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第4話 αとΩ
「わ」
俺はいつものように、セツのプライベートルームでお昼寝しようと寝室のドアを開け、びっくりして固まった。
お昼寝する時間なんかないはずのセツが……キングサイズの豪華なベッドで眠っていた。
セツの顔を見間違えることはないけど、思わず本物かな? なんて疑ってしまってそうっと近付く。
セツは仰向けで、目の上に手の甲を当てていた。遮光カーテンは少し開いていて、部屋は仄明るい。
眩しいのかな? だったらカーテンを全部閉めたらいいのに。
俺はそう思って、リモコンでカーテンを閉めようかとも思ったけど、音でセツを起こしてしまうんじゃないかと心配してまず枕元に様子を見に行った。
ハッハッと浅い呼吸音が聞こえる。息が荒い。額には汗が滲んでいて、俺は思わず顔を近付けて匂いを嗅いだ。
目の前が一瞬、ホワイトアウトした。セツからはいつもいい匂いがしてたけど、強烈に魅惑的な香りがした。
くらくらして膝が崩れ落ちる。毛足の長い絨毯でも吸いきれない物音がして、セツがゆっくりとこちらを向いた。
至近距離で目が合う。セツのはしばみ色の瞳は潤んで、頬は僅かに上気している。それだけでももの凄く色っぽいのに、掠れたうめきが上がった。
「ん……」
「セツ、起こしてごめん」
「ベンジー。いいんだ」
その声で名前を呼ばれると、ゾクゾクする。キスしてないのに、キスしてるときのような高揚感が身体中を駆け巡った。
「セツ、どうしたの? 大丈夫?」
「ああ。病気じゃないから……安心して。もうすぐ、春だからね」
「春? 春になるとセツはこうなるの?」
そう訊くと、セツはまた目を覆って笑った。いつものふにゃっとした笑みじゃなくて、自嘲するような。
「そうなんだ。だからぼくは……小鳥遊の人間にはなりきれない」
心配で、俺はセツの額の汗をぺろりと舐めた。
「アッ……!」
セツが身体を硬くした。俺も目まいがひどくなる。それは、気分が悪い類いの目まいではなくて、逆に身体が火照るような。
セツの呼吸が速くなる。
「ア、アッ……ベンジー駄目、離れて……ッ」
セツは顔を逸らしてこちらに背を向けた。
俺も身体にこもった熱が苦しくて、でもセツの言葉には従えなくて、彼の後れ毛を撫でる。
本能、というのだろうか。俺は目の前のセツのうなじに、我慢出来ずに甘く歯を立てる。
セツは硬直したあと身体を揺らめかして、断続的に声を漏らした。
ア、ア、という嬌声の間隔が短くなっていき、細く尾を引いて立ち消える。あとには、荒い息づかいだけが残った。
人間には分からないだろう。獣人の嗅覚にだけ、羽毛布団の奥に雄の本能を刺激する独特の匂いが香っていた。
俺の辛抱も限界で、ベッドに上がろうとする。
だけどそのとき、ノックもなしに寝室の扉が開いた。
「ベンジャミン様」
猪狩さんだった。俺を見て不機嫌な顔をする。
水の入ったコップと薬のカプセルの乗ったトレーを持っている。
セツ、やっぱり病気なのかな……? 快感に鈍る頭で考える。
「ベンジャミン様、ご退室を。セツ様はお具合がよくありません」
「病気なの?」
「病気……確かに、小鳥遊の人間としては病気と言えるかもしれませんね」
猪狩さんは嘲笑気味に言う。俺はその態度が気に入らなくて、言葉尻に噛み付く。
「セツのことをそんな風に言わないで!」
「ベンジー」
セツが余裕なさそうに遮る。
「いいんだ。小鳥遊の人間はαに生まれる。Ωに生まれたぼくが悪いんだ」
猪狩さんが無言で、サイドテーブルにトレーを置いた。
「猪狩。ちゃんと飲むから、出て行ってくれないか」
「それはご命令ですか?」
猪狩さんはたまに、そうやって意地悪を言う。そういうときセツは「お願いだ」と言っていたけど、今日は違った。
「ああ。命令だ」
「……かしこまりました」
猪狩さんが出て行った。
「ベンジー」
「なに?」
「君は……獣人には珍しいαだったね」
「うん? そうだっけ」
「本来、人間と獣人のヒートが一致することはないんだ。だけど君は……」
なにか伝えようとして、セツは一度目をつむって思い直したようだった。
「ぼくは今、発情期なんだ。抑制剤を飲まないと周りのαのひとを巻き込んでしまう。だから、ベンジーも……しばらく会えない」
「え……」
俺は残念の吐息を漏らす。
「だけど一度だけ……キスして」
「……うん!」
触れるだけのキスなのに、上ずった声が漏れてしまうほど気持ちよかった。
αとかΩとか、俺はよく分からない。でもそのことでセツが小鳥遊から疎ましがられるなら、俺がセツを守ってあげようと強く思ったのだった。
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