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第6話

「横浜行くぜ」 「はい?」 ミキサーのスイッチを切って顔を上げる。遊輔は肩に背広を引っかけ、あっけらかんと言ってのけた。 「一日位出かけたってバチあたんねーぞ」 「なんで横浜?テレビや雑誌で特集組んでたんですか」 「久しぶりに中華食いてえ」 スムージーをタンブラーに移し、一口飲んで考え込む。 昨夜、遊輔と喧嘩した。留守中に元カノを引っ張り込み、しっぽり乳繰り合っていたのが諍いの原因だ。 遊輔の素行が悪いのは言わずもがな、真っ只中に立ち会ってしまうとは……タイミングの神様は余程薫が嫌いと見える。帰宅早々浮気を見せ付けられたやるせなさは燻り続け、今朝からマトモに話してない。 もっとも、顔を合わせ辛い理由は別にあるのだが。 これまでも喧嘩は経験した。大抵は薫が譲歩した。遊輔が折れることもないではない。今回は珍しく居候の方から歩み寄ってきた。朝の挨拶はおろか会話さえ避け続ける薫の態度に、彼なりに思うところがあったらしい。 それもそのはず、部屋を追い出されて困るのは遊輔自身なのだ。 棚の上の時計は午前九時をさしている。今から出れば昼前には到着する計算だ。遊輔がカウンターに寄りかかり片手で拝む。 「一日だけ!なっ?」 「ご機嫌取りなら俺の第一希望聞いてください」 「行きてえ場所は」 「特にありません」 「聞き損じゃん」 「しいていうなら『Lewis』に」 「昨日も一昨日も行ったろ、仕事場は行きたい場所に入んねーよ」 「好きに使える貴重な機会に腕を磨いて何が悪いんですか」 「休日って概念ねえのか。一応日曜だぜ今日、週末は休め」 「安息日だからって休む義務ありません。無宗教の無神論者でしょ俺たち」 スムージーを一杯飲むのは母から引き継いだ朝の習慣。遊輔は鼻を鳴らし、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを飲む。普段は二人分淹れてやるが、今日はお預けだ。 グリーンスムージーを渡すたび「藻を飲んでるみてえ」とぼやくので、もともと有難迷惑だった可能性は否めない。 「曜日関係ないのはお互い様ですよ、平日だろうが休日だろうが競馬やパチンコ通いまくって」 「平日休日祝日関係なく一年中開いてんだもん、そりゃ通うさ」 「三十路過ぎた人が語尾に『もん』とか付けないでください、痛々しい」 「うざ。ガキのくせに説教すんな」 空っぽのタンブラーを荒々しく置く。 「都合悪くなるとすぐ年齢盾にするんだから。遊輔さんの言動端的に言って老害ですよ」 「俺はまだ三十、」 「年相応の振る舞いしてくれって言ってるんです」 苛立ちが募り、眉間を顰めてこめかみを揉む。 「おごる」 聞き間違いを疑い正面を見れば、遊輔がドシリアスな顔で言った。 「カネは出す」 「そんなに中華街で食い倒れしたいんですか」 万年金欠の遊輔がおごるなんて。それも男に。信じられない思いで見返す薫に対し、皮肉っぽい笑顔を作る。 「気晴らし必要だろ。俺らみてえのは特に」 「俺たちみたいな社会不適合者?」 「言わせんな」 「否定はしないんだ」 最大限の譲歩、出血大サービス。断腸の思いで「おごる」と口にした証拠に、財布の中身を確認する目は血走り、痩せ我慢の汗をかいていた。 仕方ない。わざとらしく息を吐き、几帳面に洗ったタンブラーを伏せて水を切る。 「車で行くんですか。停められないし混みますよ」 「電車」 新宿駅三番ホームからJR相鉄直通線海老名行に乗り、武蔵小杉で横須賀線久里浜行に乗り換える。片道四十分足らず、往復でも八十分かからない。 日帰りで楽しめる近場の観光地として、真っ先に横浜を挙げた遊輔の発想は合理的といえた。 電車で移動するのは久しぶりだ。週末ということもあり、家族連れやカップルで車内は賑わっていた。 「服、それでいいんですか」 「文句あっか」 薫はカジュアルなシャツとズボン、遊輔はラフに着崩したダークスーツ。前を開けた背広からは紫のシャツが覗き、とてもじゃないがカタギに見えない。周囲の客も距離をとり、チラチラ盗み見ている気がする。 「ただでさえ身を持ち崩したインテリヤクザと落ち目のホスト足して割ったような外見なんですから、コーディネート考えてください」 「他の服持ってねえし……便利なんだよスーツ」 「その格好で取材行ってたんですか。アングラ専門に成り下がるわけだ」 「逆だ逆、合わせたカッコしてるうちに馴染んじまった」 「物は言いようですね」 ガタンゴトンと電車が揺れ、都心の高層ビル群が車窓を流れて行く。生憎席には座れず、仲良く並んで吊り革を掴む。 「すごーい、ビルでっかーい」 「靴脱いでたっくん」 景色に夢中な男児を父親が諫め、母親が「すいません」と頭を下げる。微笑ましい光景。父親に靴を脱がされた男の子と目が合った。にっこり笑いかけられ、こちらも笑い返す。 それとなく視線を切れば、正面のガラスにぼやけたシルエットが映りこむ。 俺と遊輔さん、どんなふうに見えるんだろ? 友人にしては年が離れすぎだ。先輩後輩や兄弟ならあり得なくもないが、服装の方向性や雰囲気が違いすぎて、客観的に接点を見出すのは難しい。 まずもって確かなのは、恋人と誤解する人間はごくわずかだろうということ。男同士のカップルは新宿駅構内でちらほら見かけたが、日本最大の歓楽街を擁す場所柄を差し引いても、二人の間に甘い雰囲気は皆無だった。ヤクザとカモが現実的な路線だろうか。 強引な誘いを断りきれずここにいるのは、与り知らぬ所でオカズにしている負い目のせい。 「子供にモテるな」 ぶっきらぼうな声に向き直る。 「見られちゃいました?」 「歌のお兄さんになれよ」 鼻で笑われた。 「遊輔さんと一緒なら考えます」 薫の当て擦りに言い返そうと口を開く。同時に駅に着いてドアがスライド、前に座っていた会社員が腰を浮かす。 「ん」 無造作に顎をしゃくり、空いた席を譲る。 「腰辛くないですか」 「年寄り扱いすんな、しまいにゃ怒るぞ」 「それじゃ遠慮なく」 好意に甘えて着席し、膝の上にバックを抱く。規則正しい振動が靴裏に伝い、正面に佇む遊輔を上目遣いに観察する。首の凝りをほぐすように手を当てる仕草に崩れた色気を感じる。捲れた襟の下、首筋に赤い痣を発見した。キスマーク。 片眉が上がる。 「なんで怒ってんの?」 「怒ってません」 「変な奴」 幸か不幸か本人は気付いてない。捨て台詞は聞き流し、スマホをいじるふりをしながら時折目をやる。遊輔は黙り込んで何かを見ていた。素朴な好奇心から視線を追い、網棚に忘れられた週刊誌に気付く。遊輔が以前書いてた雑誌、週刊リアルがそこにあった。 網棚の上のリアルを眺める顔に複雑な表情が過ぎる。声をかけるのを躊躇わせる雰囲気。古巣に未練があるのか否か、その様子からは判じがたい。 この人はどこでも真実を追っかけている。 報われなくてもずっと。 「パクんないでくださいね」 「しねえよンなこと」 間髪入れずよこされた返事に安堵し、明るい顔と口調で茶化す。 「昨日テーブルにあったのは?」 「帰りがけにホームレスのおっさんから買った。一冊五十円」 「ああ、終電から回収してるヤツですね。ちょっと前まで遺失物係の駅員さんがこっそり卸してるのかと思ってました」 「ホームレス支援団体が出してるケースもある。ビッグイシューとか面白いぜ、割と」 「何ですかそれ」 「ホームレスにだけ手売りが許されたロンドン生まれの雑誌、社会問題の特集の他に有名人のインタビューなんかも載ってる。映画にもなった」 「知りませんでした。さすが詳しいですね」 勉強不足を恥じて素直に感心する。遊輔が得意げに吊り革を揺らす。 「腐っても記者ってな」 「NBAは知らなかったのに」 「バーテンにインタビューしたことねえんだよ!」 電光掲示板が駅名を表示する。 「乗り換えですよ」 減速した電車がホームに滑り込む。武蔵小杉駅で下りた薫の肩を、隣を歩く遊輔がトントン突付く。顔には悪戯っぽい笑み。 「お友達が呼んでんぞ」 さっきの男の子がガラスに張り付き、小さく手を振っていた。面映ゆげに手を振り返す薫に対し、すまなそうに両親が会釈する。遊輔はニヤニヤしていた。

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