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第11-1話
火薬の匂いが立ちこめるような不穏な湿地に、陣が張り巡らされている。
爽のところへ行くという清瀬と別れて、青はヤン・ギューの家に向かう。
兄弟の宝物が詰まった家は息巻く怪士たちがつめかけて、犇めく彼らの熱気で窓はくもり、茹だるような暑さであった。その二階からヤンが青を招く。彼らの間をすり抜けて足早に階段を駆け上った。
斜に結んだ蔦の寝台に横たわるのは、颯と名付けた男。
青は彼の姿を目に触れて、やはり、彼が凪なのだと正体を知る。
焼けただれたような肌に、空洞の眼。彼だとわかる黶も、撫でた傷跡も、見知った体つきの一切を失った姿を前にして、青は一つも言葉がでなかった。
傍に歩み寄り、絶え絶えの息に耳を欹てて、彼の手を握る。祈るように額に翳し、瞼を伏せた。
街の種と引き換えに恋心を失ったが、彼は何と引き換えに姿を失ったのか。
「傷が深い」
椅子に腰掛けるヤンは疲れ切ったように足を組み、ギッと撓る背もたれに腕を回して、乱れた髪を掻きあげた。
「残念だが、できることはない」
隈は更に濃くこびりつき、泥のような目は眠気を堪えるようである。青はそんなはずはないと頭を振る。
「月の霜でもだめなのか?」
「ほとんど失われているようなものだ。命は助からない。ひと思いに止めてやるのも優しさだろう」
「ミズグモにあってくる」
「お前にどんな価値が残っているという」
「じっとしていられない。出来るところまでやりたい。ヤン、ずっと看病していてくれたのだろう。ありがとう」
凪の顔に手を触れて、もうその眼が青を映すことはないと知りつつも、彼の碧潭の瞳が再び宿るのではと思わずにはいられなかった。
「青、やめた方がいい」
待っていろと、凪の耳元に囁いて背を向ける青に、ヤンは気怠げに身を起こして青を引き留める。
「お前が犠牲になることはない」
「思い残しを少しでも減らしたいんだ」
ヤンの手を払いのけ、青は手すりを伝う。露草の絨毯は怪士たちに踏み潰されて萎れ、可憐な花びらは塵に混じって隅へと押し流されていく。目下に力強く根付く花は、彼らの心を痛ませるには小さすぎるのだ。
もう、誰にも止められない。激しく重なる鞘なりの音は男たちの血を悉く煮えさせて、太鼓のような鼓動は彼らの背を押していく。
山の峰から立ち上る狼煙を目にして、時間がないと青は急ぐ。
溶けかかった薄氷を踏みしめると、ガラス片のように鋭い先が皮膚を裂く。水草を掻き分け、ヤンに引きずり込まれた洞へと身を捻じ込み、飛び込んだ。
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