52 / 110
第51話・わざとですか?(杉野目線)
長いまつ毛に縁取られた美しい瞳が揺れる。
血色のいい薄紅色の頬も形のいいふっくらした唇も。今すぐ全てを手に入れたいほど魅力的なのに、本人は驚くほどに無自覚だ。
(このまま、ここでヒートにさせて番ってしまえば……)
邪な心が頭をもたげてくる。
やろうと思えば杉野にはそれが出来てしまう。
『こうしてるだけでまたイきそう……っ』
蓮池と3人のベータを追い出した後。
ただ抱き締めるしかなかった杉野の腕の中から聞こえた甘い声。
興奮するのも申し訳ない状況だったのに、何度も思い出してしまう。
自分のフェロモンで、今すぐにあの藤ヶ谷を見る事ができる。
(足を撫でて、服を捲り上げて……このセーター、俺が選んだやつだ。脱がすのもったいないな)
藤ヶ谷はどんな風に乱れるのか。
どんな風に触れてくるのか。
見てみたいと欲望が叫ぶ。
「なんか杉野、良い匂いするな」
無邪気に膝に頭を擦り付けてくる藤ヶ谷の声で、杉野は現実に引き戻された。
(今、俺は何を)
幼いころの失敗が頭をよぎり背筋が凍る。
オメガの発情を誘発するフェロモンが漏れていないか慌てて確認した。
幸い藤ヶ谷の表情を見ても身体の様子を見ても、特に変化はない。
通常の杉野の香りに対しての感想を述べただけだったようだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
藤ヶ谷の意思に関係なく、ただ番になるだけならハイアルファの杉野には容易いことだ。
それでいいならとっくにそうしている。
だがそんなことをしたら、杉野を信用して体を預けてくれている藤ヶ谷を裏切ることになってしまう。
(欲しいのは、体じゃない)
杉野の理性が欲望を羽交締めにして頑張っていることなどつゆ知らず、藤ヶ谷は手を伸ばして頬に触れてきた。
「お前、なんでそんな優しいの」
「なんでって……わざと聞いてます?」
ただの同僚にここまでするわけがない。
しかし杉野の気持ちが本当に分からないらしい藤ヶ谷は軽く唇を尖らせた。
「本気で疑問なんだよ。好きな子にこんなこと知られたら困るだろ」
「別に困らないです」
むしろ自分の好きな相手を知って欲しいくらいだ。
もう喉まで言葉が出掛かっている。
失恋の弱みにつけ込んでしまいたい。
自分よりも柔らかく細い手を緩く握る。
一見するとベータに近い体格なのに、細かいところにオメガらしさが醸し出されていて胸が騒めく。
「そっか」
それだけ言って満足げに微笑んだかと思うと、藤ヶ谷は目を閉じた。
持ち上げていた手から力が抜け、スルリと滑り落ちていく。
「……え?」
杉野は目を瞬いた。
ふざけているのかと額や頬に触れてみるが、反応がない。
遠慮がちに肩を揺さぶってみても、目を開けない。
安らかな呼吸音が聞こえてくるだけだ。
「さっきまで起きてたよな?」
状況が理解できないまま、杉野はしばらく藤ヶ谷の寝顔を見つめることになった。
ともだちにシェアしよう!