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第37話 それから
あれから少しして、カエレスとティティアはささやかな式をあげることとなった。数ヶ月前には生贄になるはずだった身が、こうして名実ともにお嫁様になるとはついぞ思わない。
本当は式なんてしなくてもいいと言ったのだが、形だけでもやろうとカエレスが言ったのだ。男同士だし、この国には肉親もいないし。誰も観に来ることはないよといえば、カエレスはそんなことないと言い切った。
「まさかとは思ったけど、それにしたってどういう顔をすればいいかわかんないよ」
「好きな顔すればいいさ。主役はティティアだし、別に恥かいたって笑って誤魔化せる相手しか式にはいないし?」
カエレスの城の中。行動範囲が狭いぶん、見知らぬ部屋にいるだけでもそわそわする。ティティアは今、式の準備でハニといた。
アーチ状の天井は、見事な細工が施されたいくつもの柱で支えられている。全体的に、随分と古めかしい。光が当たれば黄金にも見える重厚な木の彫刻が、色とりどりの薄玻璃が綴じ込められた窓の前を陣取っている。
雄々しい美しさを讃える男神の彫刻は、その周りに狼を侍らせ手を上げていた。戦いの一幕を切り取ったのだろうか。しかし、彫刻は帯剣をしていない。
「カエレス様に似てるだろ」
「カエレスのがもっとかっこいいよ」
「ほーーう?」
ハニの問いかけには、ほとんど反射で答えたようなものだった。ゆっくりとティティアの唇がチョンと尖る。照れ隠しらしい顔は小さな顎をあげ、誤魔化すように天井を見上げる。
これから、この場所で一生を誓うらしい。天井は神々の世界を表し、木々の隙間から降り注ぐ木漏れ日で地上を照らすように描かれている。
「ほらこっち。あんま顔あげると後ろにひっくり返るよ」
「ハニは俺のことなんだとおもってるの!」
「ほっとけないちびっこ」
「えーー‼︎」
くふ、と意地悪に、それでもニルよりは優しく揶揄うハニに手を引かれるように、祭壇の脇から外の通路へとでる。
扉の向こうは、長いバルコニーのような通路で隣の部屋へと繋がっていた。爽やかな風が吹いて、それは見事な抜けるような青い空。
城下の白い家々は陽光を受け止めて輝いている。ティティアが生まれた、アテルニクスとは違う街。それでも、どこか似ている感じもする。
隣の部屋の扉を開いて、ハニが恭しく中へと手招く。ひょこりと顔を出せば、人の姿になったカエレスが正装をして待っていた。
「忙しなくてすまないね。私も、この姿がどれだけ持つのかわからなくて」
「一時間は持つようになったじゃないっすか。カエレス様、今日のために練習したんだってよ。幸せもんだねえ」
「ニル、お前なんでここにいんだよ!」
「フリヤが来るの待ってんだよ。もうちっとしたら迎えに行くっつの」
相変わらずの二人のやりとりではあったが、それでもティティアの瞳は真っ直ぐにカエレスへと向けられていた。緩く波打つ美しい黒髪は背中で柔らかく編み込まれている。黒く丈の長い貫頭衣は細かな刺繍が施され、それを金刺繍の見事な腰布で縛っていた。
襟元は、おそらく変化をしてもいいように広く取られているのだろう。大きくスリットは入っていたが、しっかりとした生地で作られていて、むやみに肌を晒すことのないようになっていた。金縁の装飾は細かなアカンサスの柄が施されている。それが、褐色の肌によく似合っていた。
「ティティアの服は、私が着せてあげたいんだがいいかな」
「俺一人で着れるよ?」
「着せて脱がせるってのがおとこのゆ」
「ニル!」
口を挟むように茶々を入れてきたニルは、ハニがしっかりと沈めていた。
ちろりとカエレスを見れば、大きな手のひらで口元を隠して顔をそらしていた。どうやらそこまで深い意味はなかったらしい。ニルが余計なことを言ったのだ。
「なるほど、そう言われてしまえばたしかに」
「カエレス」
「とは言ってもそれはあくまでニルの意見で」
「じゃあ着替えさせて!」
「え?」
ハニの細い足で天井を仰ぐように締め上げられているニルが、それ見たことかと指をさす中。ティティアは唇を吸い込むようにしてカエレスを見上げていた。
赤くなった頬が、振り絞った勇気を表している。徐ろにカエレスの手のひらがそっと腰を引き寄せると、ティティアの唇に口付けた。
「ふ、んぅ……!!」
「すまない」
小さな水音とともに唇が離れる。ぽかんとしたまま見上げるティティアの背後で、ニルとハニが呆れたよう視線を向ける。どうやらティティアにはわからなかった理由を知っているようだ。
カエレスの瞳が二人に向けられると、まるで心得たかのように立ち上げる。
「俺イチ抜け~~」
「俺も、ヘルグんとこ行かなきゃ」
「ええ!? 急に!?」
「ああ、着替え終わったらそっちに行くから」
片手を上げるだけで二人に反応を示すカエレスは、実にご機嫌であった。
何がなんだかわからないのは、ティティアだけのようだ。カエレスは一言、少し待ってて。のみを伝えると、ティティアから離れて箱を取り出した。
「今どこから出したの?」
「影からかな」
「俺も入れる?」
「ティティアが私より先に死んでしまったら、入れるかな」
「ふぅん……」
カエレスの腕にピトリとくっついて箱を覗き込む。そんなティティアの背後では、今のは絶対に聞き流すべきところでは無いのでは……。とハニが青い顔をしていたが、そのまま触れることではないと、ニルに背中を押されるように部屋を出ていった。
「わあ、まっしろだ」
「人の国では白を纏うとロクに聞いてね」
「こっちじゃちがうの?」
「さあ、なにせ私も初婚だからな。話を聞く限り着るようだけど、まあ獣の身なりでは公に行く機会もね」
そっか、と気のない声で返事をするティティアに、カエレスは小さく笑った。
大好きな手のひらが、首の後ろで結ばれた布を解く。一枚の長い布を体に巻き付けるようにして着ていた服は、衣擦れの音とともに容易く床に落ちた。
褐色の素肌は、カエレスとの一度目の交わりで付いた傷で飾られていた。肌の色とは違う、薄い肉の色。
まるで戦士のような傷痕は、華奢な体には不釣り合いであった。
素肌の色とは違う。ティティアの歪な傷跡を刻む肌を、光沢の美しい白の衣服で包み込む。カエレスと同じ長衣に、衿元はスリットを縁取るようにアカンサスの刺繍が施されている。
それを、細い腰紐で縛ろうとして止めた。
「それ、しないの?」
「しない、お腹が苦しいとかわいそうだからね」
そう言って、まだ目立たぬ下腹を撫でる。
金糸水晶は獣のときよりも柔らかく光っている。あの姿も好きだが、表情のよくわかる今のほうが、ティティアの心を擽るのだ。
カエレスによって整えられた身なりを、お披露目する時が来た。
本当なら侍従が行い、カエレスの下へと案内するのが普通であったが、それはティティアが断ったのだ。
だからカエレスは、それならばと今に至る。己の為に好きに着飾らせ、愛で、見せびらかせる合法的な場だと思ったのだ。
「ほらいくよ、皆に私のティティアを見せびらかさねば」
「見慣れた俺だよ、今日はいつもより小綺麗になったけどね」
「手を貸して、指もだよ。そう、私が興奮して狼に戻ったら、指をさして存分に笑ってくれ」
「カエレス、それ予告みたいだ!」
あはは、と笑って、ティティアは白い裾を揺らして一歩踏み出した。体格の違うカエレスと足並みを合わせるには随分と苦労をするけれど、それでも大きな手のひらが優しく手を引いてくれるから、何も怖くはなかった。
砂壁のきゅうくつな部屋から全てが始まった。あの時諦めていたら、きっと今はないだろう。
人と比べることのできない二人が一つになって、一本の道を作り上げる。
眩しい光の中、ティティアが擦り切れるまで願った普通の日常への扉が、今たしかに大きな音をたてて開け放たれた。
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