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初動
次ぐ日になると、一馬が大輔と共にやってきた。
いつものランチ前の時間。
「いらっしゃい」
いつもの笑みで至が迎えてくれたが、大輔は入り口入ってすぐに『アンジェロ』の紙袋を差し出して
「先日、一馬が何か失礼なことしちゃったみたいで…すみませんでした」
と一馬とともに頭を下げてきた。
「え?なになに?別に何も…」
「あの日俺が帰ったら一馬がすごく落ち込んでて、『至さんを泣かせちゃった』と半泣きになってたんです」
あ〜、と苦笑いをして至は浩司を見ると浩司はカウンターから出てきてくれて
「少し話がしたいから、カウンターでいいかな」
今日はカードを仕上げて店にくる日だったので、そう聞いてきたが一馬は大丈夫ですといって、促されるままにカウンターへと赴く。
「仕込みしながらで悪いな」
と言いながら、作業を進める浩司にいえいえ、と手を振って、カウンターへ着いた。
取り敢えずお菓子は保留になったが、アンジェロと聞いて真衣子の目が光ったのを一馬だけが見逃さなかった。
「話って…」
真衣子が淹れてくれた浅煎りのコーヒーを頭を下げて受け取り、大輔は話を促す。
「あまり広める気もなかったんだけど、一馬くんに気を使わせちゃったからさ…一応話すけどあまり気にしないで聞いてほしい」
珍しく歯切れの悪い話し方で、至が話だした。
「僕ね、まだ具体的な日にちとかは全くなんだけど肝移植をするかもしれないんだよね」
移植と聞いて一馬が至を見返した。昨日不用意にそんな話をした記憶が蘇る。
「あ、俺…昨日」
「そう、昨日一馬くんに大輔くんが〜って話を聞いてね、僕はそれで移植を決意できたんだ。だから、一馬くんには感謝こそすれ謝られるようなことはなにもないんだよ」
「俺?」
大輔が自分を指して一馬を見た。
「ん、ほら一昨日破砕術に行ったじゃん?その話から大輔が『俺の腎臓やろうか?」って簡単に言うって言う話をしてたんだ」
それかぁ、と大輔は頷く。
「まあ、破砕術も結構かかりますし、もしそれができるなら、そして一馬が苦しまなくなるんだったら、って軽い気持ちでね…言ってたんですよ…言われれば深刻に悩んでる方々には失礼な話ですよね」
大輔は両手を膝に乗せて少ししょんぼり。
「そこはね、仕方ないよ。みんな知らない事なんだし、浩司もね僕に肝臓をくれる気満々なんだよ?」
「大輔くんと同じ気持ちだよ。そう思うよな普通は」
とちょっと横目で至を見る。
「僕がね、それを拒否しててさ…ちょっと揉めてたんだよ浩司とさ。そんな時に一昨日の話を聞いたから…」
ハハっと笑って至は申し訳ないと浩司に目配せをした。
「拒否?なんで…」
一馬が問う。自分なら待ったなしでOKだから。
「浩司のご両親の事考えちゃってたんだよね。でもそれはただの言い訳で、僕が浩司から肝臓をもらう事で、浩司の側にいられなくなるって…そんな妄想に囚われてたんだ」
浩司は黙ってジャガイモを向いている。
「でもね、一馬くんが『自分の体の中に好きな人の一部分が息づいてるって、幸せじゃないか』って言ってくれて…そこで僕は何か思い違いをしてるって気づいたんだよ」
恥ずかしそうな一馬に、大輔は背中を撫でて微笑んだ。ー可愛いこと考えてたんだな〜ー
「その通りじゃない?だって自分の中にいるんだよ?愛してる人の一部が。それは幸せだよね。」
「い…至、そこまで言わなくても…」
浩司の顔が明らかに赤くなっていて、周りの人間もちょっとどうしていいかわからない表情になっている。
「あ…あはは、なんだか興奮しちゃってた」
まずいまずいと真衣子が淹れてくれたコーヒーを啜って一息付く。
「まあ…そう言うことで…一馬くんには何の非もないから気にしないでくれ」
浩司が笑いながらそう言ってくれて、一馬も心底安心した。
「え〜じゃあこれはどうするんですか〜?」
アンジェロの紙袋を前に、真衣子がしょぼんとしている。
「それは貰えないから、持って帰って2人で食べて」
至がそう言うのに、真衣子があからさまにもっとしょんぼりするので一馬は居た堪れなくなって
「俺たち2人じゃとても食べきれないんで、じゃあみんなで食べましょうか」
と提案してくれて、その場で開けることとなってしまった。
「真衣子、少しは遠慮というものを…」
浩司に嗜められるが
「アンジェロじゃなかったら我慢します〜」
と悪びれない。確か先日、芝さんご夫婦をカツアゲしたのもそこのお菓子だったはず。貪欲なやつめ…と浩司が思ったかどうかは置いておいて、それなら…と至が真衣子に教えるついでにとマドレーヌ他焼き菓子を器にデコレーションすることになった。
「今日もランチ食べてってね。デザートにスペシャル出すから。おもたせだけど」
取り敢えず話も終わり、主題のカードの話に入る。
大輔は浩司と話を始めていた。
紙に打ち出してきたものを出して至に見せると、
「こっちがちょっと絵画調を緩めたもので真ん中が先日お見せしたもの、そして1番右が絵画調をより強くしたものです。どうしましょうね」
「絵画調強くするとモネっぽいね。透明感あってすごくいいんだけど…お店の雰囲気に合わないかもね」
「そうですか?」
「これ見てお店に来ようとしてくれる人って、もっとこう…カップが流線型だったりラスター彩みたいな色使いだったりするのを期待してそう」
ああ、たしかにね…と一馬も笑って理解してくれた。
「僕は最初のでいいかな。もうあれが一番いいって思ったから」
じゃあ真ん中ので決定ですね。と、絵の下に赤丸をつける。
店名のフォントですけど…
と色々専門的な会話がなされていく隣で、大輔は浩司に
「至さんて絵とかやっていたんですか?」
と聞いていた。
「やってはいないけど、なんか見るのは好きみたいだな。菓子作りとか、コーヒーの何かに役に立つとか言ってたが、俺には全く」
笑って肩をすくめる。
「俺も絵のことは全くです。浩司さんは何か趣味とかあるんですか?」
「筋トレかな」
見た目でわかります…と答えて筋肉質な腕や肩をじっと見つめた。
「ジムとか行ってですか?」
「ジムは、いく時間があまり取れなくてな。もっぱら家で腹筋やらアブローラーやらで」
「アブローラー!俺膝ついても無理なんですけど、できるんですか??」
大輔も持ってはいるが、半ば諦め状態である。
「できるけど、俺だって最初から出来たわけではないからな。まず膝付けてできるまで挑戦するといいぞ」
まだ会って何回もないけれど、大輔は浩司を尊敬し始めている。
色々あるんだろうけれど、あんなふうに至さんが笑っていられるのは浩司さんが安心させてくれているからだろうと思うから。
一馬も笑ってくれてるけれど、ずっとそれを守りたいと思ってもいる。
「仲良いよな、2人とも」
不意に浩司が言ってくるのに、
「俺たちですか?」
と戸惑いながら返答してしまう。仲がいいのは確かだけれど、そう見えてくれてるのも嬉しかった。
「嫉妬の嵐です私なんか。こんなイケメンに囲まれてるのに、全員カップルって世の中おかしいですよ」
真衣子が突然入ってきて、ちゃっかりフィナンシェを一つもぐもぐしている。
あははーと笑うしかなく、大輔は真衣子さんも可愛いですし、彼氏いないの不思議ですよね。と言ってみるがそれもまた禁句だったようで
「可愛かったらいますよね、ってことは可愛くないからいないってことにもなりますけど…」
ジトっと大輔を見つめる真衣子だったが、浩司に『絡むなよ』と言われてー冗談ですよぅーとカウンターの中に入り、スペシャルデザートの準備を始めた。
「じゃあ印刷所への手配はこちらでしますので、請求書が来ましたら、こちらへ回すってことでいいんですよね?」
「うん、そうしてね。あと一馬くんからの請求書も忘れないでね。領収書もお願い。解ってるだろうけど、あれに使うからちゃんと払ったほうがいいんだよ」
確定申告ね〜〜と顔を見合わせて嫌な顔をしてしまう。
「大輔はいいよね〜」
「それは仕方ないだろう」
困ったように大輔が頭をかき、ランチタイムも始まり店も賑やかになってきた。
浩司の検査の日。
検査中に至が病院にいる必要もなく、終わったあたりに連絡をもらい医者(先生)と話す時間をもらった。
たまたま空いていた至を見てくれている先生は、快くカンファレンスルームへ案内してくれる。
「移植を決断してくれてよかったです」
書類がいっぱい入っていそうなクリアファイルを持って、崎山先生は2人の前に腰掛けた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそです」
にこやかな先生は、まず一枚の用紙を2人の前に出す。
「こちらが脳死肝移植に関する説明書です。読んでいただければわかるのですが、登録にあたり脳死肝移植の必要性を問う検査を受けてもらうことになります。それは東郷病院 ではできないんです」
ーえ?ーと2人は書類から顔をあげた。
「臓器移植は専門の病院がありまして、吉田さんが移植をされるならその書類の裏に記載されている病院をえらんでいただき、そこで行うことになります」
2人で裏を返すと、日本中の27件の病院が記載されている。
「ここから比較的近い所だと、やはり東京の東大病院、慶應、女子医科大になりますか。そこに私から紹介状を出しますので、そこで脳死肝移植の登録に値するかの検査を受けてもらいます」
中々道は険しそうだ。
「吉田さんの場合ですと、普段普通に生活されていますので微妙なのですが、症状というか肝臓の状態は良い方向へは向かわないというのは検査でも出てますので、登録はできる…でしょうという感じですね。ただ順番と言ってしまうのは失礼なんですが、肝炎等もう少し重篤な病状の方々優先になると思います」
先生は真摯に対応をしてくれて、わからないことにもきちんと答えてくれた。
1時間ほどをかけて話し合い、帰る頃には浩司も至もちょっとグッタリしてしまう。
「手続きや検査が多すぎる…」
病院のロビーで一旦座り込み、浩司がため息混じりに言った。
「僕は受けるだけだけど、浩司に色々ありすぎるね…」
生体肝移植は、基本3親等内の姻族・6親等内の血族と決められていて、浩司が移植をするには移植倫理委員会とやらにかけることになるらしい。
突きつけられたのは『配偶者』というキーワード。
男女間なら、「結婚』という形でドナー決めが簡単に成されると言われ、2人は胸が痛んだ。
住んでいる自治体ではパートナーシップも行われていなく、移植の現場ではただの知り合い及び友達扱いなんだろうとはわかってはいたが、ここまで許されないことだと目の当たりにするとやはり辛かった。
「簡単では無いとは思っていたが…中々に険しいな」
「でも先生が色々と準備方法とか教えてくれたし、移植する病院のお医者さんとも連携が取れれば、とも言ってたから、早く動くに越したことはないね」
抜け道というものがあるわけではないが、姻族や血族以外の移植は金銭授受や強制などをはらむことも懸念されていて、そう言った意味で厳しくなっているのであって、ドナー本人の意志で行われるならそれは受け入れは易くなるらしい。
取り敢えずまず決めるのは、移植の病院だった。
帰る道すがら、至は
「姉と母に、移植のこと話すよ。浩司にここまで手間をかけさせるのに親が知らないのは違うと思うから」
別に血族に移植を求めるわけではないが、至にしたらここまでしてくれる人と一緒にいるということを伝えたいのだと思う。
どちらにしろ、両家共々の最初の行いは至の中に意外と影になっていることが今になってわかってきた。
浩司は自分の親の事で至が思い込んでいた件でそれに気づいており、どう支えたらいいのかは未だに答えは見つからないでいる。
自分の親はいずれにしろ、至の家族とは氷解できたらな…とは思うが、どうなのか。
移植を受けるほどの疾患を持った中で、姉と母親とつながっているのが、浩司には少し安心材料でもあった。
それから数週間。
移植を受ける病院も決め、脳死間移植登録に臨むための至の検査と、ドナーとなるために浩司の検査は滞りなく行われた。浩司の検査はまだ少し残ってはいるし、至の結果はまだ出てはいない状態のある日、姉からメールが入った。
それを見た至は、え??と呟き、カウンターの中の浩司へと走った。
「どうした?」
「これ」
スマホの画面を浩司に見せると、浩司も驚いた顔で至を見る。
「なんでわかったんだろう…」
少し震え出す至を浩司は背中をさすって宥め、
「取り敢えず…行かなきゃだな…」
と、背中をポンポンと叩いた。
「真衣子」
「はい?」
浩司は真衣子を呼んで、今日のランチは臨時休業すると告げる。
「時間はわからないが、夕方までには戻れると思うから、合鍵渡していく。午後は好きに過ごしててほしい」
「はい…わかりましたけど…どうかしたんですか?至さん震えてる…」
「真衣子には後で話す。取り敢えず急ぎになったから、ちょっと出かけてくるな」
「はい、お気をつけて」
急に具合でも悪くなったのか、と心配になったが、後で話してくれるというなら、それを待つしかない。
ー仕込んであったサンドイッチ好きに食べてていいぞーと言われたが、デザートもいいですかね…と 1人店に残された真衣子は、誰か呼んじゃおうかなと一馬の顔を思い浮かべていた。
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