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第5-3話

「だが、何か明かりをつけてくれないか。何も見えないと不安になる。顔を見たいんだ」  光りを嫌う彼の正体をさては怪士ではないかと疑いはじめていた。青の心臓は途端に大きく鼓動を打ち始める。その耳に、彼の笑い声が触れる。親愛の籠もった優しげな笑い声だったのだ。ひょっとすると好意的なやつではないかと思わせるほどに。  その緩んだ青の顔に、ギューは生温かな吐息を首筋にふきかけた。 「俺からはよく見える。怯えているのか?」  腕を伸ばしても届かない所にいたはずと青は汗を滲ませる。気配を消して易々と懐に入り込む彼はいとも容易く青の命を引きずり出せるのだ。 「青という。あんたは?」 「ギュー。兄貴はヤンだ。俺の顔が見たいといったな」  後ろに回した手が暗闇の中で引き捕まれた。その指先がギューの肌に触れる。青は顔を上げてじっとその先を見つめた。煙が晴れていくように薄らと浮かび上がってくる顔は、青の肝を握りつぶすほどの凶悪な顔であった。  喉を鳴らして唾を飲む。  黄金の瞳は鰐のような狡猾な色を放ち、身体一つ丸呑みできるほどの大きな口から覗く牙は、骨さえ噛み砕けるほどの鋭さである。抵抗しても敵うはずもない相手。  その恐ろしさに思わず仰け反った。食べるつもりか。しかし、彼らは青の怪我を手当したのだ。さては脅かしているだけ。  青はそう思いながらも恐怖をかき消すことは難しく、震えそうになる声を張って苦笑いを浮かべた。 「屋根のことは、いいのか」  ギューは期待していた。身震いし、逃げられないと悟った人間の恐怖に取り付かれて取り乱す様を。はしたなく叫んで這いずりまわる醜態を。感情を昂ぶらせ、限界まで触れた神経が身体の機能を奪い、失禁させて、糞を撒き散らし、恐怖を味わう姿をじっくりと眺めて笑ってやろうとしたのだ。それどころか少しも震え上がらない青の態度には事醒(ことさ)めた。  息を吐き出すギューの顔は年頃の青年の顔つきに戻る。その顔に、(おぎ)のような髪が覆った。 「つまらんやつ」  青は掻き分けて彼の輪郭をなぞっていく。すっきりとした顎に柔らかな唇、目の周りを縁取る隈は狡猾で冷たい印象を与え、その瞳の色は森の王者のように孤高な精悍さがあった。その眼とかち合って青は微かに怯む。 「若いな。先に弱みを見せてはだめだ」  彼が素直な青年だということは短いやり取りからでも十分に知れている。青は心の底から愉快な気持ちが湧き上がり、喉を鳴らして笑うのであった。  それを心地よさげに耳を傾けて、ギューは鼻を鳴らす。 「弱みって?」  青はふと、気を許しすぎたとたじろいだ。 「屋根のこと。どうにかしてほしそうにいっていただろう。手の内をみせては逃げられる」  ギューは頬杖をつく。 「慣れているな」 「怪士と酒を飲むのが好きなんだ。怪我の手当までしてくれて、なんてお礼を言ったらいいか」 「怪我人は放っておけない。特に火傷を負ったやつほど。母さんからの教えだ。兄貴が文句を言いながら巻いていた」 「そうか。ありがとう」  心根の真っ直ぐとした青年なのだと、青は綻ぶ。  彼の体つきはしなやかで、立ち上がると思いのほか圧倒されるほど筋肉質であった。部屋を下りていくギューは床下の貯蔵庫から瓶を一本取り出して杯を二皿指に引っかけた。  天頂に花開く禁断の罌粟の花である。  その金赤の花を象った杯に、たっぷりと注ぐのは月の雫と魚の泡、月下に開く花の精油を一滴絞った酒。ヤン・ギュー兄弟の気に入りの酒。飲むのは特別な日と二人で決めていた。それを青に振る舞ったと知られてしまえば喧嘩になることくらいわかっている。  だが、ギューは髪を掻きあげて寝台の際に腰掛けた。  この蕾を固く閉ざした花を開かせてみたいと思ってしまったのだ。花径に根を張る花の誘いを断るわけにはいかない。

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