慌てて振り払おうとするが、青を見失った男たちの声はすぐ背後に迫っている。木の洞(うろ)から伸びる手は引きずり込もうとするよう。さてはあの怪士たちの仲間ではないかと躊躇し、強ばる青に洞の中から声が囁いた。 「大丈夫、安心していい」 　その優しげな声色は緊張を和らげようとするものであった。他の怪士とは違う。青は縋るように身を投げた。 　彼の胸に抱き留められながら、青の目は靄が立ちこめるような真っ暗闇を見つめる。少しずつ明瞭になっていく線を辿っていくと、ふと、狼のように冷たく冴えた瞳が覗き込んでいるのに気付いた。輪郭を覆う荻の髪に、まさかギューではないかと口にしかけて、しかし顔につけた爪痕がないと息を呑む。 　ギューと瓜二つの容貌。 　ギューの兄。その名前は確か――、 「……ヤン？」 　応じるように笑みを浮かべる彼は青の手に彼岸花を握らせた。蕾みは紅玉のようであったが、ヤンの指先が種火を発すると、躍り上がるように炎の蕾みが開く。灯火は柔らかな明かりを零してあたりは赤々と照らされた。 　ヤンは青の肩を抱きよせて外套に包む。 　――ミズグモの糸に気をつけろ。 　密やかな警告は脅しているわけではないらしい。 　蜘蛛の糸は枝葉(えだは)の隙間から零れた陽ざしのように細(ほそ)く張り巡らされ、その糸の端に透明な繭玉が結びついていた。中にはくつろいだ蜘蛛が今に獲物が引っかかるのをじっと待っている。 　奥へ行くほど糸は増え、銀糸(ぎんし)を織り出したレースのように複雑に絡み合う。 　ガラス玉から見つめる蜘蛛の目が青の姿を追っていく。ぞわぞわと肌が粟立つような不気味な景色に次第に足取りが乱れた。 「どこへいく？」 　ヤンから身体を離し、肩を抱く手を振りほどく。 　安心していいとはいったが、それは油断させるための嘘なのではないかと思い始めていた。 　彼は怪士。騙しているのではないか、と。 「ギの一族が萩氏の青という男を捜していると聞いた」 　ヤンの見透かすような眼差しに青は思わず目を見開く。ヤンはそれが青のことだと知っている。 　やはり、助けたように見せかけて彼らに差し出すつもり。もしくはこのミズグモの餌にでもするのでは、と、青の生白い喉が唾を飲み込んで上下する。 「つくろっても無駄だ。花が散っていたのをみた」 　どうやら言い逃れは出来そうにない。 　青は背後に視線を走らせる。逃げ道は歩いてきた道を戻るしかないが、暗闇の中では怪士の目には敵わない。糸を避けながら果たして逃げ切れるだろうか。 　後ずさりする素足がミズグモの糸を微かに触れる。思わず振り向く目の前に、一筋の銀糸が道を塞ぐように貫いていた。 「ギの一族のところへ俺を連れて行くのか」 　睨む青に、ヤンは途端、激昂した。怒りに任せて腕を振り上げかけて、堪(こら)えて毛を逆立てる。すかさず伸びる手が青の肩を引き掴んだ。 　殴られる。そう思い、目を閉じる青に、彼は声を荒げて叫んだ。 「俺を、信用していないのか！」 　青は彼の勢いに圧倒された。漲るような瞳に射竦められ、山のように迫り来るヤンの身体に目を見開く。 　信用、どういうことだ。 「俺を、ギの一族に引き渡すつもりではないのか」 「なぜそんなことを！　俺が怪士だからか？」 「こんな場所にまでつれてきて、俺が誰だか確認しようとしたじゃないか」 「怪士であれば誰もがみんな不義理をするとでも思っているのか」 　青は混乱した。 　連んでいたのは皆口達者な奴らばかりだったのだ。気を許せば簡単に命を獲ってしまうような怪士たちの中では、躱(かわ)す術を身につけなれば生きて戻れない。 　いつの間にか怪士のように浅ましくなっていたのだろうか。彼らとは生き方も考え方も違うこの青年も同じ怪士と思い、彼の優しささえも踏みにじろうとしてしまった。 「悪い」 　思わず心の底から出た言葉であった。 　髪を掻きあげる青年の仕草は青への不愉快をあらわにし、好意を無碍にされた苛立ちを見せつけるようだった。