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第4-2話

 清瀬が腰を上げたとき、やにわに、荒々しい声が庭先から上がった。  気色ばんだ激しい口論に、鎬を削る音。 「何事だ」  鋭い問いかけに嵐がすかさず外へと駆け出していく。日の落ちかけた薄暗い庭に、かけ抜けていく複数の人影がある。 「盗みでも入ったか?」  刀刃が交わるその先の、逃げていく男達の背を見据えた。盗まれて困るような宝はないはずだが、と。  ふと、錆びた髪色の男の肩が何かを担いでいるのに目がいく。  手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされた人の姿。真っ白に血の気を引いた顔に、誰と、その名を口にするより早く、胴震いする身体は咄嗟に欄干を飛び越えていた。 「青――!」  ハッと顔を上げた青の姿に身の毛がよだつ。恐怖に震えた青の目は清瀬の心を絡げるようだった。  男たちは築地を身軽に飛び越えていく。 「追え!」  怒号を発する清瀬にすぐさま侍従が駆け出ていった。  もうじき迫る夕闇に紛れて姿を消すつもりなのだ。そうなってはたまらない。 「若君……!」 「父上に伝えろ! 私はあの者達を追う。萩氏の屋敷へ行く支度を整えておけ!」  深まる暗闇に姿は溶け込み、逃げる馬は凄まじい勢いで疾駆していく。裸馬を駆ける清瀬は離れていく背を睨み付け、このままでは追いつけないと腰帯を掴んでひきほどき、素早くふるって馬の尻に鞭を入れた。  逃がすわけにはいかない。  せっかく手に入ったのだ。 「――青!」  目の前には馬の尾が迫り、伸ばせば手が届きそうなほどの距離である。  青が視線を上げ、ふと、揺らいだ瞳が伏せられる。それはまるで清瀬を拒むような仕草であった。  なぜ、と愕然と伸ばした手が、もう少しと青に届くところで、突如と引き返してくる二頭の馬に清瀬は舌を鳴らす。背に乗る男が刀を手にして清瀬へと振りかぶる。清瀬はたまらず手綱を引き威嚇に屈した。  青を乗せた馬は砂埃を巻き上げて濛々と暗い闇の中へと消えていった。  もう少しだった。青の肌を後少しと掠めた手はもう少しで届くはずだった。空を掴んだその拳は青の残り香を握りしめている。 「クソッ!」  なぜ彼は拒んだのだと、清瀬は悔しさに歯がみした。  それにくわえて、せっかく手に入ると思っていた矢先に、なぜ横やりが、と苛立つ。  闇を味方につけて馬を駆けるあのものたちが怪士であるならば、青を人質にする気かもしれない。今の青ならば、萩氏も取り返したいと躍起になるだろう。鹿氏でさえも、彼なくして婚儀は進められない。  屋敷へ舞い戻り、すでに部隊を調えた爽とともに萩氏の屋敷へと馬を急がせた。  爛漫と乱れていた花は閉ざされ、天の星でさえも冷えていくよう。吹き付ける風は冴え返るほどの冷たさである。青を失った清瀬の心のように、彩っていた春の景色は急激に褪せていく。 「萩氏の当代は責任を取れと迫るだろうな」  爽の声に、清瀬は口を結ぶ。 「おそらく怪士かと思われます。今度の討伐に関係があるかと」  春立つ日に、車の轍を埋め尽くした花びらは、一途に引いた恋の道である。清らかに続いたその花はすでに腐って茶色く溶けていた。  青の身元を掴むと同時に香りだした恋の花。それがこんなにも呆気なく、色あせてしまうとは。清瀬は腹が立つ。恋を結ぶ蝶の花は、青が誰に心を傾けているのか、それさえも教えてはくれない。霞や幻を掴むように青の心は掴めず、掴んだとしても水のように指の隙間を零れていく。それがたまらなく歯がゆい。  冬枯れの花園屋敷に乗り込んだ清瀬と爽に、侍従が慌てて拵えを受け取ろうとするが、清瀬は払いのけ、奥の間にどっかりと腰を下ろす麗と葛氏の主人を前に踏み込んでいく。

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