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第10話 ささやかな変化

「なんか、痩せましたか?」 「ええ、嘘でしょ」  カエレスと図らずとも距離を詰め、言葉の通りいっとう大事にされているのがわかるほど毛艶が良くなった、そんなある日。ロクは日向ぼっこをするティティアに向けてそんなことを言った。  滑らかな光沢を放つ、美しい黒髪が陽の光を弾く。暇だからとウメノのお手伝いをすることになったティティアは、ロクと二人で回廊から繋がる小さな箱庭のようなところにいた。  言われるままに薬草を摘み終わり、少し早い昼休憩となったそんな午後。指先の土を清潔魔法で取り払ったロクが、気持ちよさそうに寝転がるティティアへと、まじまじとした視線を向ける。  相変わらず薄い体には変わりないが、最初にこの城に訪れた時よりも頬の丸みがそげたような気がしたのだ。無骨な指が、ティティアの細い顎を確かめるように撫でる。 「……なんだか、やはり」 「おいおい、俺は不貞の現場を見せられているのか?」 「ゲッ、ニル」 「カエルの真似かお嫁様」  ロクの頭に大きな耳が生えたと思ったら、ニルが二人を見下ろしていた。相変わらず黙っていれば吐息が漏れるほど上等な面だというのに、口を開くから嫌味が前に出る。  嫌そうなティティアの反応にケタケタ笑うあたり本人は気にしていなさそうだが、悪戯にからかってくるニルをティティアはあまり得意としていないようだった。 「痩せた気がする」 「だって前より食ってるよ?」 「んー?まあ、相変わらず食い出がない体だとは思うが」 「カエレスはこの体でいいって言ってくれたもん」  ニルの言葉に、ティティアの唇がちょんととがる。言葉の端に何かをとらえたのか、むすくれるティティアの顔を振り返るように、二人の瞳が一斉に向けられた。 「もう抱かれたのですか?」 「もう子作りしたのか」 「えっ」  食い気味とはこういうことを言うのだろう。二人の勢いにびくりと肩をすくませると、ティティアはわたわたと起き上がる。  己の言い回しに問題があったことを理解したのだ。慌てて訂正をするように両手を前に出すと、ぶんぶんと首を振って否定した。 「やってない!は、発情期まで待つって!」 「……ああ、なんだ」 「そうですか……」  ニルとロクで、わかりやすく反応が真逆だった。どうやらほっとしているのはロクだけのようだ。獣人側の事情でティティアが妊娠を望まれていることは理解しているが、まだ口付けすらもしていない。たまに手を繋ぐくらいがやっとの二人である。  いっとう大切にするとカエレスがティティアに宣ったあの日の夜に、ティティアは勇気を振り絞って一緒に寝ようと誘ったのだ。  しかし共寝は何事もなく済まされた。まさか添い寝だけで終わるだなんてと、ティティアの方が肩透かしを喰らったのだ。 「だって誘ったって抱いてくんないし。俺、まだ役目果たせてないのわかってんもん」 「ティティアさま……」 「たく、カエレス様が何考えてんのかわかんねえな……」  ロクが昼食がわりにと準備してくれていた、片手で食べれるパンのようなものにくらいつく。中には味付けをしたそら豆を潰したものが入っており、それがとうもろこしの生地で包んであるのだ。  豆の甘味とほのかに感じる香辛料の味が好みで、ロクに頼んで作ってもらった。 「肉は」 「ん」 「こ……まけえ……」    齧りかけのパンと、潰したそら豆の隙間からわずかに見える。細かく刻まれた挽肉を前に、ニルが引き攣り笑みを浮かべた。  あれから少しずつ肉に慣れようと、ハニに相談したのだ。草食同士、同じ悩みに通じるものがあったらしい。ハニが口にできたという細かな肉の存在を教えてもらってから、こうして潰した豆に混ぜて食べるようになった。  無理をしなくていいと言ったカエレスの言葉を押し切って始めたのだ。何がなんでも慣れてやるというティティアの強い意志は、ニルの嫌味を封じることに成功したらしい。   「俺ら肉食にゃあわからねえ努力だけど、まあいいよ……」 「油がなあ……胃もたれするんだよね」 「年寄りみてえなこと言ってる……」  まぐまぐと頬張るティティアの隣では、ロクがいそいそともう一つを作っていた。  感情を顔に表さない鬼族のロクが、ここまで世話焼きだとは思わなかったらしい。ニルは皿に盛られた一つを手に取ると、バクリと大口で頬張った。 「おい、お前の分ではないぞ」 「ごぇっ……味うす……」 「豆嫌いなのによく食ったな……」  涙目を浮かべるニルに、呆れた目を向ける。そんなロクの目の前で一つを食べ終えたらしいティティアが、よいせと立ち上がった。 「俺仕分けした薬草、ウメノんとこに持ってかなきゃだから!」 「ゲヘっごはっ……おま、一人で行く気か」 「だってこの城には俺の敵いないんでしょ?なら一人で大丈夫だよ」  にこりと笑ったティティアの様子に、ニルが手にしていたパンを落とす。  この城がすでに己の居場所で、周りの人が害すことがないと信じているのだ。  そんな無垢なティティアの様子を前に、ニルは返す言葉がなくなった。  多分、お茶してから帰るね!と元気に宣って庭を出ていく薄い背中を見送る。口端に豆のカスをくっつけたまま絶句するニルの肩に、ロクの手がポンと置かれた。 「わかるぞ」 「ああやって懐に入る策略とかではなく……」 「ティティア様だぞ。お前のひねくれと同じに捉えるな」 「てめえな……」  純粋に、身を守るために警戒の瞳を向けられていたわけではない、と言うことか。  先程のティティアのじとりとした視線を思い返し、ニルはまた自滅するようにがくりと頭を落とした。  小さい子供のように、無条件に優しくしてくれる相手に好意を寄せるティティアの姿は危うい。それでも、こんなにすぐに心を許されるとむず痒くもあるのだが。  ハニが普段は読みもしない本をセコセコ用意していた姿を思い出し、そういえばそれもティティアの為だったとクシャリとした顔をする。  ニルは短髪をワシワシとかき乱すと、残りのパンを飲み込むように喰らい、ガバリと立ち上がった。 「便所」 「俺はお前のそう言うところを好ましく思うぞ」 「かーーーーっ、次はもっとうまいもん作れバーーカ‼︎」 「お前のために作ってないからな」  ケッと吐き捨てるように宣うニルの背に、ロクがわずかに口元を緩ませて返す。珍いその笑みを見ることはないまま、ニルは気配を消すようにティティアを追いかけたのであった。  

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