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第5-1話

 青は男の肩に担がれながら肌に堪えるほどの寒さに震えていた。  花冷えの風は鋭く吹き付け、(はだ)けた剥きだしの皮膚を切り裂くようである。氷雪を纏う風の音の中に、後を追う者はいない。  いずれ萩氏も鹿氏も種を逃したと捜索の手を伸ばすはず。そんな彼らに花が朽ちたと知られれば――。  青は瞼を伏せて大きく息を吸い込んだ。  ――どちらにせよ、命はない。  胸を反らし、勢いをつけて男の背に額を強かと打ち付ける。 「おい、暴れるな!」  痛みに耐えながらもう一度打ち付けた。苛立った男の腕が僅かに緩む。その隙を逃さず青は藻掻いた。腕を振り回し無我夢中で男の顔や身体を殴りつけた。 「こ、この! 暴れるなと!」  男の手が青の足を捕らえきれず、身体は勢い余って暗闇に落ちる。  無造作に放られた荷物のように、青は凍える大地に全身を打ち付けた。その衝撃に息を詰めて、草深く生い茂る笹藪の中で身を捩る。  間を置かず、駆け戻ってくる蹄の音が聞こえる。  どこかに身を隠さねば。  土を噛む思いで青は這う。その身体は思いがけず、支えを失い落ちていく。  気付いたときには溶け残った雪の上を転がり落ちていた。  芽を出す笹や木立に皮膚を引っかけ、その勢いに手足を縛りつけていた縄も解けるほど。凄まじく勢いを増して全身を打ち付けていく身体はその瞬間、ハッと宙に浮かんだ。咄嗟のことに受け身も取れず、青は激しい音を立てて何かを突き破り落下する。  骨肉が砕けるような痛みに青はひとしきり呻く。 「おい! なんてことを!」  朦朧とする意識の中で、まるで天地が避けたような青年の叫び声を耳にして、青はすまないと口にしかけ、ふっつりと意識を手放してしまった。  青が突き破ったのは、つやつやと光る赤や黒の種々の実を(ちりば)めて、鮮やかな花や紅葉を縫い合わせた花暖簾(はなのれん)のかかる家。その、緑に艶めく苔が美しい屋根であった。  百枝(ももえ)が交わるその下を、数年前、落雷によって裂けた木があった。幹の中を洞と知り、兄弟二人で住むには申し分ないほどの大きさとわかると、根元に玄関を作り、一階は共同の生活を過ごす場所にして、吹き抜けの屋根裏部屋を作るとそこを兄弟の部屋とした。  兄のヤンは水下の街で特別な種を買い、それを屋根として葺いたのだ。あと数年もすればノキシノブが生えそろい、草が靡くように屋根を覆うところであったのに。 「それが見事に粉みじんだ!」  弟のギューの寝台を前に、ヤンは真っ赤な顔を怒らせて地団駄を踏む。  傷だらけの青の身体は寝台に沈んでいる。葦を編んだ大きな籠に、ひな鳥やキジの抜けた羽毛をふんだんにあしらった柔らかな寝台である。  ヤンは単衣を剥がして手早く包帯を巻き付けた。  手際よく手当てしていくヤンを冷ややかに見下ろしながら、ギューは抜けた屋根の穴を塞いでいく。  屋根のことより、とギューは投げやりに問いかける。 「その人間、どうする気だよ」  青の落ちてきた衝撃に露草の絨毯には埃が降り注ぎ、蛍を閉じ込め、天井から吊していた花々は未だに揺れていた。  ヤンは閉ざされていく天井の穴を睨み付けながら、ギューの言い草に苛立った。 「どうって、怪我人だ。怪我人には優しくしろと母さんは言っていたんだ。外に転がしておくのは(もと)るだろ」 「ならせめて自分の寝台に寝かせてくれよ」  ギューは勝手な兄貴だと舌を打つ。思えばいつも勝手だ。  我が儘で横暴で、先に生まれただけなのに偉そうなやつ。一つずつ指を折っていき、恨みは両手の数だけでは足りないほど。  自分の寝る場所の心配をするのなら、ギューの寝場所の心配もして欲しいものである。  ギューはするりと屋根から下りた。

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