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【五】目覚めの時
――話によると、ルファは、五日間意識が不明だったらしい。一日目の午後、異変を察してヴェルディスが王都に鷹で手紙を飛ばし、馬車に刻まれている転移魔術の紋章を頼りに、王都から医術師が大神殿の空間転移術で訪れ、診察に当たっていたのだという。
目が覚めるとお腹が減っていたルファは、寝台で上半身を起こした状態で、現在、粥が入る器を持っている。メルクは、王族の診察も何度かこなしている為、焦りは無かったらしい。しかしヴェルディスは心配でたまらなかったようだ。ルファがお粥を食べている今も、ずっと隣の布団の上に座している。
「ルファ様、やはり一刻も早く私と共に王宮へ――疾病には、私では対抗できません」
「その……」
ルファは、ベリアルという鳥と話した内容を、ヴェルディスに伝えるか考えた。その時の事である。
「逆に、目が覚めたばかりでの、馬車での長旅や、膨大な魔力に触れる魔法陣での転移は、お体に障るかもしれませんよ。あと数日は、こちらで様子を見た方が良いのでは?」
メルクと名乗った金髪の医術師が言った。長い髪を後ろで束ねている。白い装束を揺らし、彼はルファを覗き込む。
「召喚獣とお話されていたのでは?」
「は、はい! いや、あの、ただの夢かも知れないんですけど……」
「いいえ、きっと夢ではありませんよ。眠る前に、瞼の裏になにか見えませんでしたか?」
「金色の紋章が見えて……それから、三重の魔法陣が……」
「間違いなく召喚獣からの干渉ですね。ならば病気ではありません。ただ、五日間、意識を落としていらっしゃったので、体力は落ちています。少しお休みになられるべきです」
メルクはそう言うと、ヴェルディスを見た。
「そういう事ですので、必要なのは、栄養です。体に問題はありません」
「そうか」
「僕は一度、村の宿屋に戻るので、何かあったらまた呼んで下さい。あ。王都に戻る時は、おいていかないで下さいね?」
「分かっている」
ヴェルディスが答えた。
こうしてメルクは帰っていった。それを見送りながらお粥を食べ終えたルファは、皿を片付ける為に、立ち上がろうとした。
「俺が」
「ヴェル……」
「寝ていて下さい」
恭しく介抱するかのように、ヴェルディスが食器を受け取る。ルファとしてはただ少し寝ていただけの気分であるから、複雑な気持ちだった。その後、ヴェルディスが戻ってきたので、ルファは告げた。
「あ、あのね、ヴェル」
「何か? どこか、お具合が?」
「そうじゃなくて――召喚獣なんだけど……」
切り出したルファの声は、どんどん小さくなり、途切れた。しかし真摯な瞳でヴェルディスは続きの言葉を待っている。
「……夢の中に、ベリアルっていう名前の、大きな鳥が昔から出てきたんだ」
「ベリアル――……不死鳥の王ですか」
「不死鳥だとは言っていたけど、王様かは分からないよ。そのベリアルが言うには、夢でお話をしているから、現実と時間の流れが違ったんだって。僕はずっと、ベリアルと話していて、それが終わったら、今日だったんだ。五日も過ぎた感覚なんて無かった」
「とにかくご無事で何よりです。貴方を失うかと思ったら――いてもたってもいられなかった」
「ぼ、僕は平気だよ!」
「ルファ様が平気であっても、俺が平気じゃないんだ」
ヴェルディスはそう言うと、衝動に駆られたように、ルファを隣から抱きしめた。その力強い腕の温もりに、ルファが目を見開く。ヴェルディスの髪がルファの頬に触れた。ドキリとして、ルファは息を詰める。ヴェルディスに触れられていると、胸が異様に騒ぎ立てる気がした。
「目が覚めて良かった」
「ヴェル……」
「無事でなによりだ。どれほど心配したことか……」
「夢の中でもね、ヴェルが僕の名前を呼ぶ声が聞こえたんだよ」
「何度も呼んでいたからな。届いていたのか?」
「うん。それで僕、帰らなきゃって思ったんだよ」
ルファとしては事実を述べたつもりだった。しかしそれを聞くとヴェルディスは泣きそうな笑顔に変わった。
「良かった。失わなくて」
そして愛おしそうに、ルファの髪を、ヴェルディスが撫でた。それが擽ったく思えて、ルファは微苦笑する。ルファから見ると、ヴェルディスは大袈裟だ。
「そ、それでね……ただの夢かもしれないけど、僕、ベリアルと契約したんだ」
「夢ではありえない。そもそも不死鳥の王の名を知る者は少ない。王族と、ごく限られた近衛騎士や大聖堂の者のみが知る召喚獣の王の名だ」
「――ベリアルはね、メスだから、卵を産むために、僕の体を使うと言ったんだよ。直接僕が産むわけじゃないらしいんだけど……僕が誰かと寝ると子供が産まれるんだって。それも、男の人。本当にこれ、夢じゃないのかな?」
つらつらとルファが語ると、ヴェルディスが息を呑んだ。それから真剣な顔をした。
「前代にベリアルを召喚獣としていた、先々代の国王陛下の記録と合致します。後宮を設けて人としての王位継承者の数を確保しながらも、同性の精を受け入れていたそうです」
「え……」
「そのための後宮制度でもあります」
「じゃあ僕は、男の人に抱かれる事になるの? 怖いよ……」
「お嫌なのであれば、必ず私がお守りいたします」
「……嫌なのかすら分からないんだ。契約した実感も無いし」
「とにかく、体調が落ち着き次第、王宮へ参りましょう」
「契約は確かにしたけど、夢かも知れないし、僕は王宮には行きたくないよ」
毛布をギュッと握り、ルファが言った。するとヴェルディスが戸惑うような眼差しに変わった。
「物理的な事柄であれば、私目がお守りします。ですが此度のような事態を考えると、それでは万全ではない。私は――俺は、ルファ様に無事でいて欲しいんだ」
ヴェルディスの強い眼光から、それが本心であるというのは、痛いほど伝わってきた。しかしルファは何も言えなかった。
――異変が起きたのは、その日の夜の事だった。
「暖かくして眠って下さい」
そう言って、ヴェルディスがルファに毛布をかけた。その時の事である。
「っ」
皮膚の裏側全てを、鳥の羽で撫でられたかのような感覚がしたのである。肌の内側を、羽で撫でられているような感覚がした。次第にそれはざわざわと、体の内側で鳥が羽ばたいているような感覚に変化した。
「ルファ様」
「ぁ……」
一瞬で、体が熱を帯びた瞬間だった。動揺から目を見開いたルファは、緑色の瞳を縋るようにヴェルディスへと向ける。その目は潤んでいた。ルファの普段は無垢な表情が、ドロドロに蕩けている。そこには凄艶な色香があった。
「ルファ様……、ルファ様……?」
「あ、あ、あ」
名を呼ばれた瞬間、ルファの内側に灼熱が駆け巡った。何が起きたのか分からず、ルファはポロリと涙を零す。吐息すると、口から気道までもが熱を帯びた。それから瞬時に、カッと全身が熱を帯びる。
「ゃ、ぁ……熱い、熱いよ……あ」
「お熱が? すぐに体温を魔導具で計測し――」
「あ、あ、あ、待って、違う。そういうんじゃない。や、熔けちゃう、体が変だ」
真っ赤な顔で、ルファはヴェルディスの袖を掴み、引き止めた。すると振り返ったヴェルディスが目を丸くして、息を呑んだ。壮絶な艶を放つルファを直視してしまったからである。見ているだけで肉欲を煽られるような、扇情的なルファの瞳に、ヴェルディスは冷や汗をかいた。
「やだ、熱い。中が熱い。奥が熱いよ。助けて、ヴェル、あ、ァ……」
「っ、ルファ様」
「なにこれ、熱い。やだ、あ、ああ……ヴェル、ヴェル……頭がクラクラする」
肌の内側では相変わらず羽が揺れるような刺激があり、それは同時に快楽だった。快楽の蠢きが広がっていき、全身を侵食している。
――ベリアルは、卵を孕むために、性交渉を求める。
それは理解こそしていなかったがルファの聞いた知識でもあったし、近衛騎士としてヴェルディスが学んでいた知識でもあった。ベリアルの『発情』に巻き込まれれば、契約主は、体内に射精されるまで、熱からは解放されない。こちらの知識は、座学で学んだヴェルディスしか知らない事柄であるが。
「ルファ様は、本当にベリアルと契約なさったのですね?」
「う、うん。あ……ハ、息が熱いよ、ァ、うああ……っ、は」
「私は――俺は、楽にして差し上げる対処法を知っています。ですが――それは、貴方の体を貰うという事になる」
「あ、あ、ヴェル……助けて……ンぁ……辛い、辛いよぉ」
「――楽にするお役目を、俺に、お申し付け下さいますか?」
「あ、あ、あ……う、うん。うん。あ、あ、助けてヴェル……」
涙を零し始めたルファを見て、ヴェルディスは息を呑んだ。
――ずっと気にかけていた幼子、ずっと探していたご落胤。
――いざ邂逅してみれば、あんまりにも美人に育っていた。
――まだ少年と大人の狭間の危うい美を残す華奢な体。
――何より、素直な好ましい性格。
惹きつけられるなという方が無理だった。一目見て、言葉を交わした時から、ヴェルディスは、ルファの虜だった。ルファが嘗ての幼き日の出来事を覚えていたと知った時など顔にこそ出さなかったが、歓喜し言動がおぼつかなくなったほどだ。
そのルファに、求められている。
抑制が、効かなくなりそうだった。
気づけばヴェルディスは、寝台で震えるルファを押し倒していた。
そして、噛み付くようにキスをする。
「ン」
「……なるべく、優しくする」
そう告げたのは、ヴェルディスの精一杯の理性からだった。
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