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【四】夢を夢と考えない初の試み

 その日の午後は掃除をした。ルファが雑巾を手に持つと、ヴェルディスが手伝うと申し出てくれたから、二人で床を磨いた。その後は、湯をわかし、お風呂に入った。本日はヴェルディスも浴室を借りた。  食事は昼も夜もヴェルディスが作り、過去にルファが食べた事の無いような高級食材を用いた温かい料理ばかりが並んでいた。頬が蕩けるというのは、こういう事なのだろうと思いながら、ルファは味に浸った。  そうして、夜が訪れた。  硬い木の寝台に横になり、上半身を起こした状態で、ルファは毛布を握る。  そしてヴェルディスを見た。 「今日も横にはならないの?」 「――そうだな。では、今宵は布団を使わせて頂きます」  剣を鞘ごと抜いて手にし、ヴェルディスが布団まで歩み寄り、膝をついた。そして粗末な枕の隣に剣を置く。それを見て、ルファは安心した。 「おやすみ、ヴェル」 「おやすみなさい、ルファ様」  そんなやりとりをしてから、ルファは横になった。するとすぐに、瞼の裏側に金色の模様が広がり始めた。だがこの日は、いつもとは異なり、精神を集中させた。すると三重魔法陣が広がっていき、気が付けば真白い『夢』の中に、ルファはいた。 「まだ王宮に足を踏み入れていないのか?」  声をかけてきた鳥――不死鳥のベリアルと名乗る存在を、この日ルファはまじまじと見た。 「少し話がしたいんだ。だから、今日はすぐに目が覚めたら困る」 「話、か。我は歓迎だ。では、ルファが望むまでの間、話をするとするか。して、どのような話だ?」  ベリアルの声に、ルファは腕を組んだ。この、周囲が白い空間にいると、不思議と夢であるという気がしなくなるし、その中にいる上での自分の体を感じる事も出来る。だから、腕も組める。 「僕は、本当にスーレイメル王族で、アルフ王弟殿下の息子なの?」 「我を含めた召喚獣は、スーレイメル王族としか契約は出来ぬ。だが、人間がどの人間の子であるかといった雑事は、我には分からぬ」 「……じゃあ僕は、アルフ様の子供ではないかもしれないんだね」 「そのアルフという人間が王族だったのだとすれば、可能性はあるが」  それを聞いて、ルファは唸った。似ているから、魔力印があったから、果たしてそれらは、証明になるのだろうか? 仮に違ったら、ヴェルディスをがっかりさせてしまうかもしれないと考え、ルファは俯いた。 「鳥……じゃなかった。ベリアルは、僕と契約したいんだよね? これがただの夢じゃなかったら」 「夢ではない。人間の意識レベルを落とし、召喚獣世界から干渉しているのである」 「どういう事?」 「人間と召喚獣は、生きる刻の流れが異なる。それゆえ、人間が体を動かさない時間に、脳を休める時間に、召喚獣の世界との門を金の紋章で開きて、接続魔法陣を介して、干渉し、言葉を交わしているのである」 「難しくて分からないよ」 「いつも我との会話は一瞬であろう?」 「うん」 「しかし、すぐに一夜が明けているであろう?」 「うん」 「それが刻の流れが違うという事だ。して、我は確かに、ルファと契約したい。換言するならば、ルファ以外では我の力を受け入れる事が出来ない為、お主と契約を交わしたい」 「僕以外、無理?」  ルファが首を傾げると、大きくベリアルが頷いた。鳥の頭部が上下している。 「スーレイメル王族とて、その全てが、どの召喚獣とでも契約可能なわけではない。生まれ持った魔力量により、やり取り可能な召喚獣の種類が変化する。我のように高位の召喚獣になればなるほど、条件は厳しくなる。現に我の配下の者達は既に契約を結び、人間世界に『夢路』を用いずとも干渉可能であるというのに、我は……未だそれが叶わない」  嘆かわしいというように、ベリアルが言う。それを聞いて、ルファは首を捻った。 「僕と契約すると、ベリアルは、人間の世界に干渉出来るようになるの?」 「いかにも」 「それって、この夢から、外に出られるという事?」 「理解としては非常に近しい」 「どうやって?」 「――ルファの体を借りる事となる」 「え?」 「契約した召喚獣は、召喚主の中や一定の範囲に顕現出来るのだ」 「そうしたら、僕はどうなるの?」 「必要時、夢を介さずとも、我との会話が可能になる」 「それだけ?」  必死で思考を巡らせながらルファが問うと、ベリアルが巨大な羽を揺らした。周囲には火の粉が舞っている。 「他にもやりようによっては、ルファは我の力を行使可能になる」 「例えば?」 「我は不死鳥だ。その根本は、火である。よって、火に特化した魔術を用いる事なども可能となるであろうな。あくまでも人の身で制御可能な範囲においてとはなるが」 「そんな攻撃的な魔術は、僕は使わないよ。だって、火魔術って攻撃魔術でしょう? 宮廷魔術師が使うような。母さんから聞いた事があるよ。そもそも僕は魔術師じゃないし……だから、召喚出来るような魔力も無いと思うんだけど」  言うにつれ、ルファの声音は小さくなっていった。するとバサバサと羽を揺らしながら、ベリアルが笑った。人語を解するこの鳥は、どこか優しい瞳でルファを見ている。 「我と会話が可能である以上、魔力はある。生まれながらに、スーレイメル王族の血は魔力を宿している。魔術師で無いというのは、人間の中にある制度としての魔術師の勉強をしていないというだけの意味であろう? 違うか?」 「確かに僕は、魔術師の勉強なんてした事が無いよ……」 「欲するならば、これから勉強すれば良い」 「別に欲しくない」  ルファが述べると、ベリアルが哄笑した。 「その考えが永久に持つかは、今後の人の世の流れ次第であろうな」  ベリアルの機嫌は、非常に良さそうだった。 「しかし契約に躊躇する主人と出会うのは、本当に久しい」 「そうなの?」 「ああ。人間という生き物は、兎角『力』を求める」 「――……召喚獣と契約すると、そんなに力が得られるの?」 「いかにも」  それを聞いたルファは、眉根を下げて、小声で続けた。 「仮に本当に僕が王族だとして、契約が可能だとしても、僕はベリアルに、何のお返しもできないのに? 召喚獣はそれなのに、人間を――スーレイメル王族を助けてくれるの?」  するとベリアルが沈黙した。  そして黒い瞳で、じっとルファを見た。揺れる羽からは、相変わらず火の粉が舞っている。 「――召喚獣は、単体では子を成せぬ生き物なのだ」 「え?」  不意に変わった話題に、顔を上げたルファは、首を傾げる。 「契約者の体を借り、授精を行う」 「どういう事?」 「例えばの話であるが、我がルファと契約し、ルファに宿るとする」 「う、うん」 「その後――ルファが愛する相手と閨を共にする」 「……?」 「性交渉を行うという事だ」 「!」 「その一夜の行為で、受精し、召喚獣世界で、我は卵を産む事が可能となる。これは、契約をすれば、どの王族でも変わらない。スーレイメル王族に宿る理由は、これだ。召喚獣である我々の子を成す事――それが、スーレイメル王族と召喚獣との間で交わされた取り決めだ」  それを聞いて、ルファは目を見開いた。 「つ、つまり、契約したら、僕は誰かと関係を持つという事?」 「そうだ。その度に、召喚獣である我が卵を孕む。そして召喚獣の世界で子を成す。安心せよ。別段現実で、ルファが子を産むわけではない。ルファが女性であったならば、人間同士の子が出来る場合もあっただろうが、な」 「僕が女性だったらって、男だから出来ないって……え? 僕は男だから、女性と性交渉をして子供が出来るのが普通だよね?」 「我は雌だ」 「メス……え!? そうなの!?」 「いかにも。何故驚く……――兎も角、我と契約した場合、ルファは男根の白液を受け入れる側となる」 「は!?」 「何を驚く。人間の制度に興味は無いが、前回我が顕現した際には、同性婚が可能になったという話を聞いたが?」 「た、確かに都会では、同性でも結婚して良いって聞くけど……田舎には全然そういう人はいないし……」  アーガスタ村には、同性婚は今の所無い。だが、同世代のうら若き女性もいないため、独身男性だけが増えていくのが現状ではある。男性ながらに、同性のものを受け入れるという事が、性知識に疎いルファには、いまいち想像がつかなかった。 「契約をし、我の力を使い、我の叡智を得て、我と意思疎通可能になる代償として、ルファは男に抱かれる事となる。しかし別段、その男以外との結婚や子を成す事を、制限するわけではない。王族は、後宮を持つ事が可能であるし、一夫多妻だと聞く」 「……ごめん。理解が追いつかない」 「何も心配する必要は無い。愛を交わすのは、同性だろうが可能である」  ベリアルの声は、淡々としていた。しかしルファは混乱したままで、指先を震わせていた。  ――声が聞こえたのは、その時の事だった。 『――ファ様。ルファ様。ルファ様――どうか……ルファ様』  それがヴェルディスの声だと認識した瞬間、ベリアルがルファに言った。 「既に愛を交わす相手が待っているようだが?」 「え? これはヴェルの声だけど……どうしたんだろう、泣きそうに聞こえる」 「『夢路』では、時の流れが異なる。召喚獣の世界に準じるのだ。話したであろう」 「へ? え? どういう事?」 「さて――人間の世界で、どの程度の刻が流れた事やらな。随分とルファを想い悲しんでいる者がいるようだが」  そう言うとベリアルは、ルファに歩み寄り、羽で包むようにした。 「我と契約する気になったか?」 「――本当に、僕は王族で、契約が可能なの?」 「ずっと、長きに渡りそう申しているであろう」 「……でも、僕もう、帰らないと」 「契約してから帰るが良い。その方が、皆、喜ぶであろう」 「契約ってどうやってやるの?」 「目を伏せ、念じよ――『金紋の調べを我に刻みて、この躯、永久に解き放たん』と繰り返せ」 「本当に僕で良いのかな?」 「ルファ以外には、我は召喚出来ぬ」 「……金紋の調べを我に刻みて、この躯、永久に解き放たん」  ルファが瞼を閉じそう口にした瞬間、その場に、三重魔法陣が広がった。空間を埋め尽くすように、魔法文字が広がっていく。夢の中で目を開け、ルファは古代文字の洪水に飲み込まれた。息苦しくなり、藻掻く。火となり、その後光の粒子と変わったベリアルが――ルファの中に入ってくる。触れる度に、溶けてくる。一気に皮膚の裏側に強い力が広がり、ルファは呼吸が苦しくなった。  その全てが入り切ると、目を開けているはずなのに、そこには闇が広がった。  いいや、違う。  これは、瞼の裏側だ。  そう理解し、ゆっくりとルファは目を開けた。 「ルファ様! ルファ様……! 目が、覚められたのですね!?」 「ヴェル……?」  そこには、ルファを覗き込んでいるヴェルディスの姿があった。 「良かった……五日も、お目覚めにならなかったものですから……」  ヴェルディスが涙ぐんでいる。五日という言葉に、ルファは驚いた。すると、もう一人、見慣れぬ青年の顔があった。白衣を纏っている。 「お初にお目にかかります、ルファ様。王都大神殿筆頭医術師のメルクです」

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