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第1話
二日酔いの兆しで頭がガンガンする。昨夜は久しぶりに飲んだ。喉の渇きを覚え、億劫げに身を起こす。
「水……」
ガシャンと鎖が鳴り、手首が後ろに引っ張られた。
手錠?
革製の輪の内側にはファーが装着され、手首を痛めない工夫が施されていた。恐らくソフトSМ用の手錠。通販サイトの写真で見たことがある。
背中に当たるマットレスは弾力に富み、糊の利いたシーツが敷かれていた。足を伸ばして探り、面積の広さに驚く。
遊輔は手錠に繋がれ、ベッドに仰向けていた。
視界は一面真っ黒。目隠しをされている。僅かに感じる濃淡は布を濾して届く室内灯によるもの。
視覚以外の感覚を研ぎ澄まし、雑駁な情報を拾い集める。かすかに空調の音が響く室内は、快適な温度と湿度に保たれていた。余程防音対策がしっかりしてるのか、あるいはマンションの上階に位置するのか、都会に付き物の車の走行音は聞こえない。
犯人は誰だ。フェイクニュースでハメた芸能人、以前捕まったヤクザ、女を寝取ったチンピラ……日頃の行いが悪いせいで心当たりは腐るほど、容疑者を挙げ連ねればきりがない。
落ち着け俺。
これしきで取り乱すな。
布の内側で目を瞑り、深く息を吸って平常心を取り戻す。
拉致監禁されるのは人生三度目。一度目はヤクザ、二度目は半グレ。最初はパイプ椅子に縛り付けられ、次は煙草を押し当てられた。今回はまだマシな方、過去に比べれば丁重な扱いと言える。
とはいえ、危害を加える気がないと油断するのは早計。犯人の目的が掴めぬ現状、判断は保留しておく。
靴は脱がされてるが靴下は穿いたまま、スーツも身に付けている。盗られた物はどうだ、背広の内ポケットに入れてたスマホと財布は無事か。
最悪財布は諦めるにしても、データが詰まったスマホを没収されてはおしまいだ。
敵。
犯人はバンダースナッチの|敵対者《アンチ》?
恐ろしい可能性に思い至り血の気が引く。バンダースナッチの正体がバレ、恨みを持ってる人間に襲われたのだとしたら、相棒の身も危ない。
「!っ、」
逃げろと伝えなければ。鎖が許す限界まで引っ張り、背広の内側に手を突っ込もうとする。もうすこしで届きそうで届かない、じれったさに苛立ちが募りゆく。
遊輔を放置する理由はわからない。恐怖を与える為?疑心暗鬼を煽る為?
あんまり考えたくないが、拷問の準備でもしてるのか。
「お目覚めですか」
懐かしい声が不安を消し飛ばす。
「薫!おま、心配させやがって」
反射的に顔を向ける。
「喉渇きましたよね、お水用意しますから」
ベッドがギシッと軋む。片膝を乗り上げた気配。
「ンぐ、」
唇を割る舌。口移しで水を飲まされる。零れた水が喉仏を伝い、首筋を経てシャツに吸われていく。やめろと叫びたくても離れず、性急に嚥下するしかない。
「かはっげほっ」
盛大に噎せた。顔に執拗な視線を感じる。至近距離で観察されてる。
「少しは楽になりましたか」
「悪ふざけはよせ。手錠外せ。目隠しも」
「駄目です」
「お前がやったの」
否定してくれと願い、低く訊く。
「はい」
穏やかに微笑まれた。見ずとも気配だけでわかる。
「覚えてません?俺の肩借りて、酔い潰れて帰宅したでしょ」
「ここは」
「俺の部屋のベッド」
「開かずの間か」
薫のマンションには遊輔が立ち入りを禁じられた部屋がある。電子機器が沢山置いてあるから、というのがその理由だ。故に遊輔はリビングのソファーで寝起きしていた。
「お招き預かり誠に光栄って言いてえとこだが、ちょっとばかし招待の仕方が手荒じゃねえか」
「でしょうね。怒ってますから」
「なんで」
素で返す遊輔に対し、声音が一段冷え込む。
「心当たりありませんか」
「……冷蔵庫のサラダチキン食った」
「はずれ」
「コーヒー豆の補充忘れた」
「違います」
「風呂掃除サボった」
「他には」
「寝煙草でソファー焦がしたの根に持ってんの」
「火事になるんで本当やめてください、スプリンクラー作動しちゃったら大変です」
早々にネタが尽きた。
言葉に詰まる遊輔に向かい、静かに訊く。
「昨日一緒にいたの誰ですか」
「誰って……」
眉間に力を込め、途切れた記憶を辿る。昨日飲んだ相手は……。
「元同僚。週刊リアルの同期」
「仲良さそうでしたね」
「そこそこ」
「付き合いあるなんて意外でした」
「数少ねえ例外。若え頃から妙にウマ合って、今でもたまに飲みに行くんだ。ネタ流してもらえるし助かってる」
「貴重な情報源か」
「やけに突っかかんな」
「わざわざ俺がシフト入ってる『Lewis』に連れてこなくていいと思いますけど」
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