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第8話
毒舌だがよく当たる占い師に女性遍歴をこき下ろされ、遊輔は不機嫌だった。薫は笑いを堪えている。
「根っから遊び人で飽きっぽい浮気性、金遣いが荒く賭け事にハマりがち、結婚に向いてない、しまいには刺されるぞ。ボロカス言われちゃいましたね」
「包丁持ち出されたのは一回だけ」
「あるんですか?」
「大手の受付嬢と同棲中に」
「なにしでかしたんですか」
「親に会ってくれって催促シカトこいただけ」
「お相手は何歳?」
「二十八。三十までに結婚してえが口癖」
「気の毒に……」
「悪いたあ思ってるよ、俺も若かった。でもさ~目に付くとこにゼクシィ放ってあったりダチの結婚ハガキ冷蔵庫に留めたり日に日に圧強まって……芸能人の入籍発表流れるとリモコン掴んだまんまテコでも動かねえわ、お互いだんまりで地獄みてえな時間だった」
想像してみる。たしかに地獄だ。
「式場パンフなんてハズレ馬券以下の紙屑ですもんね遊輔さんにとっちゃ」
「言い方」
「ハイパーインフレーション起こしたマルク紙幣と同じ位無価値ですね」
「末期は深夜に包丁研ぐ奇行が習慣化して、ゼクシィ腹に巻いて寝てた」
「出てかない図々しさがすごい」
「殺虫剤浴びせられるよかマシ」
「人権おびやかされてません?」
「雑誌に刺さんなきゃ危なかった。ゼクシィ万歳」
「のらりくらり逃げ続ける女の敵を守るために分厚くなったんじゃないと思いますけど」
「腎臓持ってかれるとこだったんだぜ」
「二個あるから構わないでしょ」
「構うわボケ、売れなくなる」
「質入れ済みときたか」
「記者は体が資本」
「カイジ的な意味で?」
「ゼクシィ流護身術の記事バズんねーかな。耐久性調べんの手伝え、包丁の次は斧」
「仕入れ先は」
「ダイソンのDIYコーナー」
「普通に喋ってるだけでゴリッゴリに好感度削れてくの才能ですね」
「昼職の女は懲りた」
修羅場の記憶がぶり返しうんざりする。親と会食予定が持ち上がるあたりそこそこ真面目に付き合っていたにせよ、結婚前提となると途端に現実味が薄らぐのは気の多さを知る故か。
ちなみに手相占いでは右手が後天的な運勢、左手が先天的な運勢を表す。未来を知りたい人間は右手を診せるのが昨今の主流だ。
遊輔の場合、右手の真ん中の火傷痕が判読を困難にしていた。
「占い師さんぎょっとしてましたね。根性焼きのせいでヤンキー上がりって誤解されましたよ絶対」
「誤解じゃねえよ」
「そういえばそうでした」
「そこそこ良かったなア仕事運だけか」
「パートナーとは相性まずまず。同僚に恵まれてる」
「うぬぼれんな」
並んで歩きながら蹴ってくる。足癖が悪い。朗らかに笑って躱し、靴裏で地面を踏む。
今の仕事は刺激的で退屈しない、危険が多いぶんやりがいがいを感じる。一方、前職に未練たらたらとも出てますね。
メンタル弱ってる時に舞い込んだ友人の誘いに乗りはしたものの、むしろあっちの方が天職だったと後悔し始めてるのでは?
遊輔の手相を読んだ占い師の言葉を反芻、軽やかなステップが鈍る。
善隣門から山下町交番まで、三百メートルに亘るメインストリートは昼十二時から夜八時のあいだ歩行者天国として開放される。
道幅一杯に広がった人々に混ざって歩いてると、幟を立てた甘栗売りの屋台に行き当たった。若者が揉み手で口上を述べる。
「オ客サンイカガ?サービススルヨー」
「お腹一杯なんで」
「ソウ言ワズ試食ダケデモ」
図らずも甘栗売りの激戦区に迷い込んでしまった。周囲に乱立する屋台には「天津甘栗」と刷った赤い袋が並び、回転釜の中で大量の栗が燻され、エネルギッシュな中国語とカタコトの日本語が飛び交っている。すぐ横のカップルを通せんぼした売り子が「オマケダヨー」と歌い、袋から袋に気前よく栗を継ぎ足す。押し合い圧し合い渋滞する区間内の迷惑行為は尽きることなく、修学旅行生グループや老夫婦に付き纏い、断られてもなお強引に試食を勧め、一粒食べようものなら勢い付いて押し切り、同時多発的に進路を妨げていた。
「遠慮します」
「ワタシ日本語ワカンナイ。焼キ立テオイシイヨーホクホクダヨー」
通じないと諦め財布を出す寸前、怖い顔の遊輔が制す。
「多少銭?太貴了、便宜一点儿吧」
滑舌良い中国語が意表を突く。眼鏡の奥には辛辣に値踏みする色。売り子がたじたじに反論する。
「请饶了我吧、這就是我的極限了!」
「給我点面子吧好不好」
「ちょ、遊輔さん」
薫の制止も聞かず袋の中身をかき回し、底に埋もれた栗を摘まんで振り、強気な物腰で脅す。
「你骗得了别人、可骗不了我」
「即使被那么说我也会突然很困扰哦」
「没有许可的营业是不被认可的、恶劣的违规有可能会向警察通报」
「混蛋!」
丁々発止の攻防戦。勝者は遊輔。地団駄踏んで悔しがる売り子に栗を弾き、追い抜く背中に付いていく。
「中国語喋れたんですね」
「広東語と韓国語も少し」
「なんて言ったんですか」
「押し売りはほどほどにしとけ、さもねーとおまわりにチクんぞ」
「違法なんですか」
「袋に屋号入ってねェのは全部無認可。売れ残りを何日も使い回すから味と鮮度が落ちる」
「初耳……」
「前に並べた袋もフェイク。サービスとか言って移し替えた袋にゃ元から半分以下しか入ってねえ、それも水気が飛んで実が縮んだ一番古いヤツ。カラカラ音したろ?」
「ああ、だから振ったんだ」
「新しい栗で嵩増しして、上の方だけ新鮮に見せかけるせこい手口」
「賞味期限は」
「当然シカト。悪質な屋台になると廃棄処分品しれっとパクってきやがる始末、修学旅行生や一人旅のおのぼりさん狙い撃ちで出待ちするふてえ野郎もいっから困りもん」
原価ゼロなら儲かるはずだ。
「濡れ手に粟改め栗か、上手いこと考えますね」
「濡れ手『で』粟な。お勉強になったろ」
「校正細かいなあ」
振り返る。
「雇い主は」
「後ろの店。時給千円」
「縄張りあるんだ……」
通い慣れてるだけあってさすがに詳しい。土壇場で知恵と舌が回る上、度胸が据わってる。
「言葉は誰に」
「……ちんぷんかんぷんだと寂しがんだよ、爺さん」
小汚い中華料理屋の片隅にて、故郷を遠く離れた老人に相槌を打ち、思い出語りに耳を傾ける少年が像を結ぶ。
「広東語と韓国語は」
「近所にビザ切れた実習生や留学生が住んでたんだ。不法滞在の外人が多い土地柄なせいか自然と言葉覚えちまった、書く方は全然だけど」
「喋れるだけで凄いです」
「コイツを買われて記者になったようなもん」
得意げに口角を上げる。
遊輔が取り立てられたのは、中国語・広東語・韓国語の日常会話をこなす語学力が評価されたから。
ネイティブな発音で数か国語を話す強みがなければ、全国平均をやや下回る偏差値の私大卒が、数十万部の雑誌を発行する出版社に拾ってもらうのは難しい。
早くに養育を放棄した親を頼れず、クラブのボーイや居酒屋のバイトを掛け持ちして進学費用を貯めたことも、夜の街で知り合った女社長と愛人契約を結んでいたことも知ってる。
経済的援助の見返りに寝る関係は高二の終わりから大学三年まで五年間続く。相手は離婚歴のある二人の子持ち、年は二十二離れていた。
日本語が不自由な老人の為に中国語を覚え、熟女に囲われていた少年の残像を今の遊輔に重ねるのはやっぱり難しい。
「寄りてえところがある」
遊輔がメインストリートを逸れる。路地の一郭を占める店から家財道具が運び出され、業者の人々が行き交っていた。ガラス扉には閉店を告知する貼り紙。
「ここが例の?」
「じゃねえよ。爺さんはとっくにくたばったし、親父さんは店畳んで国に帰っちまった」
業者を指揮して立ち働く中年男が、軽トラの荷台に椅子や円卓を積み込む。おそらく店主。
「若え頃記事書いた店。自家製ピータン入りの粥が絶品」
「グルメ雑誌に寄稿したんですか」
「ネットのローカルニュースサイト。名前なんか出ねえちっせえ記事だけど、書き物で報酬もらうの初めてで、めちゃくちゃ嬉しかった」
旧懐の情に和む眼差しに、理想とかけ離れた自己嫌悪が兆す。
「経営難で閉めるって聞いて見納めに来たわけ」
「お店の人に挨拶は」
「先代は体壊して引退。二代目は俺なんか知んねー」
「けど」
「立ち会えただけでじゅうぶん」
脚立に跨った店主が入口の扁額を取り外す。下で待機する妻と娘がそれを受け取り、手拭いで汗を拭く父親を労い、足並み揃えて軽トラへ戻っていく。
手向けの煙を透かし、彼等を見送る遊輔は無表情だ。冷めた横顔は自分が割り込むことで完璧な風景が壊れると思い込んでいて、厭世的な達観に胸が痛む。
遠慮なんて似合わないのに。
雑踏の切れ目に覗く螺鈿細工の丸窓に、椅子と卓が片された殺風景な店内が映りこむ。
埃舞うそこに嘗て繁盛した痕跡や賑わいの残滓は見当たらず、看板を剥がれた外観と合わせ、思い出ごと蒸発したかのように空疎で無機質な印象を強める。
「気ィ済んだ」
互い違いに指を組んで伸びをする、遊輔の心情を考える。まだ汚れきる前、良心とプライドを持って仕事していた頃……本人の言葉を借りれば「まともだった頃」に記事を書いた、ここが出発点だったのだ。
これが目的で誘ったんですか、とは聞かない。遊輔は他人に弱味を見せるのを嫌うし、からかい半分に余計なことを言おうものなら、センチメンタルな言動を恥じてさっさと切り上げるはずだ。
けれどもし。
閉店作業をしていたのが面識のある初代店主でも、遠くから見守るだけですます予感がした。
風祭遊輔は既にこっち側の人間だから。
裏側に堕ちてしまったから。
バンダースナッチの活動は違法だ。カタギを巻き込むまいと線引きし、対岸から店じまいを見届けるのが遊輔のケジメなのだ。
ゴキッと音が鳴り現実に戻る。遊輔が地面にしゃがみ、肩を押さえ悶絶していた。
「関節逝った」
「体固いなあ」
「脱臼したかも」
「運動不足が祟りましたね」
涙目で睨む男に心を込めて告げる。
「お疲れ様です」
「皮肉?」
「逆に考えてください、遊輔さんの記事がここまでもたせたんです。どうせなら営業中に連れて来てほしかったですけど」
「それは……悪かった」
「今の謝罪ですか?レアだー」
「るっせ」
「もっかい顔見て言ってください」
「ぜってえやだ」
貴方を甘やかしてあげられるのは世界で俺だけ。
「満足しました?」
「ん」
顎先で軽く頷き、あっさり踵を返す。記者としてスタートを切った店が潰れた現実を惜しんでいても顔には出さず、寂しさや虚しさを悟られまいと振る舞って、そんな器用なのか不器用なのかわからない面倒くさい大人に愛しさが募りゆく。
「シメに観覧車乗って帰るか」
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