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第60話・俺の!
手のひらに土の粒の痛みを感じながら、藤ヶ谷は怒っている相手の顔を唖然と見上げた。
「えー……って! そっち行くな!」
呆けている時間はなかった。
彼はまだフェロモンを放っているというのに、杉野と山吹が移動していった方に走り出したのだ。
藤ヶ谷はすぐに立ち上がって土を蹴る。
「おい山吹! しっかりしろ!」
山吹を引きずっていては、流石に遠くには行けなかった杉野の声が聞こえてきた。
理性を無くしている友人に声を掛けながら、藤ヶ谷がしていたのと同じように薬を口に捩じ込んでいるのが分かる。
そこに、山吹に襲われていたオメガ男性が飛び掛かった。
「山吹くんを返して!」
「その状態で! 俺の杉野に! 近付くな!」
かつてないほど全力で走った藤ヶ谷は、自分よりも細身の彼を追い越した。
正面に回り込むと、杉野や山吹にたどり着く前に抱き付くようにしてオメガ男性を止める。
「退いてよ!」
「退くわけあるか!」
ヒートのフェロモンが少しずつ収まっていくのが分かる。
オメガ男性も、そろそろ冷静になって良い頃合いだ。それでも藤ヶ谷を力任せに退けようとしてくる。
一般的なベータ男性ほどの身長や筋力があり体格で優っている藤ヶ谷は、負けることなく押し返す。
そんなオメガの2人を、アルファの2人は座り込んだまま見上げていた。
「……今、藤ヶ谷さん俺の杉野って言わなかったか?」
「言った……って、山吹大丈夫か?」
抑制剤のおかげで平常通りになったらしい山吹に気がついた杉野は、藤ヶ谷の発言について追求している場合ではなくなった。
「悪ぃ。大丈夫だ」
心配そうに顔色を見る杉野の肩を叩いて、山吹は片目を瞑る。
眼鏡の位置を中指で直して起き上がり、髪も手櫛で手際良く整えた。
山吹が動き出したのを見たオメガ男性は、藤ヶ谷に動きを止められながらも必死に手を伸ばす。
「山吹くん! 僕ね」
「うん、分かってる分かってる。ちょっと向こうで話そうね。すみません、藤ヶ谷さん。こっからは俺が」
「お、おう」
まるで獣のようだった数分前とは別人のようだ。
藤ヶ谷は爽やかな笑顔の山吹に言われた通りにオメガ男性を放す。
彼は山吹の腕に飛び込んだ。
(んー……無理矢理襲われた感じでもないし、そういうプレイでもなさそうだし。恋人間の事故か)
姿は見えるが声は聞こえない距離の場所で話し合う2人を遠目に見ながら、藤ヶ谷は状況を整理しようとする。
杉野も藤ヶ谷の隣で腕を組み、彼らを観察していた。
問題が解決したら、なぜ立ち入り禁止区域でこのような事態になったのかを説明してもらわねばならない。
「2人とも大丈夫かな」
「フェロモンは安定してますけど。もしもまたヤり始めたら次は警察呼びま」
バシーンッ!
景気の良い音が杉野の言葉を遮った。
藤ヶ谷と杉野は目を見開いたまま固まる。
頭から湯気が立ちそうな程に怒った様子でオメガ男性がその場を立ち去った後。
藤ヶ谷と杉野の方にやってきて笑っている山吹の頬には、季節外れの見事な紅葉が咲いていた。
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