1 / 22

第1話

―新宿二丁目バー「Lewis」― 間接照明がムーディーに演出する店内に、軽快にシェイカーを振る音が響く。バーカウンターの内側できびきび動き回っているのは、カジュアルな開襟シャツを腕捲りし、デニムのギャルソンエプロンを巻いた二十代前半の青年。下に穿いてるのはコーデュロイのメンズパンツ。オフなので制服は着てない。 両耳のイヤーカフス。完璧なアーモンド形の瞳。モデル張りに垢抜けた風貌を引き立てるのは、育ちの良さが滲む洗練された立ち振る舞い。 音楽がサビにさしかかり、足拍子と手の動きが同期する。 手首にスナップを利かせロールアップ、親指を支点にサムロールダウン、スムーズに繋げてウォーターフォール。 手から手にバックトスしたボトルを頭の後ろを通し反対で受けるシャドウパス、背中向きに投げたボトルを後ろ手でキャッチするビハインド・ザ・バックをめまぐるしくこなす。 私服の青年……富樫薫の前には各種酒やジュースに炭酸飲料をはじめ、新鮮な果実の数々が並んでいた。 カクテルの材料に欠かせないレモン・オレンジ・ライムなどの柑橘類、飾り付けに用いるパイナップルやチェリーは勿論の事、南国産のグアバ・シークヮーサー・パッションフルーツ・ピタヤなど、通常のスーパーでは入手困難なものも取り揃えた。 ピタヤとはドラゴンフルーツをさし、海外では一般的な名称だ。中国語では火竜果と書き、和名はこれの直訳に当たる。 旅行好きなマスターは三か月に一度店を閉め、どこぞへ羽目を外しにいく。その間キッチンを借りれないか交渉した。 「お店を使いたい?なんで」 「練習用に。ウチのマンションにも最低限の設備はあるけどこっちの方が断然使い勝手いいし、器材揃ってるんですよね」 「勉強熱心ねえ」 「迷惑かけません。駄目ですか」 「冷蔵庫の補充と後片付けさえちゃんとしてくれれば言うことないわ。薫くんがお留守番買って出てくれるなら却って安心よ、よろしくお願いね」 「ありがとうございます」 「お礼に台湾工芸茶とパイナップルケーキ買ってくるわね、期待して待ってて」 マスターはキャリーカートを引き、上機嫌で旅立っていった。 そして現在、表の扉には「closed」の看板が掛かっている。明かりが点灯しているのはスタッフオンリーのカウンター内だけで、テーブル席は闇に沈んでいた。マスターが快諾してくれたとはいえ、電気代は節約したい。 カウンターに置いたスマホからは七十年代の流行曲が流れている。ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」。 掛ける音楽はその時々の気分次第。ロックやジャズ、民族音楽やクラシックを聴きたい日もある。こと音楽の好みに関しては無節操な方で、身近な人間に感化されやすい。 背後の棚に犇めくのは外国語のラベルが貼られた大小無数の酒瓶。シンクの蛇口は清潔な銀色に輝き、調理場にはカクテルシェイカー・バースプーン・メジャーカップ・ストレーナーが揃い踏み。 「シンガポールスリング。ジン・チェリーブランデー・レモンジュース・炭酸水」 歌うように諳んじ、図解入りレシピを見直す。スマホにメモるより手帳の方が見返しやすい。スタンダードカクテルの項目には折り目が付いていた。 カクテル作りは化学実験に似ている。原料を正確に計量・攪拌し、見栄えよく飾り付けて提供するのがバーテンの仕事。 世界に存在するカクテルは一万以上、有名どころだけに絞っても三千種をこす。まだまだ学ぶことは多い。 美味い酒は人の口を軽くし、秘密を引き出す。 セルフプロデュースの側面が強いバーテンダーは、社交性と自立精神に富む薫の天職だった。 「前に出んな。黒子に徹しろ」 先日の宅飲みで遊輔に駄目出しされた。 「接客業はサービス精神旺盛な話し上手でなけりゃ務まりません」 「ツレと話してる時に邪魔されたくねえ。聞いてもねえ蘊蓄は酒を不味くする」 「飲酒はエンタメですよ」 薫は肩を竦め、もっぱら柿ピーのピーナッツを摘まむ。 「俺はフレアバーテンダーなんで」 「フレア……?」 「ボトルやシェイカー、グラスを用いた曲芸的パフォーマンスを披露してオリジナルカクテル提供するんです。トム・クルーズの映画知りません?」 「バーテン芸人って事か」 「……それでいいです」 「鼻からメントスコーラ飲んだみてえな顔すんな」 三十路過ぎとはたちそこそこのジェネレーションギャップを感じ、話題を変える。 「なんで人に聞かれたくない話するのにわざわざバーに来るんだろ、不思議ですね。家に招いた方が安全なのに」 「アルコールは人間関係の潤滑剤。第一独り身とは限んねーだろ、盗聴器仕掛けられてっかもしんねーし」 「家族を巻き込みたくない?」 「壁に耳あり障子に目あり。人払いの手間考えりゃ店のほうが安心だ、適度に混んでりゃ隠れ蓑になる」 濁った半眼で指折り数え。 「汚職政治家とその秘書、極道と不良刑事、詐欺師とカモと不倫カップル。バーなんてのは間接照明の中でしかお喋りできねースノッブの吹き溜まりって決まってんだ、飛び交うのはチープな嘘とリッチな経歴、連中が落っことした秘密をせっせと回収すんのがお前の仕事」 絡み酒は面倒くさい。遊輔は酔うと愚痴っぽくなる。眼鏡が鼻梁にずれても直そうとしない。 「盗聴器と小型カメラならウチにもあります」 「アキバで買った?」 「日本橋です。大阪の」 「天才ハッカー様の表の顔がバーテンとか盛りすぎだぜ、趣味でやってんの」 「半分は」 「残り半分は?」 「デジタル化済みのデータはパソコンから抜けますけど、対面で仕入れる情報は鮮度が違うんです。そのへんは足使って取材してた遊輔さんの方が詳しいんじゃないですか、記者の経験則ってヤツですよ」 憮然として柿の種を摘まむ。遊輔はピーナッツばかり残す。好みは見事に正反対。 同居をはじめてからリビングで飲むことが増えた。店にいる時は薫がカクテルを作るが、自宅マンションじゃもっぱら缶ビールや缶チューハイを飲む。「手っ取り早く酔いてえのにいちいち気取ったもん飲んでられっか」というのが居候の言い分だ。薫もラクできて有り難い。 缶をもてあそぶ手元を観察し言葉を継ぎ足す。 「カクテルの世界は奥深いんです。ベース配分や継ぎ足しの分量、シェイクの回数で仕上がりがまるで違ってくる。こんなふうに」 柿の種とピーナッツをランダムに並べ替える。 「プレーンテキストへの書き込みに癖出るあたり、プログラミングとちょっと似てます」 「そうかあ?」 「ソースコードはソフトウェアのレシピって言いません?言わないか」 懐疑的に語尾を伸ばす遊輔をよそに、ピーナッツを齧る。 「基本疎かにして泣きを見るのはどの業界も一緒」 「雑にまとめやがって」 ストロングゼロを嚥下し、遊輔が聞く。 「なんだってバーテンに?こっちで稼いでんじゃん」 両手で何かを弾くまねをする。 「パチンコはやってません」 「ハッカー業だよ、わかって言ってんだろ」 「俺のこと裏社会のフィクサーかなんかと勘違いしてませんか」 「物は相談なんだが、口座残高増やせる?」 「五円を五十円に繰り上げるんですか」 「五百円は残ってる。多分」 「断言しましょうよそこは」 「皐月賞買うとき下ろしちまって……今度こそイケるって確信したんだけどな、バンキシャテッペントッタレ」 「八万溶けたって荒れてたあの?」 「惜しかったんだよ最終コーナーで引き離されて。お陰で焼肉おごる約束パア」 「守られたことないんで期待してません」 「……優しい顔で酷いこと言うよなお前」 「万一競馬で当てても他のギャンブルに全額突っ込むのが遊輔さんでしょ」 「ゼツリンタネウマテイオーに賭けりゃよかった」 「名前で選ぶのやめません?」 「ンなこたどうでもいいんだよ、お前がバーテン目指した理由聞いてんの」 「成り行きですかね。向いてるって勧められて……どのみち手に職付けたかったし」 「資格はいらねえの」 「持ってた方が有利なのは確かだけど、必須じゃないですね」 「どんなのあんだ」 「N.B.A認定バーテンダー資格証書、バーテンダー呼称・技能認定試験、N.B.A認定マイスターバーテンダー称号証書」 「バスケと関係が?」 「日本バーテンダー協会の略。普通に働くぶんには問題ないけど、コンペティションによっては資格の有無が問われます」 「そういうの勉強してんの」 「必要感じたら取ります」 「言うじゃん。落ちるとか思ってねえな」 「ハッキングしますし」 「……」 「冗談ですよ。仮に試験問題盗み見たところで実技が水準に満たないんじゃ話になりません」 ストロングゼロで柿の種を流し込む。 「ショートカクテルが氷ぬきの意味って知んなくて、若え頃恥かいた」 「通常一分から三分、三口で飲み切るのが理想とされてますね。ロングカクテルは氷入りカクテルのことで、ある程度時間がたっても冷たいまま飲めます」 現役バーテンダーの講釈にいじけ、親指と人さし指でちょこんと幅を示す。 「グラスが小せえからショートだと」 吹き出す。 「可愛い」 「るっせ」 「嫌いなら食べましょうか」 薫の指摘でピーナッツの小山に思い至り、バツ悪げな顔をする。 「柿の種残してんじゃん。辛いの苦手?」 「揚げ足取りとは大人げない」 「そっちが先に」 「交換します?」 「フェアトレード?」 「ギブアンドテイクの精神です」

ともだちにシェアしよう!