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第12話
「貴方のリアリティーを俺のリアルに押し付けないでください」
報われざる正義感と使命感が鍛えた反骨精神。風祭遊輔の本質を解剖し心を打ち砕く。
「遊輔さんはエゴイストの偽善者です」
「~っ、言わせとけば」
「昨日今日思い付いたわけじゃないでしょ。ずっと前からカウンセリングの予定組んでたんですか」
「話すり替えて逆ギレたァ上等だハメ撮り野郎、データ削除しやがれ」
「嫌です」
「反省してねえ」
「おあいこじゃないですか」
「何言って」
「自分だけ真っ当なフリすんのずるいですよ、俺の動画見たくせに」
「アレ、は」
薫が囚われた地下室に踏み込んだ際、遊輔は父が撮ったポルノを見ていた。
「一緒にすんな、あんな胸糞悪ィ……思い出しただけでむかむかする」
「本当は興奮してた」
「わけねえ」
「興味ないなら蓋閉めて消せばよかった」
返答は数呼吸後。
「腐っても記者だぞ。なかったことにできるか」
酷い事故や事件の現場をしっかり見て書いてきた矜持が、遊輔をあの場に踏みとどまらせた。
目を背ける逃げと甘えを許さず、踏ん張らせてしまった。
「あん時見られたのが癪に障って、こんなことしたのか」
「仕返しって解釈でも構いません」
「弱味握り合って保険かけんの?不毛すぎて泣けてくるね」
小さく歌を口ずさむ。
遊輔が好きで、カラオケで教えてくれたブルーハーツの名曲。
「チェインギャング……」
「お互いの手を手錠で繋がれて、強制労働に就かされた囚人が元ネタでしたっけ」
スマホを掲げて寂しげに笑ってみせる。
「これが俺の手錠です」
遊輔が顔を覆い隠す。すぐさま前髪をかき上げ、みっともない素顔を暴く。
「ここは嫌だ。外で」
「青姦?」
「ウチで」
「初めての場所選り好みする女の子じゃあるまいし」
観覧車は遊輔の大事な場所―聖域と表現してもいい。記者として為さんとした正義が悉く報われず、フェイクニュースを手掛けることに抵抗を感じなくなったのちも垣根を築いて囲い続けた場所……辛うじて持ちこたえてきた、良心の防波堤だった。
だからこそ踏みにじる。
髪を梳いて耳を暴く。一瞬びくりとし、怯んだことに腹を立てて睨み返す。怒り。焦燥。羞恥。嫌悪。恐怖。反抗。生意気がすぎてさんざん痛め付けられてきた悪ガキの虚勢と底意地が、落ち目のインテリヤクザじみた険を含む風貌をピリピリ殺気立たせ、厄介な嗜虐心を焚き付ける。嫌がる顔をたっぷり見詰め、からかうように囁く。
「ホッチキス使われた時もそんな顔したんですか」
三白眼が愕然と剥かれ、やさぐれた風貌が真っ赤に染まる。
「ぜってえブッ殺す、賞味期限切れの甘栗限界まで鼻と口に詰めて殺す」
「ちゃんとよくしてあげます」
「望んじゃねえ」
「駄々こねないで」
「~~どっちが、ッは、ぁ」
犯したい。泣かせたい。わからせたい。いい年して青臭い理想にかぶれたこの男にどうしようもない現実ってものをフェイクニュースで大勢不幸にしても懲りない心とケチなプライドへし折って俺を可哀想な子供扱いするのをやめないこの人にどうしようもないからどうしようもない現実をどんなに良くしてくれたって損なわれた年月は戻らなくて本当に償わせたい人間はこの世にいなくて俺が俺自身の手で殺してしまって
『ごらん、みんな見てるよ。手を振ってあげたらどうだ、喜ぶぞきっと』
父さんは死んだ。
俺が殺した。
父親殺しの罪を遊輔さんに着せて、相棒の関係性に落とし込んで縛り付けた。
胸が苦しい。息が詰まる。
「蓮見尊の息子をここに連れてきて、罪悪感は溶けましたか」
結局の所俺は可哀想な子供上がりでしかなくて、可哀想だから優しくしてくれただけなのに同情と信頼取り違えて相棒とか自惚れて、まるで道化じゃないか。
追い上げる手を止め、胸板に凭れかかってせがむ。
「見てください」
「見てんじゃねえか」
「素通りしてるでしょ、誰が父さん殺した罪滅ぼししろって言いました」
「ただの気晴らし」
「ご親切にどうも、おかげさまで幸せな思い出できました。まがい物の嘘っぱちですけど」
軋む声が激情を吹きこぼす。
「貴方を父の代わりにしたくない、死んでも重ねて見たくない俺の気持ちは蔑ろ?」
遊輔が息を飲む。
さらに畳みかける。
「デートは息子への償い?バンダースナッチの活動はボランティア?」
この人が見てるのは俺の後ろの亡霊で、俺はどこまで行ってもフェイクニュースで殺した男の息子どまりで、遺族に償うのは当たり前の義務で、この人の負い目を払拭しないかぎりパートナーと認められる日はきっと来ない。同情は理解から最も遠い感情だから。
肩で息しながら向かい合い、せいぜい悪ぶって遊輔が答える。
「ネタ集めに使えるもん使っただけ」
「嘘だ」
「嘘じゃねえ」
「遊園地の記事で見込んだって打ち明けたから、今日ここに連れてきたんじゃないんですか」
思い出を上書きする為に。理解者に選ばれた義務を果たそうと。
長い沈黙の後、疲労が募った素振りでのろのろ口を開く。
「だったら?」
「……」
「喜べよ、サービスしてやったんだ。大抵のガキは遊園地好きだかんな」
「当てが外れましたね、代償行為っていうんですよそういうの。手近で間に合わせるのは不誠実だ、償わなきゃいけない人はもっと他に」
「死なせたのは一人だけ」
風祭遊輔が書いたフェイクニュースが原因で蓮見尊は自殺に追い込まれた。世間的にはそうなっている。
真実は誰も知らない。
遊輔さえも知らない。
ここにいる薫以外。
「遊輔さんのせいじゃないって何度言えば」
「俺のせいだろ。俺が書いた嘘っぱちの記事でお前の親父は」
「だから違うんです、前提からして間違いなんです」
真実を言えたらどれだけいいか。重荷を下ろして楽になれる。喉元までこみ上げた言葉が閊え、喘ぐ。
「父の死は自業自得です、貴方が責任感じることじゃない」
「あんな記事出さなきゃまだ生きてた」
「いなくなってせいせいしました。やっと解放された」
「自殺に追い込んだ事実は変わんねえ」
前髪を一房握り潰す。
「裏とったかデスクに確認された時、ホテルにオンナ送り込む時、ターゲットを決めた時……差し戻しはできた、けどやめなかった、そのまま行っちまった。どうせ今度もばれやしねえって味しめて、だまされる方が悪いって高括って、しょうもねえでっちあげを」
未成年買春の捏造記事が引き金となり俳優・蓮見尊は自殺、週刊リアルの記者・風祭遊輔は干された。そういうことになっている。
「俺は人殺しだ。ドクズの。人でなしの。お前からたった一人の親父奪って、お前の母親の旦那奪って、家族ばらばらにしちまった」
「父親失格の人です」
「なおさら詫び入れさせなきゃ駄目だ、仏さんになって勝ち逃げなんざもってのほかだ!」
背凭れを殴打する。
「俺のしでかしのあと、蓮見はフェイクニュースの犠牲者として世間の同情勝ち取った。マスコミは落ち目の俳優を悲劇の人に仕立て上げ、ニーズにこたえたイイ話盛りまくり。今後蓮見尊をこえる俳優は現れねえとか身を挺してカミさんと子供守り抜いた父親の鑑とか」
表情が荒む。
「お前それ、どんな気持ちで見てた?」
薫が唇を噛む。
遊輔が髪を掻きむしる。
「俺がもうすこしマシにやれてたら、記者としてデキる奴だったら、長期取材で証拠固めして逮捕まで持ってけたかもしんねえ。当事者生かして罰することもできた。実際は?ベランダから飛んだ野郎はまんまと逃げ切りきめて、俺は犯罪の隠蔽手伝って、お前のことなんか知りもしねえでほったらかした」
「父の自殺は予測できませんでした」
「お前の苦しみにクソくだんねーデマおっかぶせた」
「隠れ蓑もらえて感謝してます、誰にも絶対知られたくありませんでしたから」
遊輔と薫は決定的にすれ違っていた。
片や自分は人殺しだと思い込んで、片や真実を言えず苦しんで、虚しい言葉を投げ合い続ける。ゴールのないコーカスレースと同じ、同じ所をぐるぐるぐるぐる回り続ける。
「仕事に手ェ抜いた」
俯けた額に拳が食い込む。萎れた声が自虐に掠れる。
「書くこと書かねえで、何のために記者になったんだよ」
信念を裏切り、憧れを踏みにじった。
自他ともに人生を軽んじて、周りを巻き込んで破滅させた。
「過ぎたことは忘れてください」
「もっといい方法あった」
「他にどうすればよかったんですか」
「サツや児相に相談」
「俺が?母さんが?いい加減幽霊追っかけんのやめて現実見てください、死んだ父さんの代わりとか死んだ父さんの分までとかズレたこと考えないで」
「お前の願いはできるだけ叶えてやりてえ」
「遺族だから?」
「ケジメ」
「死ねって言ったら死ぬんですか」
擁護や説得の類は無意味で逆効果。この人は罰されたがってる。他でもない蓮見尊の息子に、被害者の遺族に。そうすることで手っ取り早くあやまちを清算し、薫が頭の先まで溺れきった底なし沼から、さっさと一人だけ上がりたがってる。
「はは」
また抜け駆け。本当にずるくて勝手な人だ、楽になりたいのは俺の方なのに。
加害者と被害者遺族の間に恋愛感情は生まれない、生まれるとしたら別の何かだ。たとえば支配と被支配、共依存とか。
それでいい。
しっかり瞳を見据え、泣きそうに笑って。
「じゃあ死ねよ」
「……」
「この高さから飛び下りれば即死できる、蓮見の後追いで二の舞だ、マスコミがきっと喜ぶ」
「窓開かねえ」
「葬式にも来なかったくせに……何してたんですか。麻雀?競馬?女の家にしけこんでたとか」
「パチンコ。台パンして出禁」
「利き手で?」
「そうだ」
「恥ずかしい」
「……」
「情けない」
「……」
「記者失格」
「知ってる」
「両親の知人に優秀な弁護士がいるんです。訴訟起こしたとして、数千万の賠償金払えますか」
「名誉毀損罪は三年以下の禁固刑か五十万以下の罰金」
「やり方次第でもっととれます」
「お手並み拝見。ひん剥いてくれ」
「全国に顔と名前さらされて人生滅茶苦茶になればいい」
「もうなってる」
俺がいるのに?
俺がいるから?
胸の痛みを欺き、鎖骨の膨らみを唇でなぞる。
「足りません」
薫の父母は教育熱心だった。
週刊誌で未成年買春が取り沙汰された蓮見は過熱の一途を辿る取材に巻き込むまいと妻を帰省させたものの、テスト期間中の息子と別居を躊躇い、夫婦合意の上で一時的な父子家庭となった。
あるいは、別の目的と思惑があったのか。
貴方が父に自殺の動機を、俺に実行の機会を与えさえしなければ
「ツケは一生かけて返す」
「フェラできます?」
固まる。
「お願い叶えてくれるって、またお得意の嘘ですか」
頭を抱き込む。
「する方とされる方、どっちか選んでください」
暗い目に反抗的な力が盛り返す。
「子供と目が合うの心配ならしゃがんだらどうですか」
唇をツッとなぞり、口の端に指を引っ掛け伸ばす。
「下に着くまでにイかせられたら許し」
激痛が爆ぜ、咄嗟に飛び退く。遊輔がボールペンを構え、怖い顔で息を荒げていた。
「芯は出してねえ」
「ペンは拳より強し、か。結構痛かった」
「目ェ狙わなかっただけ恩の字」
先端で右手を突かれた。
ボールペンを翳したまませっかちにズボンを引き上げ、遊輔が低く脅す。
「データ消せ」
「消さなきゃどうします。絶交?」
わざと露悪的に振る舞い、試す。遊輔は数呼吸沈黙し、言った。
「出てく」
「本気で?」
「潮時だ。新しい部屋探す」
昨夜の女の顔が浮かぶ。
「あの人んち転がり込むんですか」
「ハメ撮りツッコミ野郎と同じ空気吸うよかマシだね。お前だってそっちのがせいせいするだろ、煙草の煙吸うのに空調フル稼働させなくてすむし」
もとより成り行きで始まった同居、いずれ終わりが来る予感はしていた。それがまさかこんな形でなんて。
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