4 / 13

【三】懐かしき日の記憶

 日が高くなり始めた頃、ヴェルディスがルファを見た。  それまでの間は、ルファは遠慮したのだが、ヴェルディスが皿洗いをし、ルファは座っているようにと言われて、お茶を飲んでいた。皿洗いが一段落し、ヴェルディスが座った時、彼は静かに聞いた。 「ルファ様は、日中は何をしてお過ごしなのですか?」 「ナルラ芋の収穫とか……今日もそろそろ行こうかな」 「食材は、豊富とは言えませんが、私が持参した品がございますが?」 「だけどヴェルは帰っちゃうでしょう? 収穫しておいたら、後で使えるから」 「私が帰る時は、ルファ様をお連れする時です」 「でも……僕は、行くつもりが無いよ?」 「でしたら、私目も、ここで護衛を」  それを聞いて、ルファは困ってしまった。今は何やら誤解があるのかもしれないが――本来であれば、王国騎士団の騎士とルファでは身分が違いすぎる。無論、平民であるルファが下だ。騎士は元々、貴族出自の者が多いし、そうでなくとも一代爵位を保証されている。そんな騎士のヴェルディスを、いつまでもここに置いておくわけにはいかない。 「行ってくるね」  困惑しつつも、ルファはそう述べた。するとヴェルディスもまた立ち上がる。 「お供します」 「え」 「ルファ様をお一人にするわけには参りません」 「けど――」 「それが私の職務です。ご理解下さい」  そう言われてしまえば、返す言葉が思い浮かばない。頷き、ルファはツギハギだらけの薄い外套を身に纏った。それを見て、ヴェルディスが言った。 「まさか、その薄手の格好で外へ?」 「これしかないから……」  小声でルファが答えると、ヴェルディスが眉を顰めた。それから、椅子にかけてあった騎士団の外套を手に取り、ルファに歩み寄った。 「僭越ですが、これを。私が着ていたもので恐縮ですが、魔法糸が縫い込まれているので、暖がとれます」 「でも、それじゃあヴェルが寒いんじゃ?」 「私は大丈夫です。騎士の正装の方にも、温度を調整する魔術糸が縫い込まれておりますので。どうか、お使い下さい」  ヴェルディスはそう述べると、ルファの肩に、己の外套を羽織らせた。その暖かさに、ルファは小さく両頬を持ち上げて微笑した。 「有難う」  その表情を見て、ヴェルディスが小さく息を呑んだ。それから視線を逸らすと、頬に僅かに朱を差して、照れくさそうに頭を振る。 「当然の事をしたまでです」  こうして、二人で家から出た。家のすぐ隣に広がっている畑へと、細い道を進む。雪は無いが、冷気で路面が凍っている箇所があった。カゴを正面に抱きしめるようにしているルファはその事に気がつかなかった。気づいたのは、ツルリと足が滑った時の事である。 「うわあ!!」 「ルファ様!」  慌てた様子で、後ろからヴェルディスが抱きとめた。ルファの心臓がバクバクと言う。ヴェルディスの腕の中で、動揺からルファは目を見開いて、何度も大きく吐息した。その息も白くなりのぼっていく。 「大丈夫ですか?」  ルファの体をゆっくりと立たせながら、ヴェルディスが問う。コクコクと何度も頷いたルファから、ヴェルディスがカゴを受け取った。 「私が持ちます。ルファ様は足元にご注意を」 「あ、有難う……」  それからすぐに、畑に到着した。ルファは本日収穫を予定していた箇所の前に座り、土に触れる。湿った土も冷たい。手で土を掘り返していくと、大きなナルラ芋の皮が見えた。本日も三個ほど収穫しようと考えている。 「手袋や農具は無いのですか?」 「村長さんの家にはあるみたい」 「ここには?」 「無いよ」  この村の一般的な家には、農具は基本的に存在しない。だから当然の事だと思ってルファが答えると、ヴェルディスが片目を細めた。どことなく居心地の悪さを感じながら、ルファはナルラ芋を掘りおこしていく。 「手伝いますか?」 「ううん。平気」  二個目に取りかかりながら、ルファが首を振る。綺麗な茶色の髪が、冬の風で揺れている。貧しい農村では、芋を一人で掘る事など日常風景だと、ルファは考えている。何より母を失ってからは、これからは一人で強く生きるのだと決意していたから、芋掘り程度、苦にはならない。  巨大なナルラ芋を三つ収穫し、カゴに入れて、ルファは立ち上がった。 「では、せめて持つお役目を私に」 「大丈夫だよ、今度は転ばないよ?」 「いいえ。念には念を入れなければなりません。貴方をお守りする事が、私の使命です」  ヴェルディスに対して、大袈裟だなぁと思いながらも、ルファはお願いする事にした。そして足元に注意して道を戻り、家に入る。そして水で手を洗い、布で拭いた。指先までもが冷え切っていた。そのそばで、カゴを床に置き、ヴェルディスが嘆息する。続いてヴェルディスも手を洗った。その長い指先を見て、ルファは自分の手よりずっと大きいなと考える。先程助けてもらった時も、厚い胸板の感触に対し、力強いなと思ったばかりだ。 「お茶にしよう。僕が淹れるから」  ルファはヤカンを火にかけながら、笑顔を浮かべた。するとヴェルディスが頷き、簡素な椅子に座る。そして長い足を組んで、じっとルファを見た。チラリとヴェルディスの事を見ていたルファと、視線が合う。ルファは、そこでふと思い立ち、聞いてみる事にした。 「ヴェルが僕を助けてくれたのは、二回目だよ。覚えてる?」  二度目が、先程の凍った道での出来事だ。一度目は、幼少時。  きっと覚えていないだろうなと思いながらルファは、少しばかり意地悪をする気持ちになり、そんな自分に苦笑した。それからカップにお茶を注ぐ。そしてそれをヴェルディスの前に置いた。するとヴェルディスは虚を突かれたような顔をしていた。 「逆に……覚えて……?」 「え?」 「いや……」 「もしかして覚えているの? 建国パレードの日に、僕が迷子になって泣いていて……」 「花屋の前」 「うん! 覚えていてくれたんだ」 「ああ。あの日、俺は――私は、アルフ様の近衛騎士の一人で……そうか。覚えておられたのか」 「ヴェルは僕にとってヒーローだったんだよ。ずっと、今まで。だから突然来た時は、驚いちゃったんだよ」 「俺が、ヒーロー?」 「うん。僕を助けてくれたから」  嬉しくなってルファが満面の笑みを浮かべると、ヴェルディスもまた小さく笑った。 「ヴェルは、普段は、『俺』って言うんでしょう? あの日もそうだった」 「失礼致しました」 「僕の前では気軽に話してくれた方が嬉しいよ。僕だって敬語を取りやめにしたんだし!」 「そういうわけには参りません。お立場をお考え下さい」  ヴェルディスはそう言うと、カップに手を伸ばした。 「いただきます」 「どうぞ。あーあ! お茶菓子も用意出来たら良かったんだけど……」  小麦とバターはあるのだが、砂糖が無いから、クッキー等は焼けそうにない。そう考えていると、ヴェルディスが言った。 「王宮にお戻りになられましたら、好きなように手配が可能です」 「今でも自分が王族だとはとても思えないし、きっとすぐに勘違いだったって、ヴェルにも連絡が届くと思うよ」 「いいえ。ルファ様で間違いございません」 「どうして分かるの?」 「ルファ様は、アルフ様によく似ておいでですから。その緑の瞳が特に」  それを聞いて、ルファは母の顔を思い出した。確かに、あまり似てはいなかった。その上、ルファの母は『貴方はお父様によく似ているの』と口にしていた。 「他人の空似かもしれないよ?」 「とてもそうだとは思えません」 「だって偶然、昔助けてくれた人が、僕を迎えになんて言ってここへやって来る事もあるんだから、何が起きるかなんて分からないよ」 「確かに幼少時の出会いは偶然ですが――私がここへ来たのは、偶然ではありません。ルファ様という名前を伺い、当時の姿とアルフ様の幼少時の肖像画を見比べ、予てより、お探ししていたのです」 「え?」 「私はずっと、あの日会って以後、ルファ様こそが御子息なのでは無いかと考えて、搜索の任についていました。叶うならば、アルフ様がご存命の内に探し出したかったのですが、それは無念に終わりました。初めてルファ様と会ったあの日に、俺が気付いていたならば、結果は違っていたはずだ」  滔々とヴェルディスが語る。ルファは静かに聞いていた。 「アルフ様が亡き今、私は終生、ルファ様に忠誠を誓うつもりです」 「近衛騎士の人は、王家の人に忠誠を誓うの?」 「それだけが理由ではありません。アルフ様は、騎士になったばかりの、右も左も分からなかった頃の私を導いてくれた、恩人なのです。恐れ多き事ですが、実の父のように感じておりました。私の父は没しているので」 「そうだったんだ……じゃあ僕が本当に王族だったら、ヴェルにとって僕は、弟みたいなもの?」 「とても恐れ多くて、そうは思う事が出来ません。ルファ様は言うなれば、主君ですので」 「そう言われてもピンと来ないよ……だけど、もっと気軽に話をして欲しいというのだけは、間違いなく思う。緊張しちゃうから……」  ルファが苦笑すると、ヴェルディスがカップを置いてから、指を組んでテーブルにのせた。 「私――……いや、俺、か。俺の言葉で語る事をお望みなのですね?」 「う、うん」 「ならば、この家に滞在する間、二人きりの時は、そう致しましょうか」 「本当?」 「ええ。俺は、ルファ様に心を開いて頂きたくて、信用して護衛を任せて欲しいので」  ヴェルディスはそう言うと、穏やかに笑った。その眼差しが、幼き日に見たものと重なり、ルファの胸がドクンと疼く。嬉しくなって、ルファは大きく頷いた。

ともだちにシェアしよう!