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【一】騎士の来訪

 二の月の半ばになった。この日もルファはシチューを食べていた。もう一ヶ月以上、シチュー以外を口にしていない。秋にはキノコや魚が採れたが、冬は厳しい。 「春が来れば……春まで頑張ろう」  ルファは基本的に前向きだ。決意を新たに、皿を洗う。  夜が更けていく。  その日は、白い銀色の月が覗いていた。雪は無い。  ――コンコンコン。  初めは、そんな音が聞こえた。空耳かと思いながらも、丁度皿を洗い終えた所だったルファは振り返る。  ――コンコンコン。  しかし、ノックの音が、確かに簡素な木製の扉の方から響いてくる。玄関の扉だ。ルファは一度窓の外を見た。月は既に高い。こんな時間に誰だろうか、と、考える。そもそも普段は、夜でなくとも、誰もルファの家には訪れない。  ――コンコンコン。  繰り返されている控えめなノックに、手を拭きながら、ルファは首を捻った。そして何度か大きな瞳で瞬きをする。長い睫毛が揺れた。一度手櫛で髪を梳いてから、ルファは玄関へと向かう決意をする。そして緊張しながら、身を乗り出すようにして扉を見た。 「はい? どちら様ですか?」 『――スーレイメル王国騎士団の騎士です』 「え!?」  ルファはその言葉に慌てた。こんな辺境の田舎には、基本的には、王国騎士団の騎士などやっては来ない。来るとすれば、それこそ重罪人を追いかけてきたなどだろうかと考えてしまった。 『ルファ様ですか?』 「ぼ、僕はルファですが……え!? 僕、何もしてません!」 『お話がございます。扉を開けて頂けませんか?』 「へ? は、はい!!」  狼狽えながらも、ルファは扉を開けた。するとそこには、王国騎士団の正装姿の青年が立っていた。その姿を見てルファは目を見開いた。幼き頃のヒーローの装束だったからではない。強烈な既視感があったからだ。それこそ、ヒーローそのもの――ヴェルディス=ベリアーティと名乗った青年によく似た人物が立っていたからである。 「……」  精悍な顔立ちで、すっと鼻筋が通っていて、どこか鋭い眼差しをしている。当時よりはずっと大人びて見えるが、ルファは見間違えているとは思わなかった。驚きすぎて、何も声が出てこない。騎士装束を纏っている青年は、それからルファをまじまじと見た。そして――ルファの前で片膝をつくと、深々と頭を垂れた。 「スーレイメル王国騎士団所属近衛騎士ヴェルディス=ベリアーティと申します。勅命により、ルファ様をお迎えに上がりました」 「……え?」 「貴方は、スーレイメル王国の現国王陛下ネイス様の甥子様であられます。三年前に亡くなられた王弟殿下――アルフ様の御子息です。ルファ様は、スーレイメル王家の正当な一員であり、尊きお血筋の持ち主なのです」 「へ?」 「昨年末、お母様より手紙が王宮に届き、判明いたしました。王弟殿下もずっとお探しになっておられたのです」 「え、あ、あの? ちょっと待って下さい。どういう事ですか?」  流麗な声でつらつらとヴェルディスが述べたのだが、意味が上手く理解できず、ルファは慌てた。すると顔を上げたヴェルディスが、真っ直ぐにルファを見た。 「貴方は王位継承権を保持している、スーレイメル王族です」  真摯な瞳のヴェルディスを見て、ルファは息を呑んだ。幼き日のヒーローとの再会だと思った直後に、まさかの言葉を告げられた。ルファは困惑したまま立ち尽くす。 「私の役目は、ルファ様を王宮にお連れする事です。どうか、私目に護衛のお役目、お任せ下さい」 「待って下さい、そんな、いきなり! 信じられません」 「お母様よりのお手紙に添えられていた、王弟殿下の魔力印でルファ様の身元は保証されております。尊き王家の方は、保護しなければならないのです」 「そんな話聞いた事もないし、間違いかもしれない……というか、間違いだと思います!」 「混乱なさるのは無理もありません。ですが、ぜひ王宮へ」 「行きません!」  反射的にルファはそう返した。王族など雲の上の存在であるし、自分が王位継承権保持者だと言われても信じられない。  ルファの言葉に、ヴェルディスが顔を上げた。そして彼はゆっくりと立ち上がる。今度は見上げる形となったルファは、長身のヴェルディスを見て、一気に緊張した。独特の威圧感があるように思えた。混乱して抵抗している現在だが、本来であれば、王国騎士団の騎士に、平民は逆らう事など決して出来無い。 「ルファ様」 「……」 「それはご決定ですか?」 「え……は、はい!」 「では、お心がお変りになられるまで、私目はこちらで護衛させて頂きます」 「え!?」 「今宵は冷えます。それにもう遅い時間です。ルファ様はどうぞお戻り下さい」  ヴェルディスはそう言うと、恭しく頭を垂れた。それから開け放されていた扉に触れると、小さく頷いた。 「私目はいつでも控えておりますので、どうぞお休み下さい。何かございましたらお申し付け下さい」  ルファの目の前で、静かにヴェルディスが扉を閉めた。パタンとしまった簡素な扉の前で、ルファは暫しの間立ち尽くしていた。隙間風が入ってくる。確かに今夜は冷える。それにもう月は高いのだ。 「……ん? 控えている?」  それからルファは我に返った。雪こそ収まってはいるが、果たしてヴェルディスはどこにいるつもりなのだろうかと考えて、ルファは、少しだけ扉を開けた。すると玄関の外、扉の脇に、静かにヴェルディスが立っていた。扉の気配で、ヴェルディスが小さく振り返ったので、視線が合う。 「あ、あの……」 「何か御用でしょうか?」 「……ずっとそこにいるんですか?」 「ええ。申し訳ございませんが、離れるわけには参りません」 「一晩中お外に……? 風邪、ひいちゃいます」 「鍛えております。お気遣いは無用です」 「でも……」 「――では、共に馬車で王宮へお戻り下さい」 「戻るって……僕のお家はここです! だけど……流行病もあるし、こんなに寒い中にいるのは……その……」 「私はルファ様のおそばを離れるわけには参りません」  それを聞いて、ルファはチラリと室内に振り返った。家の中は狭いが、外よりはマシだろう。魔導具で暖かいし、毛布もある。今日は牛乳だって貰ってきたから、温かいミルクを出す事も出来るし、秋に摘んで乾燥させておいた茶葉もある。 「その……中に入りますか? 狭いけど……外よりは……」 「恐れ多い事ですが、そちらの方がよりおそばで護衛可能なので、私目としては助かります」 「護衛はいらないです。そうじゃなくて……鍛えているとしても、風邪をひいたら大変だし……――どうぞ」 「……失礼致します」  一礼して、ヴェルディスが扉に手をかけた。ルファは一歩下がって道を開ける。中へと入ってきたヴェルディスが、扉を閉めてからじっとドアノブの周辺を見た。 「ルファ様」 「は、はい!」 「鍵はどちらですか?」 「……ありません」  この田舎の村では、泥棒等もいないため、どの家にも鍵が無いし、鍵がある店舗等でもかけていない事が多い。貧しい者が多いが、盗みをするような人間はいないし、他所から人が来れば、周囲の人目についてすぐに分かる。そんな考えから、これまでルファは、鍵について特別に意識した事は無かった。  するとヴェルディスが険しい顔つきに変わり、目を細めながら頷いた。 「そうですか」  どこか気まずく感じながら、ルファはお茶の用意に向かう。鍋の隣にあったヤカンに水を入れて、火にかけた。それから簡素な椅子を見る。 「どうぞ、座って下さい」 「有難うございます」 「何もお構いできないんですが……」 「お気遣いなく。茶葉や茶器の位置さえ覚えたら、以後は私目が用意を行う事、お許し下さい」 「え? い、いえ! 大丈夫です! 大丈夫ですから!」 「私に対して、敬語は不要です。ルファ様は尊きお方なのですから」  それを聞いて、お湯を沸かしながら、ルファは目眩がしてきた。急な事態すぎて、何も信じられない。笑うでもなく至極真面目な顔で椅子に座ったヴェルディスを一瞥しながら、それでも漠然と、確かに幼き日に助けてくれた騎士だと考える。 「これまで、ご無事で何よりです」 「……」 「以後は、不用意に、仮に知人や友人であっても、家に入れる場合は、私の許可を」 「……分かりました」  どうせこの家には、誰も来ない。ルファはそう思いながら、ヴェルディスの前に、お茶が入ったカップを置いた。それから、寝台をチラリと見る。確かにもう遅い時間であり、眠気がある。夜になると、どんなにそれまで目が冴えていても、ルファはいつも眠くなる。本人は、それについて、己が規則正しいからだと考えている。  しかし今宵は、ヴェルディスがいる。寝台は一つきりだ。母が存命中に用いていた布団を思い出す。当時は、寝台の隣に布団を敷いていた。もっと幼き頃は、二人で寝台に横になっていたものである。ルファは久しぶりに、布団を用意する決意をした。  そのまま小さな戸棚へと向かい、中から薄手の敷布団と毛布を引っ張り出す。 「ヴェル……ヴェルディスさんは、寝台で眠って下さい」 「ヴェルで結構です。ですから、敬語は不要です。また気遣いは本当に無用です。どうぞルファ様がお休み下さい」  布団の用意を終えながら、ルファはヴェルディスの言葉に戸惑った。逆に敬語を使ったら迷惑なのかとも考えたし、そもそも自分はあまり上手く敬語を使う事が出来ないという事も思い出す。それから寝台を一瞥して、ルファは小さく頷いた。 「じゃ、じゃあ! こっちの布団を使ってね!」 「――有難うございます」  冷静な声を放ったヴェルディスに対して振り返り、一度頷いてから、ルファは寝台に上がった。そして粗末な毛布をかぶる。そうして目を閉じれば、それまで動揺していたはずなのに――スっと眠りに落ちた。それを理解したのは、瞼の裏に金色の模様が浮かび、三重魔法陣が広がったからである。気づけば正面には、巨大な鳥がいた。 「ルファ。漸く迎えが着いたようだな」 「……鳥」 「だから我は鳥では無いと、何度申せば分かるのだ……」  鳥が呆れたような声で言う。ルファは困惑しつつ、鳥に聞いた。 「今日、王国騎士団の人が来たんだよ」 「良き事だ。従うように」 「僕は王族なんかじゃないのに」 「いいや。我と言葉を交わせる以上、ルファは正しくスーレイメルの血を引く者だ」  断言されて、ルファは、何か反論しようと考えたのだが、上手い言葉が見つからない。そうしていると、すぐに瞼の向こうが明るくなった。いつもの通り一瞬の夢だったが、朝が来たのだと悟る。ルファは夢の中で視線を落とし、瞬きをした。  すると目を開けた次の瞬間には、視界に見慣れた天井が広がっていた。ハッとして息を呑み、それからゆっくりと体を起こす。そして、昨日の出来事自体が夢では無かったのかと考えながら、室内を見回して驚いた。そこでは、壁に背を預けて剣を抱え、ヴェルディスが目を伏せていたからである。布団は使わなかったらしい。 「夢じゃなかった……」  思わず呟くと、ピクリとヴェルディスの瞼が動き、すぐに目が開いた。顔を向けたヴェルディスは、無表情で長めの瞬きをしてから、小さく頷く。 「おはようございます、ルファ様」

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