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決断
部屋へ入って至は、置いてあるパイプ椅子へ座りぐったりと肩を落とした。
「話ってなんだ」
折りたたんであったパイプ椅子を広げて、膝がつきそうな位置へと浩司も座る。
「参っちゃったよ、ほんとにさ」
おでこに右手を当てて、至が首を振る。
「7歳も年下の子に気付かされちゃった。僕は、大事な事を思いつけなかったよ」
なんの話だろう、と浩司は黙って聞いていた。
「ねえ浩司、僕ね…勝手に1人で思っていたことがあってね…ん…思い込んでたの方が正しいか」
顔をあげて浩司の両手を握り込む。
「浩司を家から連れ出して、きっと矢田部のご両親は僕を憎んでるだろうと思った。でも、その憎しみを受ける代わりに僕は浩司と一緒にいられる『権利』を所有したと思ってたんだ」
「権利…?」
「そう、一緒にいる権利。憎まれたままじゃ自分が可哀想だとでも思ったのかな。バカだよね。そんな権利なんて最初からないし…自分が一緒に居たいからいるのにさ」
「あの時は…怖かったろう…。あんな思いをさせて俺はずっと申し訳なく思ってる」
至は首を振った。
「ご両親の気持ちは十分にわかるから。うちの親なんて浩司に会いもしなかったじゃないか…会ってくれただけ矢田部のご両親の方がいいよ。でも…一緒にいる権利は確かに自分にあるって思ってた」
浩司の手をぎゅっと握って、そして愛おしそうに撫でる。
「一馬くんは、腎結石の持病を持ってるんだって。毎月一回石の破砕術っていって、東郷病院でそれを受けにいってるらしいんだけどね、それを見た大輔くんがすごく簡単に『俺の腎臓一個あげようか』なんて言うって笑ってたんだ」
浩司の手がピクッとして、至の顔をみた。
「タイムリーでしょ。一馬くんは移植っていう言葉を使って話してたから、僕はちょっとびっくりしたよ」
撫でていた手を見つめていた至は、顔をあげて自分を見ていた浩司と目を合わせる。
「でね、僕はそこで一馬くんに驚かされたんだ。『好きな人の一部が自分の中で息づいてるって…すごく幸せじゃないですか?』って言うんだよ彼」
至の目に涙が溜まっている。
「こんな大事なことに…僕は気づけなかったんだよ…。僕は…浩司から肝臓を貰ったら、一緒にいる『権利』が無くなっちゃうって…そればかりを必死に守ろうとしてたんだ…」
バカだよね…と瞬きを一つすると、涙が溢れ出てきた。
「至…」
「だから…その権利が無くなっちゃうなら…移植なんか受けないで…ってそればかり思ってた」
浩司は握られた手を優しく解いて、そして至をそっと抱きしめた。
「それであんなに頑なに嫌がってたのか…俺の両親の事が…ずいぶん至 を苦しめていたんだな…すまない…」
至は肩口でまた首を振る。
「謝らないで。浩司を奪われて、その上身体の一部を失くすなんて…矢田部のご両親には酷い悲しみでしかないだろ。その苦痛を味あわせてしまったら、僕の権利がなくなると思っちゃっただけだから…そんな存在しない権利が無くなると僕が思っちゃっただけなんだから…謝らないで…」
浩司は唇を噛んだ
「俺だって俺の気持ち押し付けて、お前の意見も聞かずに俺の肝臓をやることしか考えてなかった。こんなに苦しめてたなんて…気づかなくて情けない」
抱きしめる手に力がこもり、至を引き寄せ立ち上がって抱きしめた。
「浩司…」
「ちゃんと話そう。移植のことやお前の気持ちとか。少しこの事に関して俺らは会話が足らなかった」
至は少し見あげる形になった浩司の首に手を回して見つめた。
「うん…本当にそうだったよね…。なんだか2人で勝手に考えちゃってたね…なんでかな…」
長めの髪が頬を伝って流れる。綺麗な髪色だ。
「なんでだろうな。今になってみると本当にわからんな」
「ね…」
そう言って浩司の手が至の腰に当てられて少し抱き上げられる形となり、それから深く唇が合わさった。
少し長めのキスをちゅ…と音をたてて終わらせると、じっと見つめあって
「そういえば…してもいないね…」
などと至がはにかむように微笑む。
「そういえば…だな。1週間くらいか…」
頬にキスをして、腰の手をあげて髪を撫でた。
「じゃあ…今y」
コンコンコン!30分で〜す
真衣子がドアをノックして声を上げた。
2人はその声に笑ってしまい、
「はいは〜い、今行くよ〜」
と浩司から離れてチュッと軽くキスをした至は、先に行ってるねと笑ってドアをでた。
「バレてたか…」
1週間も間を空けたことのない行為を思い出し、浩司の下半身がほんの少し反応を示してしまっている。
「俺も案外若いな」
そう呟いて少し落ち着くのを待つために、椅子に座ったまま目を瞑った。
浩司の上で喉を反らせると、そのタイミングで下から突かれる。
その度に上がる甘い声が浩司は好きだった。
調子に乗って何度か立て続けに突き上げると、断続的に声を上げた後 『もう!』と睨まれてしまう。
至は前へと倒れ込んで浩司と胸を合わせ、耳元で
「今日は…激しくして…ほしいな…」
いつもは浩司からの申し出なのだが、今回は珍しく至からのお誘いだ。
至の身体を考えて、普段はゆったり目の行為が多いが、時々思うままにする時もあったりする。
「身体は平気か?」
「僕はいつだって平気なんだ…よ…?本当はさ…ぁ」
浩司に乗り掛かってはいても突き上げが止んだわけではなく、突かれながらの快感を感じて言葉を継ぐ。
「わかった…」
短く答えた浩司は、そのまま至の腰と肩を抱きしめ
「掴まってろ」
と言いながら身体を反転させてしまった。
「あっくぅ…」
挿入しながらのその行為は、至に少し苦痛を与えてしまったが、それさえもが高揚の材料になる。
至を下に組み伏せた浩司は、
「いい顔になった…もっと見せてくれ」
と腰を揺らし始め、いつもよりも激しく至を責め始めた。
店から戻ってすぐに一緒にお風呂へ入り、そこからずっとイチャイチャしていた2人は、11時になろうと言う時間にお腹が空いてしまった。
運動もしたしね…。
「こんな時間だから、雑炊でいいな」
浩司が市販のスープの素と冷凍してあったご飯で雑炊を作り始め、至はレタスをちぎって簡単にサラダを作り始めた。
「ちゃんとしたものじゃなくて済まないな」
雑炊に卵をを落としながら浩司が謝るが、
「そんなの気にしないで、僕だってこれからインスタントでコーヒー淹れる気でいるし」
お互いプロとしての仕事放棄だなと笑い合って、リビングのテーブルへ鍋と器、サラダとお水を持って行った。
「年甲斐もなく盛 りすぎちゃった」
雑炊を盛 って浩司に手渡しながら、流石にちょっとね…と至は反省風。
「今まで1週間あけたことなかったからな…ちょっと欲しがり方がお互い半端なかったな」
浩司も苦笑して器を受け取り、サラダにドレッシングをかける。
「新婚さんみたいだね」
そう言って照れ笑いするが、浩司は
「いや、新婚は毎日らしいぞ。昔バイト先の先輩が言ってたんだ」
毎日は俺でもちょっと…と続けるが、
「一緒に住み始めた時…毎日だったよ?」
至が雑炊をふうふうしながら、目だけで浩司を見た。
「俺も若かったからな…」
再び苦笑して、浩司も雑炊を口にする。
「それで…至 は決められたのか?移植…」
食事しながらする話でもないとは思ったが、時間的に食後にじっくりもできなくなってしまったから仕方がない。
「若い子っていうか…一馬くんの言ったことが凄く響いたんだ。考えてみたらその通りだよね…」
愛する人の一部が、自分の中で息づく…
一馬の考え方も独創的かもしれないが、でも本当にその通り過ぎて驚かされた。
「さっきも言ったけど…浩司と一緒にいられる権利に…そんな無いものに縛られてた自分が本当にバカらしくなったよ」
至は否定したが、浩司は自分の親が原因であることは解っていた。
自分にも、自分の父親が至を居丈高に怒鳴り散らす光景は衝撃的だったから、そんな気持ちにさせてしまったことは今でも申し訳ないと本当に思っている。
でもそれを言ったところで、多分至は受け入れないだろうから、黙っておくことにした。
「移植は…しようと思うよ…」
浩司は深く息を吐き、やっと言ってくれたと安堵する。
「でも僕もネットとかだけどちょっと調べてみたんだけどね、やっぱり少し怖いよ。術後の免疫不全とか拒絶反応とか…の可能性もね…あるから」
確かにその可能性は決して低くはない。怖いのも無理はないが、今ここでネットの情報(とは言えちゃんとした医療機関の記事ではあるが)だけをみて考え込むよりは、直接話を聞いた方がいい。
「今度の休みの日に、俺が行く検査に一緒に行って先生から直接話を聞いてこよう。実際に言葉として聞けば、気持ちも柔らぐかもしれないしな」
「うん。色々あるんだろうけど…ちゃんと受け止める。一緒に進んでこうね」
「ん…」
随分と前向きになってくれた。浩司は今はそれでよかった。
色々本やネットで調べると、自分が肝臓を至にあげられる確率はそんなに高くない。
血液型は共にAでそこはクリアだが、血縁者が優先で、そのあとは配偶者。この1番きつい言葉『配偶者』が心を縛る。
移植の現場において浩司はただの『知り合い』か『友達』と言う枠でしかないのだ。
それも、直接質問をさせてもらって、そこをどうクリアするかをまず考えなければならない。
「脳死肝移植も一応申請させてもらえるかも聞いておこうね。もし…浩司ができなかった場合は、そこに頼るしかないからさ」
ーご馳走様でしたーと手を合わせて至は器とカトラリーをもってシンクへ向かった。
「結構食べたな」
見ていた限りおかわりして2杯食べていた。食が細いので日々心配しているのだが、今日は結構食べたので安心した。
「お腹すいてたし、美味しかったからね」
インスタントでも浩司の手が加わると美味しいよーと言ってくれたのでお返しに「インスタントでも至の手を加えたら美味しいコーヒーもらおうか」
と言ってみると、
「うっわ!いじめ?」
と言われる。『納得できねー』と内心思いながら、残った雑炊を全部やっつけるべく3杯目に手を出した。
「あと、切実なのは費用だよね…」
生体肝移植の場合、ドナーにもそれなりの費用がかかり、この2人だと一辺に2人分がのしかかってくるのだ。
「保険もきく場合もあるみたいだからその辺りは病院で聞いてみないとだが、まあ行政の救済制度とかもあるようだし、色々調べて相談してみるのもいいかもしれないな」
「貯金はきっと全部無くなっちゃうだろうね」
至がキッチンの棚に隠してある通帳を取り出してみてみる。
持病もあるし、色々な行政サービスも受けられない自分たちだから、節約をして少しでも貯金を増やすことを考えていた。
「どのくらいあるんだ?」
「500…ちょっと」
その金額だと、保険がきいた後の支払いくらいだ。
「随分頑張ったな、俺たち。でも一瞬だな」
浩司も苦笑するがそれは仕方がない。
「元気になって、また頑張ればいいしな」
うん、とうなづいて通帳をしまう。
「頑張るで思い出したけど、そうなると店はどうなるかな…2人で入院する期間が絶対あるし…」
ポットでお湯を沸かし、1分半のタイマーをつけてちょっと待機。インスタントコーヒーは、沸きたてよりも90度くらいのお湯が適温なのである。
「明日、とりあえず真衣子には話しておこう。休むとなると彼女の仕事にも影響出るし、他所へ行かれるのも困るが、本人が望んだら止められないしな」
「そこなんだよねえ」
真衣子は物覚えもいいし、やっとお客さんに出せるコーヒーを入れられるようになってきた。まだまだ覚えてほしいこともあるし、至も手放したくはない人材だ。
サービス業としての質も高いから、浩司も買っている。
タイマーがなって、至はカップに入れておいたコーヒーの上にお湯を注ぎ、スプーンでよく混ぜる。
「はい、僕が手を加えて美味しく入れたインスタントコーヒーだよ〜」
と言ってテーブルへと持っていった。
ー根に持たれてしまった…ー内心ヒヤヒヤとコーヒーをいただくが、でもやはり美味い。
『至が淹れてくれるコーヒーはどんなでも美味いよ』という悪手を打たなかっただけ学習している浩司であった。
次ぐ日、至と浩司はモーニングが終わった後真衣子に話をすることにした
まだ詳しいことも何も判ってはいなかったが、移植をする事と、それに乗じて店を休むかもしれないことやその間の真衣子の意見も聞かなければならなかったからだ。
「肝臓が悪いとは聞いていましたが、そんなことにまでなっていたんですか…」
真衣子は少し驚いたようだった。
そんな感じはしなかったし、いずれ移植も有りなんだろうなとは思ってはいたけれど、こんな急に話が出るとは思っていなかったから。
「うん、ちょっと色々あって話すのが遅くなっちゃったんだ。でもまだ近々の事でもないし、そう言うことが先々あるって言うことを頭に入れておいてもらおうかなと思って」
カウンターに真衣子と並んで座っている至と、カウンター越しに立っている浩司は真衣子の動向を伺っている。
「どうなるかは年内には決まると思うけど…まだ8月だし、もしもアルバイト先を変えるなら…さ、一緒に探してあげ…」
「辞めませんよ?」
「え?」
「私、ここ辞めませんから安心してください」
いつもの力強い真衣子スマイル。至スマイルとは目力が違う。
「嬉しいなそう言ってもらえると」
浩司が1番辞めてほしくなかったようだ。
このくらい気が強くないと、お店もやってはいけないからな、と思っている。
至もこう見えてがっつり気は強い方だ…。
「お話はわかりました。具体的な日にちとかが決まったらまたお話し聞かせてください。それまでには私ももっと成長して、至さんがいないお店を回せるようになってみせますから」
火を吹きそうな勢いで燃えている真衣子を、ちょっと引き気味に見つめてしまう2人。
自分らが居なくても店を開ける気満々で、なかなか頼もしくもある。
「ま、まあ気負わずにね」
至は宥めつつ、浅煎りの豆が減ったからローストしておいてね、と仕事を与えその熱量を分散させた。
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