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第2話
引きこもるのに飽きたらキッチンで気分転換を図るのが日課。どちらにせよ根の詰めすぎは体に毒、時間配分は効率よく行きたい。一日二十四時間、人生は有限なのだ。
「マルガリータ。テキーラ・ホワイトキュラソー・ライムジュース」
手を動かしてると気が紛れる、余計なことを考えずにすむ。たまにどちらが本業で副業かわからなくなるが、手先の器用さと柔軟な発想、アクシデント発生時に臨機応変な対応を求められるところは共通だった。
マスターが薫の申し出をあっさり快諾したのは、彼が売り上げに貢献しているから。
真面目な働きぶり、丁寧な接客、確かな技術。おまけにルックス上々ときて、バーテン目当ての客が引きも切らずに押し寄せる。特に女性が増え、甘口で飲みやすいカクテルの需要が上がった。柑橘類の爽やかな酸味とリキュールの甘味がウイスキーの濃厚な風味を引き立てるマルガリータは、初心者に勧めやすい。
マルガリータにはレモンジュースとライムジュース、二種のベースレシピがある。今回はライムジュースを使用した。理由は単純、同居人の好みだから。
レモンの重しで手帳を押さえ、颯爽と準備に取り掛かる。遊輔は「くどい」「うるせえ」「長え」と腐すが、カクテルの成り立ちに纏わる雑学やカクテル言葉は、場繋ぎの知恵として覚えておいて損はない。
待ち合わせをすっぽかされた女子大生にはあるがままにジンフィズを捧げ、恋人と喧嘩した会社員にはモスコミュールで仲直りを促し、同棲十周年を祝いに来たゲイカップルには似た者同士をほのめかすモッキンバードを差し出す。これまでもデート相手を待ち惚け、引き際を見誤った男女を慰めてきた。
レッド、ブルー、オレンジ、グリーン、ホワイト、イエロー、パープル、ブラック、ピンク、ゴールド。
宝石みたいにきらきら光るカクテルが好きだ。カクテルで人を笑顔にするのも好きだ。
ライムの搾り汁でグラスの縁を湿し、食塩の冠雪をまぶす。続けざまにフリップ・グリップ・キャッチ、混ぜ合わさったシェイカーの中身を優雅に注ぐ。
「マルガリータの由来ご存知ですか」
「馬鹿にすんな、さすがに知ってる。アレだろ、流れ弾で死んだオンナの名前」
「恋人に先立たれた気の毒なバーテンの名前は」
「知んね」
「ジャン・デュレッサー、全米カクテルコンテスト三位の実力者。作り話だけど」
「え゛」
「ジャン・デュレッサーなんて人物存在しません。同年代に活躍したジョン・ダレッサーがモデルじゃないかとは言われてますが、彼の恋人が痛ましい事故で亡くなった事実は皆無です」
「へえー……」
「信じてたんですか?」
「なんでそんな手の込んだ作り話広まったんだ」
「知りません」
「オチがねえ」
「哀しいエピソードと抱き合わせで出荷した方が人気でるって踏んだんでしょ」
「フィクサーが?」
「カクテルに素敵なお話は付き物。世のドラマの大半はフィクションなんです」
四六時中バーに入り浸ってるくせに、そのへん遊輔は疎い。
シェイカーの雫を切り、凪いだ水面を見詰める。色は僅かに緑がかった乳白色で、スノースタイルに映えるコントラストが美しい。カクテル言葉は無言の愛。言葉はなくても愛は伝わる。
「だったら苦労しないんだけど」
皮肉っぽく口角を上げ、ガラスの脚を支える手を見下ろす。
バーテンダーは手が命。薫も爪切りとハンドクリームを持ち歩き、スキンケアを徹底してる。以前付き合った男も爪を短くしていた。
一口味見したマルガリータを照明に翳し、過去を想い起こす。
高校卒業してすぐ家を出、夜の街で知り合った男や女のもとを渡り歩いた。SNSやマッチングアプリを通し出会った者もいる。
大抵は年上の社会人で、色んなことを教えてくれた。
父親の次に関係を持った男は海外のコンペティションで何個も賞を獲ったバーテンダー。同棲生活は半年続き、男の逮捕で終わった。
薫に惹かれた人間は身を滅ぼす。
「余計だったかな」
練習用のグラスに塩をまぶす必要はない。にもかかわらず付けてしまったのは遊輔が好むから。曰く、塩を舐めながらじゃないとマルガリータは甘すぎるらしい。
眉に唾、舌に塩。それが作り話を見分けるコツ。フェイクニュースを量産してきた居候の持論を回想し、口元を緩める。
「見抜けてないじゃないですか、全然」
だしぬけにスマホが鳴る。液晶に表示された番号を一瞥、首を傾げてボタンを押す。
「もしもし」
「薫?久しぶり、元気してたか」
懐かしい声に驚く。即座にスピーカーに切り替える。
「帰ってたんですか。海外にいるって聞きましたけど」
「横浜に店出す事になった。その準備に」
「おめでとうございます」
「どうしてた」
「ぼちぼちやってますよ」
「バーテン続けてるのか」
「お陰様で」
「よかった」
「何が」
「勧めたの俺だし」
「働き口紹介してもらったのは感謝してます」
ステンレスのシンクに凭れて淡々と話す。相手がおずおず切り出す。
「会えないか」
「なんで?」
「より戻したい」
「その気はありません」
「半年一緒に暮らしたのに?めでたく独り立ちできたのは俺が手取り足取り教えてやったからだろ」
「店に引っ張り込んだのは監視の為でしょ」
「……一緒にいたかったのは認める」
「縛り付けておきたかった?」
足首を括る手錠を回想し、苦々しげに吐き捨てる。
「本当にやるとは思いませんでした」
「薫、」
「別に恨んでません。憎んでないし興味もない。自分の馬鹿さ加減と見る目なさにがっかりしただけです」
正面に視線を逃がす。アンティークキャビネットが鎮座し、マスターの旅行土産のメキシコ雑貨が飾られていた。
カラフルな髑髏に花を描き込んだゲレロ・カラベラ、グアダルーペの聖母をペイントした教会キャンドル、酸化で味を出したブリキの民芸品オハラタ、木彫りの守護動物アレブリヘを退屈げに眺める。
「大麻は?」
「合衆国じゃ合法」
「やめてないんだ」
「……」
「初犯は不起訴処分か」
「一回だけ会ってくれ。忘れられない」
「俺といるとダメになりますよ」
「昔のこと根に持ってんの」
「強姦は非親告罪になりました」
「喧嘩の延長だろ」
「バスタブに監禁するのが?」
塩をちょい足ししたマルガリータを舐め、やんわり脅す。
「新しいお店始めようって時に、未成年に対する余罪がバレちゃ致命傷負いませんか」
「悪かった。許してくれ。あの時はどうかしてた、お前が他のヤツに色目使うから」
「二度と掛けてこないでください」
終了ボタンを押し、かすかな手の震えを恥じる。
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