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第10-2話
青は思いがけず、望んでいたその喜びにどっと湧き上がった。苦しいほどの熱が身体中を駆け抜けて暖かな清瀬の腕に包まれて指先までほてり出す。すぐに押しのけようとして、その反動に車の中へと転がされた。
「なにを――」
唇を伝う仕草にハッと息をつめ、伏せた瞼から上目に見つめる清瀬にたじろぐ。
「興奮した」
強くにぎり込まれた掌は激しい感情をこらえるよう。恥ずかしげに顔を俯かせ、真正面から青を見つめるのも照れるような姿は、口調に反して初々しい。一度肌を重ねたことを忘れたのかと言いかけて、青は彼が赤く肌を染める様子に声を失う。
走り出す車の中で清瀬の身体をそれとなく目にかけて、怪我をしている様子もないと確認すると、思わず安堵の息が口をついて出た。
「興奮している場合ではない。危ないところだった」
「血が騒いだんだ」
「二度とあんなことはするな」
「あんなこと? どっちのことを言っている」
感情を昂ぶらせる彼に青は怖じ気づく。
「俺を、庇ったこと」
「言い聞かせても身体は動く。なぜそんなかわいくないことを」
ムッと眉をよせ、息を吐きつつ離れていく清瀬の衣を掴んだ。我が儘なやつだとでも言いたげな口ぶりが気に食わず、話を終わらせるつもりはないと声に苛立ちを滲ませる。
「怪我をしてほしくないから言っている」
「同じ気持ちだ。俺がいなければ今頃死んでいた。それでもいいのか」
「どうせ捨てるつもりだった。それに、街の種を取るためには心臓を貫かなければならない」
清瀬は衣を掴む青の手を握り、おし開けた胸を触らせる。その鼓動の高鳴りと、焼き付くほどに熱い体温に言葉をのみ込む。
「少しくらい、素直にできないのか。お前を好きだという男の前でよくもそんなことがいえる。捨てるつもりなどと、そんなことを言われた俺の気持ちを考えることも出来ないのか」
「あんたが怪我をすれば、俺を失ったあんたと同じ気持ちを俺も味わう」
「重さが違う。俺の怪我など大したことではない。それよりも二度とそのからだに触れられない俺の痛みはそれ以上のものだ」
「俺にとっては同じことだ。俺の命など大したことではない。あんたの身体が傷だらけになるほうが嫌だ」
「あますことなくもらうといったはず。お前の命を手放すものか」
青はっう、と身体を竦める。歯が浮くような台詞をよくも澄ました顔でいえるものだとたじろぐ。言葉を継げずに黙っていれば、漂う沈黙は花が咲き乱れる冶春 の頃の風のよう。匂やかに肌を包むようであった。
青はますますむず痒い思いに汗ばんでいく。
「色男め。なぜ俺の言うことに従えない」
「誰がそんなに強情になれといった」
返す言葉も思い浮かばず、青は俯く。
清瀬に誘われた熱がじわりと滲み、甘い蜜を舐め取るように唇に舌を這わせた。その僅か一瞬の隙を清瀬は見逃さなかった。名残惜しむように開いた唇に、まるで愛おしいとでもいうように柔らかな唇を重ねた。
「凪を好きだというのなら、それでもいい」
身体中の感覚が奪われるほどの心地よい口づけである。冷え切った身体がじんわりと熱を帯び始める。
清瀬の指になぞられる唇がもどかしく疼き、胸を引っ掻くような欲求に唇を噛みしめた。
「なぜそんな話しになる」
「怪士にさらわれていったとき、手を拒んだのは、俺を受け入れたくないからだと」
――違う。
「あんたにすら、用なしと思われたら、怖かった」
意図が掴めない様子で清瀬は促すように青を見つめた。
「突拍子もないな」
「花が朽ちて、二度と咲かなければ俺は用なしだろう」
「花に恋をしているのではない」
では、誰に恋をしているのかと、問いかけようとして口を閉ざす。
清瀬の手は柔く青を包んでいく。指をにぎり、足すらも絡まって、呼吸を繰り返す胸でさえもが互いに触れあうほどの近さである。温もりは混ざり合い、吐息は重なる。次第に耳の裏まで熱い感情が駆け上る。青は目を見開きながら、弾かれるように小さく開いた花に誘われて、次々と心を染める春の色に大きく息を吸い込んだ。
失ったはずの心が、緩やかに動き出す。
大きな瞳は清瀬を見つめた。
――やはり、何度だって好きになる。
どうしようもなく、いとも容易く、清瀬を前にすれば硬い蕾みだって解されるのだ。
景色は繽紛 と花びらが散るような鮮やかな綾を縫いとり、再び動き出す鼓動の音は蟄虫も目覚めるほどの力強い音である。
抑えられない。
青は被さる清瀬の背中にそっと腕を回す。
「怪士をはぐらかすような男でも、いいのか」
掠れた声に、青を抱く清瀬の腕に力がこもる。
「お前らしい」
「あんたの父親がなんて言うか」
「どうだっていい」
「葛氏だって」
「破談にした」
一つ、一つ、かわす言葉の暖かさは青の中の氷も淡く融け出していく。
同じ気持ちなのだと思うほど、春の木陰が柔らかく閃くように心地のいい感情に支配され、零れる吐息は乱れるほどの花色であった。
青はようやく伝えられるのだと、声を震わせる。清瀬の胸に額をすりつけ、強く彼の身体を抱きしめる。
「ずっと、絶え間なく、あんたのことが好きだ」
清瀬は応えるように青の首筋に唇を触れた。
抱き合う彼らは溶け込むように強く重なる。思いは尽きることなく、青はその溢れるばかりの思いを伝えるように、清瀬の襟を引き寄せて唇を奪う。
染まる瞼を伏せて健気に離れていく姿に、清瀬はたまらず彼の腰を抱き寄せた。吸うほどに甘く、重ねるほどに濃くなる唾液を絡め、口の中をたっぷりと舐めあげる。気持ちよさげな青の唇にかじりつき、交わる液のひとしずくさえ零すまいと、吸い付く音はまるで花びらを捻ったような音である。
青は身体が解れて力が入らず、ずり落ちるように腰を下ろし、これ以上は径の花が開いてしまうと清瀬を押しのけた。
「やめてほしいのなら、その顔をどうにかしろ」
じっと睨み付ける清瀬の眼差しに絡め取られて、心臓が強く押しつぶされるほどの恥ずかしさにたじろいだ。
「むりだ。あんたの口づけは、酒よりも気持ちがいい」
幸せを噛みしめるように、清瀬の手に触れた。
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