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第9話

横浜のランドマークとして名を轟かせる観覧車。緩慢な円軌道を描いて周回するゴンドラはカラフルに塗り分けられ、支柱に埋め込まれたデジタル時計は正確に時を刻み、放射線状の巨大なシルエットが堂々空を圧する。 入場無料の立体遊園地内は風船を持った子供やバンフを見る大人で混み合い、各アトラクションのゲートに詰めた係員が誘導に専念していた。 「ちょっとだけ意外でした、大の大人が観覧車なんてやってられっかって言いそうなキャラなのに」 「せっかく来たんだ、元とんなきゃもったいねー」 ゴンドラのドアがスライドし、十五分の空中散歩を楽しんだカップルが退出。いよいよ薫たちの番だ。 「次の方~足元に気を付けてお乗りください~」 係員の指示に従い、タイミングを読んで乗り込む。ゴンドラの色は紫。すぐ後ろに並ぶ十代の少女が「いいなあ」と羨む。 再びドアが閉ざされる。ゴンドラ内には対面式のベンチが設えられ、腰から上の高さは全面ガラス張りになっていた。遊輔は右側、薫は左側に分かれて座る。 次第に高度が上昇、アップダウンの激しいレール上を疾駆するジェットコースターやメリーゴーランドの王冠が遠のいていく。 「大観覧車のジンクス知ってますか、遊輔さん」 「いんや。面白えネタ?」 「ゴンドラのカラーは虹の七色プラスシースルー。紫は一台きり、乗れたら幸運を掴める」 「へえ。馬券買ってみるか」 「カップルは永遠に結ばれるそうです」 「……下りたくなった」 「言うと思いました」 複雑に入り組んだレール上を列車が駆け抜け、デコレーションケーキのようなロココ装飾の天蓋の下、木馬が優雅に廻る。 「こんなとこでツキ使い果たしてどうすんだ、ったく」 「あっちが東京かな」 「タワマン見える」 「さすがに嘘でしょ」 「本当だって、アレそうじゃねえの」 「どこですか?」 骨張った指を追い、遥か彼方の摩天楼を注視する。夕暮れの街には疎らにネオンが灯り始めていた。 「スカイツリーみっけ」 「東京タワーは俺が先」 球形のタンクや煙突が聳え、直線的に区切られた湾岸の埋め立て地に顔を向ける。遊輔の実家の方角。 「遊輔さんち見えました?」 「タワマンマウントやめろ」 「昔の話は嫌?」 「交番で調書とられてる気分になる」 「ずるいな、色々打ち明けたのに」 頬杖を崩して口を開き、何も言えず閉口する。攻めるなら今だ。隙を見計らい切り込む。 「もっと教えてください、遊輔さんのこと」 「インタビューごっこか。本職にいい度胸だ」 鞄から出した手帳を開き、ペンを構える。 「好きな食べ物は?」 「タン塩とお茶漬け」 「サウナと水風呂みたいなメニューですね」 「油っけえの胃もたれすんだよ……お茶漬けは夜食の定番、永谷園の鮭茶漬けは神」 「ポットのお湯切れてた時ふりかけにして食べてましたもんね」 「見てたのか」 「夜起きた時偶然。ちゃちゃっと沸かせばいいのに」 「腹減ってたんだよ」 「好きな映画は?」 「オールタイムベスト?悩むな」 「難しいなら最近観て面白かった映画でも」 「ボーリング・フォー・コロンバイン」 即答だった。 「コロンバイン高校のドキュメントですよね、銃社会を風刺した……ノンフィクションが好きなんですか」 「マーベルも観るぜ」 「好きなアメコミヒーロー」 「デップー。お前は?」 「スパイダーマン」 「わかりやす」 「彼女が恋愛映画観たいって言ったら」 「相談して決める。オールタイムベストは?」 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 「正気かよ」 ドン引きされた。小首を傾げる。 「いけません?」 「胸糞鬱映画の代名詞じゃねえか」 「ミストよりマシでしょ」 「バドエン好きなの」 「主人公は孤立無援に非ず、友人しかり看守しかり助けてくれる人は沢山いた。その上で信念を貫いて死刑を受け入れたんならバッドエンドとは言えません、命と引き換えに目的を遂げたベターエンドだ」 逆説的な持論にやりこめられ、遊輔が唸って身を引く。 「そーゆー考え方もあんのか」 「一番大事なものの為にそれ以外を切り捨てて、最期に報われたんなら救いはあります」 「好きな芸人は」 人さし指で唇を封じ、にっこり笑って念を押す。 「インタビュアーはこっちだってお忘れなく」 「……了解」 うざったげに指を払い、ズボンのポケットに両手を突っ込んでだらける。 遊輔は仕事に信念を持っている。大衆の需要にコミットしたフェイクニュースを作り出す傍ら、目の前の対象には能うかぎり誠実であろうと努め、実際そうしてきた。 故に取材の体裁をとれば正直に答えてくれると踏んだ、薫の目論見は当たっていた。手帳とペンは雰囲気作りの小道具に過ぎない。 彼の方から観覧車に乗りたいと提案してくれたのは好都合。密室で一対一の状況下、人目を気にせず質疑応答を行える。 普段と立場が逆転し、質問される側に回った遊輔は落ち着かない様子。ゴンドラ内は禁煙なため煙草を喫えず、小刻みな貧乏揺すりでストレスをごまかす。 「子供の頃何して遊びました」 「自販機の小銭拾い」 「眼鏡は何歳から」 「小四。学期初めの視力検査で引っかかった」 「ファーストキスは」 「小二」 「早。相手誰ですか」 「うちで飲んでたキャバ嬢。酔っ払ってベロ入れられた」 「悪戯されたんですか?」 声が固くなる。遊輔が手を振って打ち消す。 「酒でハイになると馬鹿やらかすんだよ、ピアス開けたげる~とかほざいて安全ピンぶっ刺したり」 「親は止めないんですか」 「笑って見てた。次の日学校行ったら担任が騒いで大変、ホッチキスの時よかマシだけど」 「ホッチキス?」 耳に触れる。 「お袋の彼氏にバチン」 幼い遊輔を痛め付けた男に対し、激烈な殺意と憎悪が湧く。動揺を悟られまいと唇を舐め、話題を変える。 「……初体験は?」 「十四」 「相手は」 「先輩の彼女で一個上。浮気やデートDVの相談乗ってるうちになし崩しに」 「体で慰めてあげたんだ。変わんないな」 ふいに遊輔が身を乗り出し、手帳を覗き込んできた。 「カクテルのレシピか。すげー書き込み」 手先の器用さと手癖の悪さを発揮して掠め取り、ぱらぱらめくる。 「返してください」 「もうちょっと」 「怒りますよ」 「絵うま。スタバの中の人?」 「昔バイトしてましたけど」 「何ならできねーのお前」 照れて腰を浮かした矢先、遊輔がページ右上の一点を指す。 「これ何?端っこの」 青インクで記されたUの字を見詰め、不思議そうに瞬きする。 「全部のページじゃねえな。飛び飛び」 「何でしょうね」 今度こそ手帳を没収する。遊輔は白けて鼻を鳴らす。 幸いにしてUの意味はバレてないようで、こっそりと安堵の息を吐き、正面の男を観察する。 遊輔は頬杖突き、優しげな表情で窓の斜め下を眺めていた。隣のゴンドラには家族連れが乗り、背面のガラスに張り付いた女児が眼下の眺望に興奮し、無邪気な笑顔で両親に何かを告げる。 地上の誰かが手放した風船が窓を過ぎり、羨望に胸が疼く。 「よそ見しないで。続けます」 彼が何故ここに連れてきたか、考えてることがわかってしまった。 「一番長くてどれ位続きました」 「五年」 「お相手は」 「高校ん時知り合ったバツイチ熟女」 「どんな事したか教えてください」 「猥談聞きてえの」 「そうです」 素直に認める。遊輔が片眉を動かす。レアな紫のゴンドラの中、ドラマチックなロケーションに相応しい話題は他にある気がしたが、今さら引き下がれない。 茶番に臨む理由は遊輔を試す為。 嘘吐きでずる賢いこの男が自分を欺くかどうか、事前に掴んだ情報と逐一照会し、答え合わせするのが目的だった。 「どんな人だったんですか」 「全国展開のエステサロン経営者。メディアじゃ美魔女と噂のバリキャリ社長」 「年の差は」 「二十二」 「若いツバメか」 「あの人にゃ世話んなった。お陰で大学行けた。アパートの保証人も頼んで」 「見返り求められた?」 「まあな」 言葉を濁す。追及する。 「バイクで送り迎えとか」 「逆に拾ってもらった」 「車の中でいちゃいちゃしたり?」 「賭けをした」 「どんな」 「口でイかせりゃ五万」 移動中の車内にて、女社長の足元に蹲り、バター犬のように股間をなめる遊輔を思い描く。 「運転手さんは」 「仕切りで気付かねェよ。だんだん時間切り詰められて、最後らへんは次の信号で停まるまでになった」 「他には?」 「学ラン着せたままヤりたがった。卒業したあとも度々……次男が通ってる名門のブレザー持ってこられた時ゃ萎えたよ、母さんて呼べとさ」 胸がむかむかする。 「悪趣味が過ぎます」 「近親相姦プレイが?金持ちっきゃ行けねえ、偏差値七十の私立の制服貧乏人に着せたことがか」 「制服のデザインは」 「ネイビーブルーの前襟に白いラインが入った……ジャケットは紺、ネクタイは臙脂。イギリスの有名デザイナーが手掛けたとかで結構な人気の」 「成良学園」 「そこ。よく知ってんな」 「行ってたんで」 手帳を閉じて俯く。 「すいません」 「なんで謝んの。聞きたかったんだろ」 貶める意図はない。ましてや悪意なんて。 薫はただ、遊輔が過去を偽らず話してくれるか答え合わせをしたかっただけだ。 あの日からずっと憧れてきた、この人の特別な存在になりたくて。

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