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【プロローグ】ルファの日常

 アーガスタ村は、王都の隣にポツンと存在している田舎の村だ。このスーレイメル王国の王都は非常に栄えているが、そこから峠を一つ越えた先にあるアーガスタ村は、驚く程の僻地である。土地は貧しく、食物は育たない。だから、みんな、王都に仕事を求めて出て行ってしまう。  しかし出て行くにも、資金が必要だ。残された貧しい者は、痩せた畑を耕して、農耕に勤しんでいる。今年で十七歳になったルファも、残された者だ。同世代の若者達がどんどん王都に出て行ってしまう中、天涯孤独のルファは本日も一人、畑に向かっている。  冬でも育つと評判の、ナルラ芋がスーレイメル王家から国中に配布されたのは、一昨年の事だ。幸いこの辺りには、雪はあまり降らないし、雪の中でもナルラ芋は育つ。  色素の薄い髪を揺らしながら、ナルラ芋を収穫したルファは、緑色の瞳を瞬かせると立ち上がった。カゴには三個の大きな芋が入っている。 「これでシチューを作ったら、二日は持つかな?」  小麦は初冬に、国から配られた。牛乳とバターは、アーガスタ村の数少ない特産品であるから、村から支給される。ナルラ芋という魔法植物のジャガイモに似た野菜が手に入るようになってから、冬の生活はだいぶ楽になった。  カゴを置き、冷たい湧き水で手を洗ってから、ルファは布で拭いた。そして首元を直してから、改めてカゴを手にする。ツギハギだらけの薄い外套が、寒風で揺れていた。  畑は家のすぐ脇に広がっている。カゴを片手に軋む扉を開けて、ルファは中に入った。凸凹とした床を踏み、ガス台のそばにカゴを置く。この王国では、魔導具が普及しているため、このような田舎であっても、魔導ガスと下水道の整備がなされている。魔導具で暖炉に火をいれる事が出来たり、風呂をわかす事が可能なのも、冬を越す上で肝要な事なのだろう。  スーレイメル王国は、魔術大国だ。国の隅々にまで、魔術のかかった道具が行き届いている。それも、スーレイメル王族の特別な『血』による。王族は、特別な【召喚獣】を生涯に一匹喚び出す事が可能なのだ。召喚獣達は、人間では並ぶ事が出来無い知識の持ち主だ。その為、特別な魔術知識――例えば魔導具の作成方法等を、王族に伝授してくれる。それを宮廷魔術師達が解析して、王国中に普及していく。  魔法植物のナルラ芋も、暖を取る魔導具も。  全ては召喚獣の恩恵だ。  王宮で特別な儀式をする事で、召喚獣と契約が可能らしいというのは、民草までもが広く知る伝承にもなっている。 「よし、作ろう!」  改めて手を洗う。まずはナルラ芋の皮を剥き、切って茹でる。土の臭いが残っていた。それから大きな鍋をガス台に置く。小麦とバターでクリームソースを作成していく。最後にナルラ芋と合わせて、牛乳を加える。すると室内にシチューの良い香りが広がった。  形の良い瞳を輝かせたルファは、皿の用意する。銀の匙を手にして、テーブルにシチューの皿を置くと、愛らしい顔の頬を緩めた。 「うん、美味しい」  我ながら上出来だとルファは考える。ルファは、この生活にそれなりに満足していた。本当はルファもまた、王都に出てみたいという気持ちはある。過去に一度、ルファは王都に出かけた事があった。だが、この村で一生を終えるのだと考えている。  ルファが王都に出かけたのは、七歳の頃、丁度十年ほど前の事である。存命中だった母と二人で、一度だけ峠を越えたのだ。父親は始めからいなかった。 「……」  華やかだった王都を、ルファは思い出した。だが一番記憶に色濃いのは、街中で母とはぐれてしまった事だ。心細くて、一人、花屋の前で泣いていた。するとその時、王国騎士団の騎士が声をかけてくれた。だから今でも騎士の正装は、ルファの憧れだ。  あの日は建国パレードだったのだと思う。人混みのせいで、母の手を離してしまったのだ。すると、パレードが終わり王宮に帰還する途中だという騎士が、涙を零していたルファの前で立ち止まったのである。 『どうかしたのか?』 『……お母さんがいないの』 『弱ったな、この人混みでは、見つけるのは困難だぞ。お前、名前は?』 『ルファ……』 『俺はヴェルディス=ベリアーティ』 『ヴェル……?』 『母親とはどこではぐれたんだ?』 『……ここ』 『では、少し待ってみるか』  そう言った騎士は屈んでルファの頭を撫でた。それが妙に心強く思えて、ルファは涙を拭ったものである。暗い焦げ茶色の髪をしている、精悍な顔立ちの騎士は、それからルファの隣に立った。そして母親が慌てた様子で走ってくるまでの間、ずっとルファのそばにいてくれた。幼い頃の記憶であるから忘れている部分もあるだろうし、美化されている部分もあるのかもしれないが、ルファにとって彼はヒーローだ。  だから帰りの旅路で、母親に告げたものである。 『ちゃんと待っていられたんだよ! 騎士様のおかげだよ』 『そう』  そして、ふと思い立って聞いた。 『ところでどうして、今日はパレードを見に来たの?』 『ルファに合わせたい人がいたのよ』 『僕は、ヴェルに会えたよ!』 『そう。そうね。ルファが無事で良かった』  懐かしいやり取りだ。シチューを食べながら回想に浸っていたルファは、空っぽの皿に気がついて我に返った。母は去年、流行病で亡くなってしまった。これからは、一人で生きていかなければならない。新年になって、もう二ヶ月だ。気持ちを切り替えなければならないだろう。  この国では、新年を跨ぐ時に、一年が経過したと数える。年齢もそうだ。よってルファもまだ十七歳になったばかりである。現在は、二の月の十日だ。母は十一の月の終わりに亡くなった。魔導具がいくら普及しても、人間はまだ病には打ち勝てない。  その日は暖かいお風呂に入り、ルファは寝台に入った。魔術糸が縫い込まれた毛布は暖かかったが、寝台自体が固い木で出来ているから、寝心地はお世辞にも良くはない。  瞼を伏せたルファは、ギュッと毛布を握った。すると、いつもと同じように、暗い瞼の裏側に、金色の模様が映り込み始めた。それから不思議な三重魔法陣が、毎夜脳裏に浮かぶのである。いいや、視えるというのが正確だ。幼少時からずっとそうだった。そうして夢が始まる。 「ルファ、息災か?」 「……鳥」  夢の中で白い空間に立ったルファは、目の前にいる金色の巨大な鳥を見た。本人曰く不死鳥らしい。 「鳥では無い。我は、ベリアル。いい加減に名を覚えよ」 「覚えてるけど、鳥は鳥じゃないか」 「……早く、我と契約するように」 「契約って何? いつも思うけど、僕はきちんと村で契約して牛乳とバターを貰ってるよ?」 「そういった類の人間の制度の話では無い」  やり取りは、これだけだった。たったの数言、話をするだけなのだ。しかし次の瞬間目を開ければ、朝になっていた。これもいつもの事である。 「今日は牛乳を貰いに行く日だから、こんな夢を見たのかな?」  ルファは首を捻った。起き上がると、パサリと毛布が落ちた。  その後、昨夜の残りのシチューを口にしてから、ルファは着替えた。  今日も簡素な服である。冬にしては少し薄手だが、贅沢は言えない。  靴紐を結び直して外に出る。すると本日は、僅かに雪が舞っていた。まるで桜の花のように柔らかな雪が降ってくるのだが、桜とは異なりとても冷たい。桜もまた、このアーガスタ村の名物だ。しかし山桜を見に来る観光客はいない。王都にもっと立派な桜が咲いているからだ。  両腕で体を抱いて牛乳屋へと向かう。  一度深呼吸をしてから、扉を開けると、牛の鳴き声が聞こえた。 「こんにちは! 牛乳を下さい」 「ルファか」  店番をしていた牛乳屋の主人は、カウンターで頬杖をつくと、嫌そうな顔をした。彼はルファと同じ年の息子がいる壮年の男性で、豊かなあごひげを蓄えている。 「お前のような貧乏人には、うちの牛乳は勿体無いんだがな」 「……」 「村の契約支給さえ無ければ、絶対に渡したりしないんだが」  牛乳屋の主人は、何かとルファに冷たく当たる。しかしそれは、彼に限った事ではない。村中の人びとが、ルファには冷ややかだ。理由は、ルファとルファの母親が『余所者』だったから、であるらしい。ルファの母親は、元々がこの村の生まれではないそうなのだ。閉鎖的な村であるから、古くからこの土地に住んでいる者ばかりであり、他所から来た部外者には、皆冷たいのである。そういった事をあまり気にしない同世代の者は、皆王都に行ってしまうから、ルファは村で孤独だ。 「ほらよ。さっさと持っていけ」 「あ、あの……バターも」 「……ああ。忘れていたよ。お前が牛乳としか言わないから悪いんだ」 「……」 「チーズもいるのか?」 「……チーズは、五百ガウスですよね?」  ガウスは、この国の通貨単位だ。この国の通貨は、全て紙幣である。 「ああ」 「……お金が無いので」  ルファには購入するお金が無い。それを知っていて牛乳屋の主人はわざと聞いたのである。牛乳屋の主人はせせら笑うと、機嫌が良さそうに頷いた。 「貧相な体がまた細くなったんじゃないのか?」 「……」 「満足に食べる事も出来なくて大変だろう」 「……ナルラ芋があるから、なんとか」 「その点、うちの息子は、今や王都で高給取りだ。あちらでチーズを卸していてな」 「……」 「お前のように、才能が無く、村に残るしか出来無い貧乏人とは違うんだよ」  その後、ひとしきり自慢とイヤミを投げつけられてから、牛乳とバターを手に、ルファは牛乳屋を後にした。すると雪が少し酷くなっていた。綿雪に変わっていた。積もるほどでは無いようだったが。牛乳瓶とバターの箱が入った紙袋を両手で抱えて、ルファは家路を急いだ。

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