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ハチドリの住処

 手術が終わって半年が経ち、夏も8月になっていた。  至もぼちぼち店には顔を出してはいたが、まだ対ウイルス用のマスクをし、大事をとってお客の前に立つことをしないでいる。  術後の経過は浩司も至も順調で、浩司は2週間で退院後そこから3週間で仕事に復帰していて、2週間ほど岸谷と芝さんの奥さんと一緒にやっていたが、それ以降は完全復帰で1人で切り盛りしていた。 「あまり無理しないでくださいね」  コーヒーを取りにきた真衣子が、楽しそうにドリップしている至に声をかける。 「うん、ありがとう。なんか楽しくてさ、浮かれちゃうね」  至の入院は3ヶ月かかった。  幸い合併症や感染症などもなく順調に回復していったが、浩司の激推しで最長の3ヶ月入院生活を余儀なくされた。  当時は『過保護だよねえ〜』と笑ってはいたが、おかげで回復度はマックスで退院できて、家での生活も何事もなく今に至っている。 「エスプレッソ2、ウッドの5番ですお願いします」  一馬もだいぶ慣れてきて、至を気遣いながらオーダー表を出してきた。  今はランチも終わったティータイム時間でそんなに忙しくはない。  至はブースの中の椅子に座って、エスプレッソの準備とカップを揃えていた。  その時 「朔弥さん。こんにちは。あれ、朝陽さんも」  と、真衣子の声が聞こえ、続けて一馬も 「お久しぶりです」  と話していた。  その声に顔をあげた浩司はカウンターから出て 「どうした、2人揃って。珍しいな。朔弥は仕事どうし…」  ホールにできるだけ出ないようにしてた至は、その光景をブースから見ていたが浩司の声が止まったのをきいてふと入口へと目をやると、ドクンと心拍が上がった。  そこにはだいぶ白髪の増えた、たった一度しか会っていないが忘れない顔の浩司の母親が立っている。夏羽織を羽織った着物姿であった。 「かあさ…ん」 「浩司、やっと会えたわ…」  浩司の母節子は、ハンカチで目を拭い、潤んだ目で浩司を見つめた。  至もホールの人数を確認する間もなく、入り口へと向かう。 「母さんがどうしても兄さんに会いたいって言うからさ、親父に内緒でね、連れてきた」  朔弥がそう言って、節子の帯のお太鼓の部分を押し、少し前へと送り出した。  「浩司…守ってあげられなくてごめんなさい。もっと早くに来たかったのだけど…」  節子は涙が止まらずに浩司へ縋ってきた。 「いや…いいんだけど…急にどうして…」 「肝臓の、移植手術のドナーになったと朔弥に聞いてね…心配をしていたのよ」  その言葉に至の胸がギュッとする。  朝陽やその奥さん心優さんと話した時は、確かに父親はもう気にするまいとは思ったが、母親の事を失念していた事に、今更ながらに気づいてしまった。  自分の母親が、元々疾患を持っている自分を心配するのはわかるが、何もない状態で手術を受けるという自分の息子のことを、心配しない親もいないだろう。  至は5歩ほど離れたところで深く頭を下げ、それ以上なにもできないでいた。  浩司はそれに気づき、 「取り敢えず2階へ行っててくれないか」  と何度か遊びに来ている朝陽に鍵を渡し、 「今のオーダー終わらせたらすぐに行くから」  と告げて、母親にー俺の家だから気兼ねなくーと声をかけて、朝陽と朔弥に表から上の部屋へと連れていってもらった。  頭を下げたままの至を優しく起こさせて 「大丈夫だから。お前は来なくてもいいよ」  と告げたが、 「ううん、行くよ。僕も話ししたいし」  と気丈に笑う。 ー無理はしなくていいーとも言ったが、大丈夫と言って、エスプレッソを作りに戻った。  数分後、2人がコーヒーとデザートを準備し終わってホールの2人を呼んだ。 「真衣子、一馬。悪いが軽食のオーダーはストップしておいてくれないか。ドリンクは任せる」 「わかりました」 「はい」  2人はそう返事をして、店を出てゆく浩司と至を見送ったが直後に 「お母さん綺麗な人ね!店長そっくり!」 「だよねえ〜なんて言うのかなキリッとしてる感じで、店長が女性になった感じ?」 「それはキモいわ」 「真衣ちゃん⁉︎ひど過ぎ!」  などと言う会話がされていた。   2人は3人分のコーヒーとデザートを持って部屋へ戻る。  階段を昇りながら、 「お義母さん…怒ってるのかな…勝手に手術とかしちゃって…」 「そう言う事に関して、後になって文句を言うような人じゃない…と俺は思ってるが…」   断言してやりたいが、この事に関しては浩司もなぜ母が来たのか見当もつかないでいるから仕方ない。 「俺が付いてる。朝陽も朔弥もいるから…大丈夫。無理だけはするなよ」 「うん…」  2人が入ると、リビングダイニングのソファに節子が座り、朝陽と朔弥はその両脇の床に座っていた。 「これは、至が淹れたコーヒーとやっぱり至が作ったデザート」  浩司がまず母節子の前にそれを置き、続いて朝陽と朔弥の前にも置く。  至は節子の前に座って、 「改めて自己紹介をさせてください。吉田至と申します」  そんな至を、節子は柔らかい眼差しでみつめていた。 「調理師専門学校で知り合って、同じ年の34歳です。バリスタの資格を取って、一緒にお店をさせていただいています」  と言った後、深々と頭を下げる。 「この度は、浩司さんに…」 「そのお話はもう少し後でね」  とやんわり至を止めて、ーえ…やっぱりだめなのかーと絶望的な顔をした至にやはり微笑んで 「まず、あなたのコーヒーを温かいうちに味わせてくださいな」  と言ってカップを取り上げた。  至の言葉を遮った時に、矢田部3兄弟の体がピクッと反応したがその後の言葉に緊張を解く。  朔弥にしてみても、顔を見に行ったら不意にー浩司に合わせてーと言われ、段取りをつけるために朝陽に相談をしてこの日に決めたのだ。  節子が浩司達に会って何を言うのかの検討もついていないのが現状である。 「美味しい…優しい味ね…お人柄が出ているようなお味です」  そしてデザートのプリンを口にして 「これも美味しいこと…甘さがちょうどよく品のある舌触りです…」  なぜか節子は涙を流していた。 「母さん?」 「お母さん」  朝陽と朔弥が驚いて声をかける。 「こんな美味しい味のものを作れる人が、浩司の傍にいてくれているのかと思うとね…」  再びハンカチで目頭を覆い 「至さん…浩司を支えてくださっていてありがとうございます」  とソファーから降りて、その場に正座をし頭を下げた。 「いっいえ!支えて貰っているのはこちらばかりで…今回の手術も…勝手にしてしまい…私のために体にメスを入れさせてしまい、ご両親には大変申し訳なく思っております」  至もラグに額がつきそうなほど頭を下げて言う。  節子は至の前までやってきて再びその前で正座をすると 「あの時は主人がごめんなさいね。あんな風に言う人で本当にごめんなさい。頭をあげてちょうだい、お願いだから」  と、至の肩に手をかけて、起き上がるように促した。  すぐそばで聞く節子の声は優しく、至はゆっくりと頭をあげた。 「息子が…浩司が、伴侶に内臓まで分け与えてあげられる子だと知り、私は嬉しいですよ」 「伴侶…」 「そうでしょ?あなた方は夫婦ですものね」  そう言って、節子は至の頬を撫で、そして肝臓のあたりへ手をおろし 「ここに…息子がちょっとだけいるの。だから、貴方も私の息子になりました。こんな母親ですけれど、どうか…母としていさせてくださいね」  至の頬にも涙が伝っていた。  こんな風に矢田部の家と話し合えると思ってはいなかった。  寧ろ手術前は失礼とも言える感情も持っていたくらいで…しかし本当に母親のことを失念していた自分が恨めしい。  母親は本当に深く子供を愛してくれる…。 「お…義母さん…至りませんが…これからもどうか…末長く…」 「お!結婚の挨拶みたいだな」  朝陽が鼻水を啜りながら場を和ませようと声を上げてくれた。 「もう、この子ったら」  節子も笑って、朝陽の膝を叩いた。 「寛人(ひろと)のことも、よろしく頼むよ〜母さん」  朔弥も同性の伴侶がいて父親を激怒させたが、自衛隊を辞めていないので勘当にはならないでいる立場上、意外と宙に浮いた感じが否めない。 「寛人(ひろと)さんとも今度お会いしないとと思ってるわ。母さん、お父さんの尻拭いばかりよ」  と笑った。そして朝陽にも 「心優さんにも会わせてね。孫ちゃんにも会いたいし」  と、朝陽の膝をもう一度叩いた。 「うん。ここから近いから帰りに寄ってって」 ーまあ急だわねーとこちらでも節子は笑ってくれた。 「母さん、ありがとう…ございます…」  浩司が至の隣で正座をして頭を下げる。 「いい方ね、至さん。さすが貴方が見込んだ方だわ。優しくて繊細で、そして強いわね」 「はい、敷かれてます」 「そんなこと言わないで」   肘でつついて至はバツが悪そうに苦笑いした。 「それで…父さんは…?」  浩司が1番聴きたかったことを素直にきいてみた。 「お父さんは…貴方達を決して許さないと思うの。いえ…許『さない』ではなく許 せない』のよね。性格上…。」  三兄弟は黙り込んだ。  親になった朝陽はぜひお爺ちゃんに子供を会わせたいし、父親の背中も見せてほしいと思うが…やはり無理なのだろうか…と肩を落とす。 「でも、朔弥の件で…ちょっと考えるところもあるようでね…後、孫ちゃんね。あんなでいて子供好きなのよお父さん。だから貴方達にも思い入れが深い分許せない気持ちの方がきっと大きいんだと思ってる」 「じゃあ、もっと弱まったら全員で押しかければ押し切れそうだな」  朔弥が笑ってそう言うと、じゃあ寝込んだ頃にと朝陽も言ってなんだかワイワイ楽しい会になってしまった。  それからは少し話をした後、夜の食事をするのにみんなで戻ってくると約束をし一旦朝陽の家に3人は向かった。  部屋のテーブルを片付けながら、至は 「ほっとした…」  とテーブルに手をついた。 「俺もだ。まさか向こうから来てくれると思ってなくて…」 「母親ってさ…偉大だよね…矢田部のお義母さんもうちの母親も…すごいや…」  至は鼻を啜る。 「なんだ、また泣いてるのか。最近涙脆いな」  テーブルの上で手を重ね、顔を見ないようにしてやりながらその顔は微笑んでいた。 「僕ね…手術前に矢田部の家のことは考えないように…もう捨てた気持ちになっちゃってて…それが申し訳なくて申し訳なくて…。言い訳じゃあないんだけど、お義父さんが強烈すぎて、お義母さんを実は忘れていたんだよ…本当に申し分けなくて…」  浩司が頭を撫でる。 「俺も同じだったから気にするな。あの親父ならそうなるさ」 「お義母さん…僕のこと息子だって…僕たちのこと夫婦って言ってくれた… 認めてもらえたんだって思ったらもう…」  浩司は至を引き寄せ抱きしめる。 「うん…うん、これでみんなに認めてもらえたな…俺も嬉しい」  そう言って至の顔を見ると涙でグシャグシャだ。 「なんだよ。俺の好きな顔グシャグシャだぞ」  笑ってティッシュを取り涙を拭って、そしてキスをした。  至も浩司の腰に手を回し、それを受ける。 「正式な夫婦のチュウだね」  至もそう笑って、もう一度キスをすると顔洗ってくるね、と洗面所へ向かってしまった。 「照れるよな」  その背中にそう言って、浩司は先に行ってると食器を持って部屋を出る。  鏡に顔を映して、至は考えた。  真衣子も岸谷と上手くいきそうだし、大輔と一馬は順調。新たに姉夫婦や朝陽夫婦、朔弥カップルと随分と賑やかになってきた。  ここに来たときは2人きりだったのにな…。  そう思うと不思議で、人の縁のありがたさを感じる。 「さて、午後も頑張るか」   頬を軽くパンと叩いて、至は部屋を出た。  賑やかに成長しているハミングバード(ハ  チ  ド  リ)の住処は、戻った至を微笑みで迎えてくれた。
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