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第7話

JR石川町駅から横浜中華街まで徒歩五分。きらびやかな善隣門を抜ける頃には大勢の老若男女が歩行者天国をそぞろ歩いていた。 「ご当地マンホールみっけ」 薫がスマホを構え、雑技団の少女が曲芸を演じるイラストが描かれた鉄蓋を激写。 「来んの初めて?」 「小学校の社会見学で一回」 「観光じゃねえんだ」 「直接現地に飛ぶんで。香港は三回行きました」 「嫌味ったらしいセレブ」 石段の上には荘厳な貫禄帯びた関帝廟が立ちはだかり、記念撮影に臨む観光客が群がっていた。灰を均した香炉には無数の線香が手向けられ、濛々と煙が漂い出す。 「お参りします?」 「拝観料とられるぞ」 「気乗りしませんか」 「本殿内は火気使用厳禁だと」 「煙草やめましょうよ」 然程関心もないので参拝は辞めておく。仕事柄商売繁盛を祈るのも気が引けるし、遊輔を敷地に入れたら最後、線香代わりに煙草を挿していきそうだ。 前提として、薫は神様を信じてない。神頼みに否定的な人間が形だけ真似るのは滑稽だし、純粋に信仰を捧げる人たちに失礼な気がした。 通りの両岸には様々な店が並んでいる。屋台では北京ダックや油淋鶏、台湾唐揚げや小籠包、蒸籠でふかした各種中華まんが売られていた。仄白い蒸気に乗じ広がる匂いが食欲をそそる。 杏仁ソフトにマンゴープリンに胡麻団子、甘栗や馬拉糕などの甘味やドリンク類も充実しており、通行人の多くが太筒のストローを吸っていた。商魂逞しい呼び込みも活発で、カタコトの日本語と早口の中国語がそこらじゅうに飛び交っている。 買い食いを楽しむ群衆を眺めていたら小腹が空いてきた。先客と入れ違いに注文する。 「豆花一個」 「あいよ」 テイクアウト専用のカウンター越しに渡されたのは台湾夜市名物・豆花。固めた豆乳に甘いシロップをかけ、小豆や薩摩芋、お好みのフルーツをトッピングすれば出来上がり。豆腐をアレンジした涼しげなスイーツで喉越し最高だ。 「お代は遊輔さん持ちで」 「催促すんな、借金取り立てられてる気分になる」 「自分から言い出したんじゃないですか」 しぶしぶ代金を払い、お釣りの小銭を受け取る遊輔。 白昼の大通りは猥雑な活況を呈していた。老夫婦に家族連れに外国人、自撮り棒を立てて実況中のユーチューバーも見かける。東西南北に構える代表的な門の他、道幅の狭い小路にも旗や提灯が揺れていた。 衣装レンタルも可能らしく、チャイナドレスに着替えた女の子たちが蝶々みたいに戯れる都度弾ける嬌声に場が華やぐ。 スリットから覗く肉感的脚線美が遊輔の視線を奪ったのを見逃さず、限りなく能面に近い笑顔で指を立てる。 「糖葫芦追加で」 「まだ買うのか」 険しい顔が立ち戻る。 「一緒にどうですか」 「甘えの苦手」 「絵面が厳しいか」 串刺しのいちご飴、糖葫芦を一粒頬張る。よく冷えていて美味しい。表面にコーティングされた水飴は意外と固く、凍ったいちごの食感はシャーベットに似ていた。 「パリパリ感がイケる」 「口ん中切らねーように気を付けろ」 「痛っ」 「言ったそばから」 遊輔が薫の顎を掴んで固定し、眉間に川の字を刻んだジト目で口内を点検する。 「血は出てねェ。大丈夫」 食べ歩きは中華街の醍醐味だ。足の向くまま気の向くまま、店を冷やかし散策を続ける。おごると約束した手前反故にもできず、遊輔は泣く泣く自腹を切っていた。 「すごい並んでますね。パンダまん目当てかな」 「口コミで人気の店か」 「種類ごとに顔が違うのがウリだとか。どれにします?」 「豚角煮まん」 「俺は元祖パンダまんにします」 少年少女が微笑む劇画調絵看板の下、軒先には赤い提灯が連なり、動物の顔をかたどった愛嬌たっぷりの中華まんがガラスケースに並ぶ。前で騒いでるのは修学旅行中の学生だろうか。わざわざ振り返り、興奮気味に囁き交わす。 「ねえねえ後ろの人めっちゃカッコよくない!?」 「モデル?芸能人?」 「足長~スタイルいい~」 連れは眼中にないらしい。チラ見にポーカーフェイスを決め込む薫に対し、引き立て役が小声でぼやく。 「目立ってしょうがねえ」 「僻まないでください」 順番を待って買い求め、オレンジの豚まんを渡す。 「熱いんで気を付けて」 「サンキュ」 「いただきます」 饅頭の皮はほんのり甘く、こし餡が贅沢に詰まっていた。遊輔も気に入ったようで、はふはふ言いながらかぶり付く。 「八角っぽい風味がイケる」 「まるごと入ってるんですか。豪快」 「食いであんな」 蒸気で曇った眼鏡を外し、雑にレンズを拭いて掛け直す。 「一口ください」 「あーん、とかしねえよ」 「ケチ」 「絵面への配慮」 「もうちょっと見ていきましょ」 「ちょ、まだ食いきってねえ」 角煮まんを詰め込む遊輔を引っ張り、意気揚々敷居を跨ぐ。間口は狭いが奥行きがあり、陳列棚に中国産のグッズが犇めいていた。剣を擁してとぐろ巻く金龍の置物に厨二心を刺激された遊輔が一旦通り過ぎてから引き返し、「おお」と感嘆符を発する。 「男の子ですねえ。修学旅行じゃ木刀買って帰るタイプ」 「ニヤニヤすんな」 「買います?」 「重てえぞ」 「遊輔さんが荷物持ちなら」 行ったり来たり物色中、棚の片隅に置かれたマグカップが目にとまる。 「パンダ四十八手だ」 「なに寝ぼけたこと……本当だ」 表にはオスメス番いのパンダが描かれ、日本人の叡智が結集した、四十八ものアクロバティックな体位を実践していた。「立ちかなえ」「吊り橋」「ひよどり越えの逆落とし」とご丁寧に説明付き。デフォルメされた頭身は愛くるしいものの、やってることはいかがわしい。 一目惚れに胸ときめかせ、手に取った見本をしげしげ眺める。 「白黒なのにイロモノとはこれいかに」 「誰うま」 「じわじわ来ます」 「最上の結婚祝いに贈ろっかな、ネタで」 広口のカップを辿る指が跳ねる。最上は遊輔の元同僚で先日バーに来店した。 「最上さん結婚してるんですか」 「新婚さん。世の中間違ってるよな」 「そうだったんだ」 口元に込み上げる笑みを隠し、思いきって提案する。 「買いません?ペアで」 「嫁さん引かねえかな」 「俺と遊輔さんのですよ」 露骨に嫌な顔された。大人しく棚に戻す。 「お揃いは嫌か」 「問題は柄だ柄」 「ウチで使うならセーフでしょ、誰も気にしません」 「俺がする」 興味津々ひねくり回す。 「中も深くて使いやすいし絵は参考になります」 「したらブッ殺す」 遊輔は人民帽を指に引っ掛けくるくる回し、薫は捧げ持ったカップを不満げに凝視し、断じてお互いの方は見ず主張する。 「マンネリ解消グッズに使えません?」 「たとえば」 「目を閉じて回して指す」 「四十八手ルーレットで白黒決めましょってか」 「迷った時に」 「おかず選びみてーなノリでほざくな」 「広義のオカズではありますし」 「マンネリ化するほどヤッてねえしヤらせる気もねえ」 人民帽を目深に被った遊輔があたりを憚って囁き、薫が控えめに拗ねる。 「遊び心忘れた大人って興ざめだな」 「猥褻物にゃ自腹切りたくねえって言ってんの」 「ジャイアントパンダが交尾してるだけですよ。繁殖行動は動物の本能、自然な営みです」 「四十八手の必要性は?」 「着床しやすい体位の研究とか。絶滅危急種ですし」 「苦しい言い訳」 「両方オスならどんでん返し」 冗談ぽく嘯く薫を、人さし指で庇を上げた遊輔が睨む。 「人に見られたら組体操してるってごまかせばいいじゃないですか」 「松葉くずしだのひよどり越えの逆落としだのばっちり書いてあっけど」 「修正液で消して」 「あ゛~も゛~わかったわかった」 帽子を脱いで返却、カップが入った箱をレジに持ってく。 「行くぞ」 遊輔が会計を済ませて歩き出す。薫は人民帽を取り上げ財布を開く。 「袋に入れてください。透過しないヤツで」 「かしこまりました」 狛犬の石像が入口両脇に控える山下町公園で一休み。中華風の屋根が特徴的な四阿のベンチに掛け、濃厚フカヒレスープを啜る。 「あったまりますねえ」 「五臓六腑に染み渡る」 奥の児童公園では子供たちが元気に駆け回っていた。野菜売りの老婆は外縁の段差に座って日向ぼっこし、人間の食べ零しを狙い舞い降りた鳩の群れがせっせと地面を啄む。 ズボンの膝に散らばった唐揚げの衣をちびちび摘まんで放り投げ、遊輔が羨む。 「肥えてんなー」 「普段からいいモノ食べてるんでしょうね」 「ここの鳩に生まれ変わってエロ巨乳に餌付けされてえ。チャイナドレスならなおよし」 「ゴミ拾い頑張れば九十九里浜のアサリ位は目指せるんじゃないかな」 薫がちぎり撒く馬拉糕に羽ばたいた鳩がたかり、猛烈な勢いで食い尽くす。 「そろそろお店入りません?」 「食べ歩きで腹一杯」 「……レストラン予約しないタイプか」 尻ポケットのスマホが鳴る。マスターからメッセージが届く。 「今どこ」 「台北ですって。九份観光楽しんでるみたいです」 「帰りは?」 「あさって」 風雅に花開く工芸茶を囲み、ギャルピースをキメたニューハーフの写真を見せる。遊輔がスープを飲み干す。 「満喫してんなあ」 謎の対抗心を燃やして遊輔と写真を撮り、『横浜デート中です』と送信。すぐに『やるじゃない』と親指立てたスタンプが付き、口元が綻ぶ。 山下町公園を出たあとは路地を見て回る。 「あれ?ここ……」 たまたま差し掛かった一区画を見て、薫が困惑する。そこは店と店の間の細い路地で、壁や地面に陶器の欠片が埋まっていた。遊輔が注釈を挟む。 「店で出た割れ物埋めてんだ。奥立ち入んじゃねーぞ、私有地だから」 「何があるんですか」 「普通の民家」 「詳しいですね」 「ガキの頃探検してどやされた」 「迷子になったんじゃなくて?」 「土地勘ばっちり」 「遊輔さんの出身て確か」 「川崎」 知ってた。 色柄ばらばらな陶器の欠片をモザイク状に散りばめた路地にフラッシュを焚き、さりげなく歩幅を揃え歩き出す。遊輔は呆れを交えた苦笑い。 「変な奴。あんなの撮って楽しいか」 「珍しい景観で面白いです」 この人と一緒だと見るもの聞くこと全部新鮮に感じる、ただ歩いてるだけで満ち足りる。 「昔の話もっと聞かせてください」 「ツマンねえぞ」 「知りたいんです」 優しい目をした薫に乞われ、懐かしげに話し出す。 「さっきの路地さ、勝手にモザイク横丁って呼んでたんだ」 モザイク横丁の奥、民家の庭先でランニングシャツの中年男と遭遇したこと。空気入れを踏んで自転車タイヤを膨らませていたその男が、自分を見るなり雷を落としたこと。走って逃げる途中で運動靴がすっぽ抜け、一時間後にびくびくしながら取りに戻ったこと。中華街には在日中国人の友達に会いに来ており、彼の父親の店で食わせてもらったこと。友達の祖父が中国残留孤児二世で、大陸の話をよく聞かされたこと。 「週刊リアルもただ読みし放題。ただし親父さんのお下がりで一週遅れ」 他愛ない思い出話に相槌打って歩を進めるうち、一際賑やかな区画にさしかかった。朱い提灯を吊った小路の両岸には占いの店が軒を連ね、看板持ちが虎視眈々と新たな獲物を狙っている。 「よってらっしゃい見てらっしゃい、今だけたったの五百円だよー」 同時に顔を見合わせる。 「行きますか」 「安いし」 合意に至り敷居を跨ぐ。たちまち胡散臭いちょび髭親父が駆け付け、衝立で仕切られたブースに二人を案内する。 「ようこそいらっしゃい。初めて?座って座って、うちは手相占い専門なの。で、なに見てほしい?恋愛運仕事運全体運なんでも承るよ」 「全体運を」 「よしきた」 片手で薫の手を持ち、片手に虫眼鏡を持って占いを開始する。 「ふむふむ……なるほど。手を使うお仕事してますねユー、おそらく水商売」 「当たりです」 「しかもダブルワーク。片方は割と手堅く片方は危険、一歩間違えば身の破滅を招くって出てるねェ。一年と少し前に転機が訪れたでしょ、運命的な出会い」 「当たってる……」 遊輔と接触したのがちょうどその頃だ。確信を得た占い師が立て板に水の勢いで捲し立てる。 「相方に難あり?もともと一人の方がコスパよく回せるのに、ドジでおっちょこちょいなパートナーの尻拭いさせられるの地味~にストレスでしょ」 眼鏡越しの三白眼が据わる。 「それが本音か」 「誤解ですって」 「我慢は体に毒。素直になっちゃえユー」 「ルー大柴か」 「仕事相手は選んだ方がいいよ~これ善意のアドバイスね。次は恋愛運……見かけによらず奔放なタイプ?今は本命に一途だけど、過去の恋人が未練たらたら付き纏って波乱の予感。ややっ、三角関係フラグ立ってるぞ」 「しーっ」 占い師の口を塞いで振り返れば、隣のブースに招かれた遊輔がきっぱり宣言されていた。 「女難の相が出てます」

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