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第12話 小さな違和感

 結局胸が詰まってしまい、ティティアはそれ以上食事を口にすることができなかった。  カエレスには体調が良くないと言って誤魔化した。ひどく心配をさせてしまい、下手くそな振る舞いをした己に嫌悪する。  滋養のいいものを届けようかという心配りをやんわりと断って、ティティアは自室へと逃げ込んだ。  一人でゆっくり寝るべきだと言われたので、カエレスがここに来ることはないだろう。柔らかなベットに横たわりながら、ジクジクと痛む胸を抑えるように、ゆっくりと深呼吸をした。 (知ってる、この痛いのが溜まってくると、俺が泣くやつだ……)  上手くできなくて、嫌になる。周りがティティアのことを考えて、優しく、丁寧に接してくれる。それが贅沢なことだというのは、もちろん理解している。  それでも、周りが気を遣えば使うほど、早く慣れなきゃと気持ちが焦る。   「……俺、なんでこんなにダメなんだろ」  寝具の上、丸くなるようにして膝を抱える。薄い腹に手を添えて、ティティアは毎晩覚えたことを繰り返し思い出すことが日課になっていた。 (口に入る大きさなら切ってもいいけど、芋は潰してたべちゃだめ。お肉も同じ。食事で手を使えるのは、ロクの作ってくれたやつだけ。後、回廊を抜けて他の場所に行くときは端を通る。すれ違ったら、挨拶をして……マルカがいる時は小窓は使っちゃダメ。)  指折り復唱する。ティティアの十本の指で収まる程度のことだからまだいいが、行く場所や、会う人が増えたらどんどん決まり事に縛られ身動きがとれなくなるのだろう。  みんなが、当たり前のようにしている行動だ。ティティアだけが背くことはできない。  食器を使って食べる食事が怖い。教えられた通りにできなくても怒られることはないだろうが、カエレスの番いとして呆れられたらと思うと、己には価値がないと言われているようで嫌だった。  柔らかな声で、いつも気にかけてくれる。カエレスの優しさに応えたいと思って努力しているのに、上手くいかない。 (小さな子でも、食器を使えるって聞いたな)  ティティアはもう大人なのに、食器の握り方から教わった。それが普通ではないのだと知って、急に恥ずかしくなったのだ。  ハニは気にするなと言ってくれる。ロクは、教える機会がなくてすみませんと言ってくれる。  ごめんなさいを使わないほうがいいと言われてから、ティティアは二人に対してありがとうのみを口にする。それが、中身のないもののように感じて嫌だった。  日常に潜む小さな突起が、少しずつティティアの足元を削るように侵食していった。 (あれ?)  それは翌日、カエレスとともに朝食を囲んだ時に起きたことだった。  爽やかに差し込む陽光が食卓を明るく照らし、バターの香りを放つ黄金色の卵は、半熟に仕上げられていた。   朝の軽食は唯一ティティアが平らげられる量に調整されてるというのに、当の本人は齧りかけのパンを口に含んだまま動きを止めていた。 「今日はティティア様がお好きな半熟に仕上げてみましたが、お味はお好みでしたでしょうか」 「あ、ん、うん、いつも美味しいよ!」 「トマトも食べなさい、今日のは一際甘いぞ」 「いけませんわ。ご自分でお召し上がりなさいませ」  トマトの盛られた皿を差し出すカエレスを、マルカが窘める。みずみずしいひと粒を皿に給仕され、ティティアはわずかに息を詰めた。  細い喉がコクンと上下する。夕焼けの瞳がトマトを捉えると、フォークで刺して口に運んだ。  水分が口の中で弾ける。果汁が口内で温められると、ゆっくりと喉を通っていく。  ひくりとティティアの唇が震える。決定的な体の異常に、心臓が嫌な音を立てた。小さく息をつくと、ティティアは緊張を落ち着かせるために水を口に含んだ。 (味が、しない……?)  嫌な汗が、じわりと滲んだ。何かの間違いかもしれない。ティティアは卵を掬って口に運ぶと、パンを齧る。食感だけが強調されて、味がしない。体が、おかしくなっている。 「ティティア様、そんなにお腹減ってたんですか?」 「え、あ」 「本当だ。もう皿がからになっている。いいことだ。おかわりもあるが、どうする」 「もう、お腹いっぱいだから……へへ」  きちんと笑えているだろうか。ティティアは笑みを浮かべながら、心が空っぽになってしまった心地だった。  ただでさえ、役目を果たせていない。人並みができていないのに、味までわからなくなったらいよいよ愛想を尽かされてしまう。  カエレスの唯一の番いに、そんなことが起こるわけない。きっと周りがティティアの異常を知れば、隣にいることは許されないだろう。  これは一時的なものに決まっている。そう思えれば幾分か楽だったろう。カエレスに望まれるままの番いになろうとしていたからこそ、味覚の異常はティティアを追い詰めた。    滞りなく食事は終わった。マルカもカエレスも、風味を探るように食べるティティアの様子を前に、体調が回復したのだと喜んでくれた。  味がない中の食事はいつも以上に苦しいものだったというのに、皮肉にもティティアが気負わない方向に二人は勘違いをしてくれた。   (確かに、望んだことだけど……)  決して、このことを知られてはいけない。震える吐息を誤魔化すように飲み込んだ。食べ終えた皿が下げられるのを黙って見つめるティティアの指は、思考が運ぶ嫌な想像に怯えるように、微かに震えていた。

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