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第10話

「観覧車ってコーカスレースに似てません?みんな輪になってぐるぐる回るんです。終わりのない堂々巡り」 「不思議の国のアリスに出てくるヤツだっけ?」 「提案者はドードー。選手は円形コースのあちこちに散らばり、好きな時に走り始めて好きな時にやめる。起源はインディアンの部族会議、それが議論紛糾の党員集会の風刺に転じた。誰もが自分が勝ったと主張する、収拾付かない追いかけっこ。エコーチェンバーに洗脳され、マウントの取り合いが常態化したソーシャルメディアの縮図」 気怠く窓に凭れ、蛍光色のネオンをまだらに散りばめたマジックアワーに身を浸す。 「誰もが誰もを追い回し、なんにも追い付けずどこにも辿り着けない。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、何やってんだろって虚しくなる。世界の中心がドーナツホールより不毛な虚無で、ひたすら回り続けるだけが人生なら、全部が徒労に思えてきます」 「モラトリアム全開ポエム」 「バンダースナッチは暴露系ユーチューバーと同一視されてます」 「実際似たようなもんだ」 悔しげに唇を噛む。 「俺たちがやったことって、ネットにおもちゃを投下しただけなんでしょうか」 事件から数か月経ち、世間の関心は別のトピックに移った。それは構わない、人間なんてそんなものだ。割り切れないのは…… 「まだ気にしてんの、右手のこと」 対面の遊輔は呆れ顔。薫は俯く。 「誤算でした。痕を残すなんて」 「それこそ今さらだな。指が欠けたわけじゃなし、ペンが持ててパソコン打てりゃ問題ねえ」 「別行動はリスキーだってわかってたのにむざむざ現場を離れて、案の定拉致された。俺の当て擦りが貴方を」 「お互い様。恨みっこなし」 「俺の体は損なわれてない、フェアじゃないでしょ全然」 「懺悔してえなら教会行け、告解室は予約待ちだ。インタビュー終わり?今度はこっちの番」 する側に回った途端生き生きし、マイクに見立てた握り拳を突き出す。 「好きな食べ物は?」 「ポトフとだし巻き卵」 「恋愛対象は男女どっち?」 「両方にしときましょうか。体の相性と性格合えば来るもの拒まず去るもの追わず」 「おさかんなこった。バーテンになったのは」 「元カレの影響です」 拳を引っ込め口笛を吹く。 「……初耳。元カレもバーテンダー?」 「プロの。腕は一流でした。海外のコンペティションで沢山賞をとって、池袋のバーで働いてました」 「何歳ん時知り合った」 「十七。むこうは二十三。そこまで非常識じゃないでしょ、誰かさんに比べたら」 「ゲイ?」 「はい」 「会った場所」 「新宿二丁目のバー。ソフトドリンク飲んでたらナンパされました」 おごるよ。 「未成年が出入りしてたの」 「家にいたくなくて」 理由はわかるはず。遊輔が黙り込む。瞳には苦い後悔とかすかな苛立ち。 父の葬式を終えた母は塞ぎ込んだ。家は息が詰まった。それ以前から居場所はなかった。 「放課後は駅のロッカーに荷物預けて、私服に着替えて遊び回りました。元カレの部屋から直接学校行ったり近くまで送ってもらったり……二年の終わりからサボりまくったツケ祟って、大学の方は絶望的でしたけど」 「惚れた男とお揃いか。健気だね」 「親のスネ齧るの嫌で、早いとこ手に職付けようと必死でした」 「ハッカー活動は?」 「世間を欺く肩書欲しかったんです」 「保身図ったのか」 「サービス残業超過の広告代理店のトップページ書き換えたり、杜撰な動物実験してる製薬会社のサーバーダウンさせたり、中学上がった頃からアノニマス予備軍の嫌がらせしてたって自慢になりませんから。フリーターでもよかったんですけどね……同棲はじめた恋人が手取り足取りみっちり教えてくれて、だんだん楽しくなって、極めたくなりました。カウンターでシャカシャカやってる若造が、家に帰った途端ハッカーに変身なんて思わないでしょ?寝る時間削って猛勉強して、職場はコネで同じ店に」 「仕事は好きか」 「好きです」 完全に日が落ち、華やかなイルミネーションが点灯した。堅牢な鉄製のホイールがゆっくり廻り、ゴンドラが頂点にさしかかる。夜景にまぶされたドロップスに鈍い感傷が疼き、現実を離れた心が幼年期に回帰する。 「綺麗なものが好きなんですよ、俺。ステンドグラスとかトルコランプとかネオンサインとか……カクテルもそうだ、いろんな色があってきらきらしてる。初めて飲んだ時は感動しました、こんな綺麗で美味しいものが世の中にあることにも人の手で作り出せることにも」 あの日の衝撃は忘れ難い。出されたカクテルの名前も。 覗いた瞬間魅入られた。 恋人が淹れたカクテルの色は、嘗て両親と乗った観覧車から見た、パープルのネオンによく似ていた。 過ぎ去りし日に掴み損ない、永遠に失ってしまった幻の光。 物思いに沈む薫を真っ直ぐ見詰め、遊輔が切り込む。 「初めて飲んだカクテル」 「バイオレットフィズ」 私を覚えていて。 「ぞっこんだったんだな。別れた理由は」 「ツマんない喧嘩ですよ。店も辞めざる得なくなって、思えば馬鹿なことしました」 適当にごまかす。遊輔は面白くなさそうな顔をしていた。恋人の元カレ自慢を聞かされてるような…… そういうことでいいんだろうか?

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