですけど、でも大輔の腎臓が俺の中で息づいてるって思うだけで…なんて言うか…他の人にはできない繋がりっていうか…なんかこう…幸せじゃないですか…?」  一瞬目の前がスパークした気がした。 「俺、そんなこと考えてたらめっちゃ嬉しくなっちゃって、別段必要ないけど貰っちゃおうかな〜なんて不謹慎なこと考えて…あ〜ごめんなさい 変な話しちゃって恥ずかしっ」  モリモリスパゲティを口に放り込むその頬が薄らと赤い。  至は、そんな一馬を呆然と見つめてしまった。なんて素直な…感情…。好きな人の一部が自分の中で…息づく…それは一馬が言うように究極の… 「わかりにくいですよね。っていうか、移植とか急に変な話しちゃってすみません」  黙り込む至が気を悪くしたんじゃないかと、一馬は顔を見てフォークを止めた。 「そうじゃないんだ…ごめんね黙っちゃって。なんかね…一馬くん…ありがとう」 「え?」  いきなりそう言われれば誰でも戸惑う。 「え?え?吉田さん?なな泣いてるんですか?俺なんか悪い事、え?え〜」  自分は、なんて我儘な…そして自分の事だけしか考えてなくて…一緒にいられない権利なんて誰も言ってないのに自分で決めて縛られて…こんなに…自分の中に愛する人を取り込んで、生涯繋がることができることを…考えもしなかった…。  こんなに嬉しい事… 「よ…吉田さん…」 「至でいいよ。うん、ごめんね。なんかね…ありがとね」  無理に笑って至は顔をあげた。  顔色はさっきより全然いいけど…  その様子を真衣子が見ていて浩司に告げると、浩司はカウンターから出てきて 「どうした?」  と優しく至の肩に手を置いた。至はその手に自分の手を重ねて、大丈夫と小さく言う。  一馬は浩司まで出てきてしまったものだから、あせってしまって2人を交互に見ながら 「なんか…悪いこと言っちゃいました?…おれ…割と考えなしに…」  モゴモゴと言いにくそうに言い出すが、至は 「言ったよ、悪い事。もう!ちんちんに結石なんて話するから〜」  笑ってちょんと一馬の肩を押して、泣き笑いをする。 「なんの話だ…?」  浩司のあたまに『?』が飛び散る。  泣き出した至を心配して出てきてはみたが、いきなり聞かされる言葉が『ちんちんに結石』と言う、なかなか痛そうなキーワード。   至はもう、7歳も年下の一馬にやられた感でいっぱいになっている。 「え〜〜?そこですかぁ?ちょ、そこにこだわりすぎてません?」  一馬はなんだかちょっとほっとした。泣くほどの事だったのかはわからないけれど。 「そうならないように、病院へ行ってるんですよー。俺は平気です。もし痛くなったら、現状を電話で実況中継しますから」 「いらな〜い」  そう和やかに笑い、それから暫くして一馬は病院へと向かっていった。 「ちんちんに結石ってなんだ?」 「文字通りのことじゃないですかー?」  後ろを通りかかった真衣子が浩司にそう言って、それを聞いた至が声を出してわらう。  そして、 「ちょっと話してもいいかな…」  と控え室を指差して浩司に言った。 「あ、じゃあ30分ほどクローズ出しておきますね」  気の利くバイトなのだ。真衣子は。 「頼むね」  と言って、2人は控え室へと入っていった。
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