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第19話 イルとかさね①
【Side:かさね】
――――夢を見た。地球にいた頃のものじゃない。でもよく似ていた。とても嫌な夢。
日本にいた時なら、それはただの夢だと思っていただろうか。だがそれは違う。
異世界に召喚され、地球とは違う『竜宮』と言う世界があると知った。
「あの」
「はい」
ぼくがベッドから身を起こせば、ぼくの世話を担う獣人の侍従のレキがいた。夫のイルとは違う、白い虎ではない。赤みがかった茶髪に黒のメッシュの入った毛並みだ。後ろからは虎のしっぽ、足首にはイルと同じく羽根のようなものがついており、その羽根が邪魔にならないような靴を履いている。
日本でも、こちらに来てすぐの時でも、ぼくはすぐに周囲の心を掴み、味方に引き入れた。けれど彼らは今、ぼくの周りにひとりもいない。
元々の使用人たちは総入れ替えされ、その規模も王子宮にいた頃と比べれば雲泥の差だ。王子宮でも実家でも、ぼくは多くの使用人に囲まれていた。けれど今はこの侍従ひとりだけだ。いや、本当の実家では、母と2人っきりだった。小さなアパートで、母と2人で暮らしていた。あの男が、祖父だと言う男が母が亡くなったのを機にぼくを引き取るまで。
日本でのぼくは母と2人、竜宮では確か――
「あの、手紙を出せますか」
「どなたに?旦那さまですか?」
今、夫のイルは遠征に出ている。ぼくがバカをやらかして、王子ではなくなったイルは、産みの母である元第1王妃さまが陛下の臣下に下げ渡されると同時に臣下側の籍に入り、しがない伯爵令息となった。
――それでも守護者だからそれなりに特別な存在だけれど、ここの屋敷は質素で小さいし、使用人も最低限、ぼくの味方にはなってくれない。
敷地内の大きな屋敷には元第1王妃さま夫夫が住んでいて、使用人も多い。貴族として普通の暮らし、と言うのをしているらしい。尤も身体の弱い元第1王妃さまは社交には出ていらっしゃらないけれど。
――それでも、あちらの屋敷とのやり取りをぼくは許されていないし、元第1王妃さま側もぼくたちの生活に関わる費用は、ぼくとイルで賄うように申し付けてきた。
ぼくのせいで報酬も、予算も減らされた。王子宮にいた頃のような生活は困難だ。
ここに連れてこられた時はそりゃぁぼくも文句を言ったけれど、使用人たちは冷たいし、イルも以前はあんなにぼくを愛してくれたのに、冷たくあしらうだけだ。
今だって少ない報酬を賄うため、と言ってはいるが、まるでぼくを避けるように遠征に出て、ほぼ帰ってこない。
夫夫の寝室だって、帰ってきてもこちらで寝たことはない。帰ってきて、屋敷の管理のため仕事をしているらしいが、終わればまたすぐに遠征に出てしまう。
ぼくはひとりだ。
母が亡くなってからと同じ。
――竜宮でも、義姉さんが生け贄として捧げられてから、ひとりだ。
――――賎民だから。そんな理由で生け贄として捧げられた。
こちらでも、結局はひとりになってしまった。
竜宮で望んだように、地位も名誉もお金も手に入れた。けれど結局はまた、ひとりに戻ってしまった。
そしてこの屋敷に来てから知った。
先代白虎族の守護者と運命の番のこと。このままではぼくは永年蟄居となるところだった。
今はイルから謹慎と言う名目のもと外出を許されていないが、今後は王命として生涯にわたりぼくはひとりぼっちになることだってあり得る。そしてその生活から逃げ出すことはできない。
イルが守護者で、ぼくがその運命の番である限り、ずっと。
例えイルの次代が産まれてその任をおりても、変わらない。逃げ出したら今度こそ、王族への侮辱罪、王命に背いた罰として、処刑なのだと。
かつて便利だと利用した守護者の運命の番としての特権が、自らの首を絞めることになろうとは。
けど、確かめなくてはいけないことがある。
えぇと、あの人の名前は――
「九夕院世麗那さまに、手紙を出したいのです」
「は?」
当時、王子宮で生活していた時、守護者の運命の番が集まる王妃さまのお茶会があった。
ぼくは彼らの気を引けるよう、いつも通り振る舞ったけど、あの人はただ優しく微笑むばかりで思うようにはいかなかった。
あの人は多分、ぼくを嫌っている。いや、ぼくの本性を見抜かれていた気がした。
「出せますか?」
「内容はチェックさせていただきます。ただ、受け取って貰えるかは確証がもてません」
「分かり、ました」
出せることは、出せるのか。
ぼくはその夜、いつも通りイルが帰ってこない屋敷の寝室で書をしたためた。
――――翌日。
「何ですか、この手紙は」
手紙の中身を早速チェックした侍従は、眉間にシワを寄せてぼくを見下ろした。
「何って、手紙書いたから」
「この世界の文字は」
「書けないので」
「怠慢ですね」
「――っ」
返す言葉もない。
厳しい家庭教師がついても、ぼくは勉強をすぐ投げ出した。城にいた頃、少しは真面目に取り組めば良かった。でもそれはもう、後の祭りだ。召喚者の学習の期間は終わっており、城を後にしたぼくのもとには、追加の家庭教師が派遣されてくることもない。
学習の期間に学ぶ姿勢を見せなかったぼくに対して、イルも諦めたと言うことだろうか。少なくとも言葉は通じるから。
でも、書き言葉は違った。これは守護者の運命の番のチートが通じるものではなかった。
だから本来召喚者にはこの世界の文字、文化、マナーなどを学ぶ機会が与えられる。そのチャンスを自ら手放したのは、罰だ。
「まぁ、いいでしょう。どうせ城でもチェックはされます。そこでしたら、異世界の文字を理解できる者もいるでしょうし。ただ、旦那さまは一旦目を通されるでしょう。今夜はお戻りになりますから」
そうか、イルは今夜戻ってくるんだ。以前は、この屋敷で冷たくされようともイルが帰ってきたらお出迎えと言うか、通りもしないおねだりをしていたが――
――今はさほど、興味もない。
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