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第9話 ティティアのしたいこと
始祖神ヴィヌスによって作り出された人間が、知恵をつけて国を出た時。寂しさを埋めるために造られたのがオメガだという。
男でありながら、女の機能を持つ人間。ヴィヌスは彼を愛し、己の側に置いていた。しかし、嫉妬の矛先をオメガである青年へと向けた人間によって、外界へと落とされた。
青年が落ちた人間界へは、神はいけない。ヴィヌスは青年を守るようにと、己の血肉を分けた男神アテルニクスを使いに出した。
そして、アテルニクスは人間界で出会ったオメガの青年と恋に落ちたのだ。
勿論、神がそれを許すことはなかった。アテルニクスは神の恋人である青年を奪った罰として獣混じりにされ、青年は魔力を奪われた。
追放された神の楽園へアテルニクスが戻ることは許されない。彼は獣の頭のまま、青年と過ごすために人の世を納めた。それが、アテルニクス建国の始まりの話。ティティアの知る神話の話とは、随分と違った。
「そうなんだ……俺、人間側に生まれてはいけないものだって言われてたから、ずっとそうだと思ってた」
「まあ、元々オメガは神の所有してたものだったからあながち間違いではないけど……」
「それで、えーと……カイアス様はそのアテルニクスの子孫ってことだよね?」
「カエレス様ね、旦那様になるんだから名前覚えないと」
ウメノの呆れた様子に、ティティアが苦笑いを浮かべる。己の周りにはロクやニル、ハニといった二文字の知り合いしかいないせいか、カエレスの名前が少しだけ覚えづらかったのだ。
「俺、多分三文字までが限界かも」
「なんの話だ?」
「あ」
お手上げです。といわんばかりに眉を下げたティティアの頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。
顎を上げるように見上げれば、黒鉄の毛並みが美しいカエレスが、アモンを肩に乗せたまま不思議そうな顔で首を傾げていた。
「カエレスの四文字、さっき呼び間違えてカイアスって言っちゃった」
「それは私の死んだ爺様の名前だな」
「え?名前の響きって引き継ぐものなんですか?」
「アテルニクスと同じ色を持つと、親が願掛けのように名前を似せるのだ」
「へえ……名前の由来って面白いね」
感心するティティアの両脇に、カエレスはお構いなしに手を差し込んだ。ティティアのぎょっとする様子も気にせずにひょいと抱え上げる。
これは己の所有だと言わんばかりに振る舞う、カエレスからのわかりやすい嫉妬である。ウメノは苦笑いを通り越して引き攣り笑みを浮かべた。
ティティアはというと、驚きは最初のみだったらしい。カエレスの行動に文句をつけるわけもなく、その腕の中で大人しくしていた。
「無意識なんだもんなあ……」
ため息混じりのウメノの言葉に、カエレスとティティアは不思議そうに首を傾げる。
どうやら厄介なことに、カエレスには自覚がないらしい。まさか無意識な嫉妬の対象になるとはついぞ思わなかった。
あどけない容貌に少しの疲労感を滲ませるウメノの姿へと、アモンは可哀想なものを見る目を向けていた。
どうやらカエレスは会いに来なかったのではなく、時間を取るために仕事をまとめて行っていたらしい。
部屋に運ばれている道中その話を聞いたティティアは、そういうのはほっとかれるみたいでいやだとしっかりと主張した。
「君との時間を取るつもりだった。私も番いというものに対してどういう扱いをしていいか分からなくて。ならばまとまった休みをとって過ごすべきかと思ったのだが」
「ロクとか、ハニニルコンビに聞けばよかったじゃん。王様なんだから」
「ニルからも言われたんだ。職務ばっかしてるとない愛想をさらに尽かされますよって。彼もああ見えて愛妻家だから、おそらく経験談なのだろう」
「ニル結婚してるの!」
あの不遜な獣人に奥さんがいることに衝撃を受けたらしい。あんぐりと口を開けるティティアを前に、カエレスは意外だろうと笑う。
お相手はフリヤという鬼族の男嫁らしい。市井で定食屋をやっているようで、ニルの弁当はいつもフリヤのお手製のようだ。
そんな雑談をしているうちに部屋の前まで到着した。しっかりと抱えられてきたので随分と安定感があった。
カエレスは片手で扉を開くためにティティアを抱え直した。普段は足で開くこともあるのだが、番いの前だとどうも気をつかってしまう。
「俺ね、今日オメガの話聞いたんだ。ウメノに……、自分がまだそんな大袈裟な存在とかはわかんないんだけどさ、カエレスが俺の王様だから好きにしていいよ」
「……なんというか、それは確かにありがとうというべきなのだろうが……」
ふかりとした寝具の上にティティアを下ろす。大きなカエレスの手のひらで、薄い腹を覆うことだって容易い華奢な体だ。
もう国には戻れないことは理解しているようだが、それにしたってティティアからは自分の意思というものが薄く感じた。
「人間は人間と番う。雄と雌でだ。その人としての理から外れて、君が私の子を孕むことに対して恐怖はないのか」
黒鉄の美しい毛並みの狼の顔から、感情は受け取りにくい。金糸水晶の瞳を真っ直ぐに向けられると、小さな嘘でも見透かされてしまいそうな気がした。
「わかんないんだあ、俺」
ポツリと呟いたティティアの言葉に、カエレスの獣の耳がピンと前を向く。話を聞こうとしてくれる様子がありありとわかり、ティティアの心はじんわりと熱を持った。
「あれをしなさい、こうであるべきだ。これはしてはいけません。そんなことばっか言われて育ったから、誰かに必要とされるって経験がなくて、どうしていいかわかんないのかも」
「それは……」
「だから、俺でできるなら、必要としてくれるのなら、って考えると、なんかそわそわして……やってあげたくなっちゃうんだけど、変かな」
「…………」
ティティアの夕焼けの瞳が、カエレスへと向けられる。衒いのない言葉に、カエレスの喉はギュウウ、と鳴り、大きな手のひらはゆるゆると持ち上がった。
なんだこの生き物は。下心なく素直を振り撒いて、よく今まで無事で生きてきたものだ。
カエレスの言葉より雄弁に、獣の手のひらが優しくティティアの背中を引き寄せる。
胸板に埋めるように抱き締めると、ゆっくりと、噛み締めるようにカエレスは宣った。
「変じゃない」
「本当?」
「変じゃないし、私は君のことをいっとう大切にしよう」
「わは、すごい尻尾動くじゃん」
ブォンブォンと振り回されるカエレスの尻尾を前に、愉快そうにティティアが笑う。
か弱くて小さな生き物。カエレスは人間のことをよく知らないから、距離の詰めかたもわからなかった。それでもティティアはこの数日で必死に馴染もうとしてくれたんだなと理解して、素直な嬉しさが体外へと現れた。
体の主人よりもはしゃぐ尾っぽの動きは王らしからぬはしたなさであったが、腕の中の番いがキャラキャラと笑うのが可愛くて、カエレスはまあいいかと考えることを放棄したのだ。
今思えば、この時にしっかりとティティアの自己犠牲精神を窘めておけば良かったのかもしれない。小さな体で国に馴染もうとする努力に甘えて、カエレスはティティアの心の本当に目を向けてやることができなかった。
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