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第5-2話

「怪我はどう。酷いか?」  冴え返った春に夜はやけに白く見え、月も氷を張ったように透き通るよう。外套を脱ぎ捨て、椅子の背に引っかけていた毛糸の上着を代わりに掴む。狸や狐、ウサギから少しずつわけてもらった毛を縒ってヤンが編んだもの。大雑把な性格の彼の指先は驚くほど繊細にものを綴る。  いいところもあるか、とヤンは折った指を一本戻す。 「こいつ、花一族の男だ」  自慢の寝台の上には、月光に照らされた白雲(しらくも)のような裸が横たわる。指先や骨の浮き出た関節、下生えから伸びるその先端は溶け出すように赤く色づき、胸から突き出た馬酔木(あせび)の実を目にすれば官能が刺激され、思わず野生の血が滾る。 「種を持つ花一族のことか? まさか下を?」  ギューは蔓のように柱に巻き着く螺旋階段を上り、物好きな男だとヤンを笑う。 「花が散っている」  どれ、とヤンの後ろから覗き込む。衣についた染みには僅かに爛熟した果実の香りが上る。そこに薄く張り付く花びらを剥がしてギューは眉を潜めた。 「花腐(はなくた)しの水でも飲ませたような感じだな」  水下の街で出回る花腐しの水は、花を妬む酔狂な怪士が戯れに撒くような代物。それが梅雨と結びついて長雨を降らせる。まだ時期には早いはずだが、とギューは睨む。 「花一族は、武士の集団」  ヤンがひっそりとつぶやいて腰を上げた。(うつぼ)を背に引っかけ、矢種を手にしていく姿に、まさか一人で夜襲にでも仕掛けにいく気かとギューは鋭く問いかける。 「どこへ行く?」 「食い物を獲ってくる」  彼が弓を扱うのはただの気張らし。結んだ思考を解し、無心を手に入れるには丁度いいらしい。怒ったり落ち込んだり忙しい奴だとギューは鼻先で応じた。  ならばと、ギューは家の庭先へ下りていく。月の雫が滴る草を踏みしめて、霜の花を摘み取った。  凍ったそれは舌の上でじっくりと溶け出すと、口の中にはほんのりと甘く、冷たく冴えた月の味が広がる。朔を満たすのは月なのだから、青の欠けさえも望まれるものと思われた。  ギューは花びらのような青の唇に舌先を這わせて月の雫を小さな口の中へと流し込む。 「花がつくといいが。花一族にとっては大事なものだろう」  寝台に身を乗り出し、身体を支えるその腕に、ふと、しがみ付くような手が絡みついた。青みがかった灰色の瞳が薄らと開いていく。 「……すまない」  彼は昏倒する寸前に耳にしたヤンの絶叫を聞いているらしい。  ギューは揶揄うように目を細めた。 「俺は許すよ。屋根くらいなんてことない」 「屋根」  ぼんやりとギューの顔を見つめる青の目が少しずつ大きくなる。逃げ出した後、落ちたのだと思い出し、飛び上がる身体に、貫くような激痛に悲鳴を上げた。 「まさか、俺は家を壊したんじゃ」 「壊れたのは屋根だけだ」 「穴は」 「俺が塞いだ。だが、兄貴はどうかな。お気に入りの屋根だったから、塞いだだけですむはずがない。四肢を切り裂いて食べるつもりかもな」  暗い部屋の中に目を凝らし、声のする方へと手を伸ばす。部屋の隅を照らす僅かな月明かりが、小さな窓から射し込むばかりであった。 「暗くて何も見えない。明かりはないのか?」  天井から吊り下げた花の光りは星の瞬きのように儚く、青の目の前を照らすには(ささ)やかで覚束ない。 「夜行性なんだ。俺たちは光の下では目が利かない」  身がすぼむような低い声で、彼は歌うようになめらかにいった。  夜行性とは、ただの人間ではない。青は密かに息を凝らす。

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