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第2話・部長が大好き

   本日の衝撃的な出来事を脳内で回想した藤ヶ谷は、ようやく体を起こした。しかしデスクに肘を突き、頭を抱えて俯く。  考えれば考えるほど、切なくなった。  様々なメモが挟み込まれたデスクマットに向かって、力なく声を落とす。 「あんなに番への愛を語って聞かせてくれてたのに……」 「それはそれ、これはこれ。ってのがアルファです。全員狼だと思ってください」 「同じアルファなのに酷い言いよう……」  キッパリと容赦なく杉野に言い切られ、藤ヶ谷は表情を引き攣らせる。  その顔に、杉野の大きな手が伸びてきた。 「これからはちゃんと俺の忠告を聞いてくださいよ!」 「ひゃ、ひゃい……」  柔らかい頬を強く摘まれ、藤ヶ谷は痛みに涙目になる。  杉野の方が後輩にも関わらず力関係が逆転して見えるのは、なにも藤ヶ谷と杉野がオメガとアルファだからではない。  人気のアクセサリーデザイナーとの契約のために、2人は何ヶ月も掛けて血眼になって働いたのだ。  それを台無しにしてしまった藤ヶ谷の罪は重い。  藤ヶ谷にもその自覚があったため、お小言に付き合い、されるがままになっている。 「いやほんと……あの残業時間とか、全部台無しにして悪かった」 「……それは別に。そういうことで怒ってるんじゃなくて。ただ藤ヶ谷さんは無自覚だから心配を」 「まぁそのくらいにしといてやれ杉野」 「部長!」  杉野の言葉の途中で、後ろから落ち着いた声が話しかけてきた。  藤ヶ谷は勢いよく顔を上げ立ち上がり、目を輝かせる。  そこににこやかに立っていたのは営業部の部長、八重樫(やえがし)だった。  皺一つない紺のストライプスーツを着こなした美形のアルファだ。  中年と言っていい年齢にはそぐわぬ若々しさと快活さ。それでいて大人の包容力があり、社員から信頼されている人物だ。  藤ヶ谷はこの部長が大好きだった。  朝は用もないのに喫煙ルームの近くを通り、煙草を吸う八重樫の姿を窓から覗き見ている。 「気付いたら笑って手を振ってくれるのが最高にかっこいい!」  と、杉野に熱弁し、うんざりされるほどに好きだった。  八重樫は宥めるように杉野の肩を撫でた。  親しみ深い雰囲気を受け、杉野の体の力が抜けるのが藤ヶ谷にも分かる。 「かわいいのは藤ヶ谷本人にもどうしようもないさ。それに今回のは1人で行かせた課長のミスでもある」 「はい、課長に向かって激怒したのは俺です」 (課長に激怒したのかこいつ)  オメガは歴史的に、アルファはもちろんベータに比べても社会的地位が低い。昔よりもマシになっているらしいが、それでも多少のセクハラは見逃されがちだ。  それにも関わらず、アルファにしては謙虚で上司を敬う傾向にある杉野が本気で怒ってくれたという。  藤ヶ谷は課長に申し訳ないと共に少し嬉しく感じてしまった。 「あっはっは! 聞いた聞いた! でもそっちも許してやってくれ。課長には私からもきつめに言っておいたからな!」  八重樫は心底面白そうに肩を震わせているが、おそらく若手が想像できないほど強く課長を叱ったことだろう。  1人で行く許可を求めてしまった藤ヶ谷は、後で課長に謝ろう決めた。  2人のアルファに1日で2回怒られる恐怖は計り知れない。 「どうやら我々アルファにしか、オメガの特別な魅力は分からないらしいからな」 「……そういうことにします」  内心冷や汗をかいている藤ヶ谷を他所に、八重樫の言葉を聞いた杉野は溜飲を下げたようだ。  その様子を確認した八重樫は、青いクリアファイルを藤ヶ谷に差し出す。 「ほら、代わりのデザイナーの候補のリストだ。改めて頼むぞ。なぁに、番がいるのに若いオメガに手を出すような輩はこっちから願い下げだ。気にするな」  クリアファイルを受け取ると、大きな手が頭に置かれ優しく撫でてくれる。  ふわりと香水に混ざったアルファ特有のフェロモンが漂ってきて、藤ヶ谷は夢中で何度も頷いた。 「でもアルファからしたらオメガを取って食うのも朝飯前なんだ。藤ヶ谷は本当に気をつけろよー」 「はい!!」  元気よく返事をしてクリアファイルを抱き締める藤ヶ谷の頭をポンっと叩くと、八重樫は営業部を出ていった。  藤ヶ谷はその後ろ姿をうっとりと見つめる。  リストを渡すだけならわざわざ部長自らやってくる必要はない。  藤ヶ谷を慰めるためにわざわざ足を運んでくれたのだ。 「やっぱり俺には部長しかいない」  頬を紅潮させクリアファイルの残り香を吸う藤ヶ谷は、隣席の杉野が眉を顰めているのには全く気がつかなかった。

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