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第5話

強く目を閉じて残像を断ち切り、洗面所に沿った廊下に出る。遊輔が待っていた。 「まだ何か」 そっけなく聞けば、気まずげに頭をかいて返す。 「……他の部屋入れてねーから。被り物も見付かってねえ」 「そこまで軽率だとは思ってませんよ」 薫たちは動画サイトにチャンネルを持ち、法で裁けない犯罪を暴いている。コンビ名はバンダースナッチ。少し前に逮捕された殺人鬼とも接触していた。 バンダースナッチは正体不明だ。 告知に用いるSNSと最低月一で更新する動画の他は一切情報を公開せず、撮影時は被り物をする徹底ぶり。 盗聴盗撮ハッキングを筆頭に法に触れる行為を多々しており、大っぴらにスタジオを借りるのも難しい。動画撮影、およびライブ配信は薫のマンションから行うのが常だ。 もしもあの女がフォロワーで、動画の背景と内装の一致に気付いたら……。 「次からよそでしてください」 「ああ」 遊輔の女遊びを禁じる権利はない。咎める資格すらない。彼等は恋人同士ですらないのだ、残念ながら。 胸の内のモヤモヤを飼いならす薫をよそに、遊輔が紙袋を突き出す。 「リビングに忘れてたぜ」 「!」 咄嗟に奪い取り、声を潜めて牽制する。 「中見ました?」 「見てねェけど……あっこら」 無視して歩き出せば、案の定肩を掴んで引き止められた。 「持ってきてやったんだから礼くらい」 「まず謝ってください」 「はあ?なんで」 「俺の家ですよ」 「その件なら片付いたろ。もうしねえよ、これでいいか」 いい加減キレそうだ。遊輔を押しのけ廊下を進む。 「今の時間まで店にいたのか」 「だったら?」 「根詰めすぎじゃね?息抜きしろよ」 「ご心配なく、ちゃんとペース配分考えてるんで。俺みたいな半人前は手と指に覚えさせなきゃいけないんです」 「オンでもオフでもシェイカー振って夢ん中でもシャカシャカやってんの?職業病極まれりだな」 立ち塞がる遊輔に対し、凶暴な衝動が湧く。 「どんな夢見てるか知りもしないで」 部屋に駆け込んで施錠する。がちゃがちゃノブが回り、激しいノックが鳴り響く。 「てめえ薫!」 「次の標的は日下部智則、中堅音楽プロダクション『コスモミューズ』社長。ミュージシャン志望の女の子を食い物にするクズ」 ノックが止む。 「そっちの進捗は」 「……裏はとれた。偽契約書手に入れんの難儀したけど、芸能方面に強ェ奴がいてさ」 「こっちも順調です。事務所のPCに遠隔で仕込んだカメラも問題なく作動してます」 深呼吸を挟む。 「だから、ほっといてください」 薫は薫の仕事をする。 遊輔は遊輔の仕事をする。 それ以上は干渉するなと、ドア一枚隔て線を引く。 「―そうかよ」 諦めて引き返す足音。徒労感と虚しさが募る押し問答を終え、ドアから離れる。 薫の私室に遊輔は立ち入れない。外出中は鍵を掛ける習慣だ。ここには見られたら困るものが沢山ある。 たとえば、隠し撮りした写真とか。 廊下の突き当たりのドアの奥、寝室の壁には夥しい写真が貼られていた。スマホから印刷したものはもちろん、卒業アルバムの個人写真を引き伸ばしたものや興信所に盗撮を頼んだものも含まれる。薫自身が尾行して撮った写真も多い。 遊輔は被写体の八割を占めた。残り二割は関係者。元同僚・元上司・元恋人、そして母親。 壁には画鋲が打ち込まれ、そこに赤い糸を引っかけ、写真同士を立体的に結んでいた。相関図の中心には出版社のビルに入ってく遊輔がいた。 この手法はウェビングといい情報整理の基本だ。ノートに纏めるのが一般的だが、海外ドラマではコルクボードを使用することが多い。 シリアルキラーの部屋みたいだな、とひっそり自嘲する。 紙袋をベッドに投げ置き、遊輔を中心に展開した相関図をじっくり見直す。 薫の趣味は遊輔の記事をスクラップすること、自室の壁に遊輔のポートレートをコラージュすること。 「貴方のことなら何でも知ってます」 たとえば愛用する煙草の銘柄、コンドームの種類、家族構成。 遊輔は貧困家庭で生まれ育った。母親は風俗嬢、父親は不明。家庭環境は劣悪で、母は外泊を繰り返し、小学生の息子を一週間以上放置したこともある。 同じ小学校の卒業生から買った卒業アルバムを開く。眼鏡のフレームをセロハンで補修した遊輔が、集合写真の中央列端っこでふてくされていた。髪はぼさぼさで擦り傷だらけ、季節外れの半袖半ズボンが目立っている。切れた唇の端には絆創膏。喧嘩っ早い子供だったらしい。 それとも、母親の恋人にされたのか。 遊輔の母は男の趣味が悪い。連れ込んだ男は子供を殴った。近所から通報が行き、児童相談所に保護された記録が行政機関に残っている。養護施設にも数回出入りしていた。 中学に上がった頃からますます親が寄り付かなくなり、ほぼ一人暮らし状態と化す。 よそで男と暮らし始めた母親はごくまれに帰宅し、ちゃぶ台に金を置いてまた消える。生活費の不足分は年をごまかし、まかないが出るキャバレーで稼いだ。 一番荒れていたのは高校時代。区内で最も偏差値の低い高校へ進み、地元の不良と喧嘩に明け暮れる。 学ランに咥え煙草でパチンコを打ち、台パンする遊輔の写真に手を翳す。遊輔が当時入り浸っていたパチンコ屋の店長が、迷惑行為の証拠としてこっそり撮ったブツで、手に入れるのに苦労した。 「遊輔さん」 風祭遊輔の人生をコレクションするのが富樫薫のライフワーク。 実年齢では決して追い付けないからこそ、過去の断片を偏執的にかき集め、現在に至る痕跡を辿ろうとする。 なのに何故満たされないのか、集めても集めても渇望が癒されないのか。 「ッ、は」 動画を再生し、スマホをベッドに放る。ズボンのジッパーを下ろし、萎えた陰茎を引っ張り出す。 『なんだってこんなまだるっこしい、ッは、監禁まがいのまね』 『怖いですか。声、震えてますけど』 『誰が』 『甘やかされたセックスしかしてこなかったんでしょ、どうせ』 映像と音声が流れ出す。生々しい衣擦れと息遣い。スマホの窓の中、幅広の布で目隠しされた遊輔が弱々しく身悶える。両手は手錠で拘束されていた。 『かお、る、手ェどけろさわんな、ッぐ、はぁ』 仰け反った遊輔が切ない声で喘ぐ。手錠の鎖が伸び切り、ベッドパイプとうるさく擦れる。 ハメ撮りされた事実を遊輔は知らない。視覚を封じられた焦りと混乱、恐怖と嫌悪に顔を歪め、前を大胆に開かれたシャツから引き締まった裸をさらす。 横に寝かせた画面の中、薫の手がズボンを寛げていく。 『遊輔さん、メスイキしたことないでしょ』 トランクスをずらす。カウパーにぬら付くペニスが露出する。 「っは」 生唾飲んで痴態に見入り、前屈みで股間をしごく。まさか撮られてるなどとは思いもしない遊輔は、上半身に申し訳にシャツを引っかけ、下半身をわななかせて懇願する。 『かお、る、抜け、苦しッ、ぁぐ』 生理的な涙と汗で湿った布が張り付き、眼窩の形を浮かす。引き締まった体が痙攣し、跳ね、弛緩しきった口から涎が糸引く。 しどけなくばらけた前髪、苦痛の皺を刻む眉間、セクシーな首筋。喉仏の尖りを汗が伝い、鎖骨のくぼみで弾ける。 『目隠し、とれ、頼む、見えねッ』 三十路過ぎるまで女を抱いたことしかないノンケの男が、ひと回りも下の若造のテクに堕とされ、みっともなくよがり狂って。 「ん゛っ、ん」 カウパーの濁流にまみれたペニスが勃起し、力強く鎌首もたげていく。 『ふッ、うっ、んん゛ッ、ぁ゛っぐ』 どれだけ淫らな格好をしているか、どれだけ淫らに喘いでいるか、罪深いほど鈍感な遊輔は気付かない。噛み締めすぎて切れた唇が嗜虐心をそそる、手錠を噛まされた痛々しい姿に劣情を催す、どうしようもない男のどうしようもなさにのめりこむ。 こんな遊輔さん、あの人は絶対知らない。 知ってるのは俺だけ。 屈折した悦びに伴う優越感で嫉妬を相殺し、局部をズームする。ペニスの根元に生えた陰毛はしっとり濡れそぼり、ピストンに耐える内腿の筋肉が細かく慄く。 再び顔をズーム。目隠しの下が酷いことになっているのがわかる。 快楽に翻弄される素顔を妄想する。額に張り付く濡れ髪に潤む三白眼、赤らむ目尻― 「ッ、ふ、く」 熱い吐息を漏らす、手の動きが速まる、遊輔のハメ撮りをオカズにオナニーする。 今してることがバレたら絶交される、とことん軽蔑される。なのに手は止まらず加速し、ペニスはずくんずくん脈打って太くなる。 『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!』 「っ……」 凄まじい自己嫌悪と罪悪感が渦巻く中、乱れに乱れた遊輔が絶頂に上り詰めるのを見届け、束ねて抜き取ったティッシュに精を放った。

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