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一章 竜族取締機関―文月班―②
『竜族取締機関―文月班― 二話』
文月の職務室がある棟の隣に位置する、霜月の整備室。機関の武器や防具、設備の全てを取り纏めるここは、いつ訪れてもざわざわと騒がしい。遠くからは、カンカンと木槌を叩くような音も聞こえ、すでに業務に取り掛かっている様子が見受けられた。
そりゃあ、こんな中、他班の人間がいれば、仕事に邪魔な事この上ないだろう。それが班長ともなると、殊更迷惑極まりない。
さっさと連れて帰らないと……。そう改めて思い、周囲を見回せば、三分と掛からず、非常に見覚えのある背中が目に止まった。
遠目からもはっきりと目立つ、小豆色の髪。周囲の大きな機器にも埋もれない上背に、その色を持つ男こそ、まさに己の探す人物である。
その姿を捉えるや、俺はわざと靴音を立たせながら、その背へと駆け寄った。
「――――ん。ああ、おはよう千草。早かったな」
そうして現れたのは、鮮烈なまでの紅。出会った頃と変わりない、ひどく澄んだ綺麗な炎の瞳が、俺を捉え、柔らかく緩められる。
そのまま、そいつは『今日も息災そうで何よりだ』なんてあっけらかんと続けてきて。その顔がまた、どういうわけか嬉しそうに破顔しているものだから、俺は思わず一瞬たじろいだ。
――――〜〜〜っ、だーくそ! 今日も腹が立つくらいに格好良いな、この野郎!
これだからイケメンは!そう叫び出しそうになるのをどうにか寸でで堪え、俺はすぐさま気を取り直し、勢いよく首を振って邪念を払った。
「……っお、ま、え、は! 毎回言ってるだろう、迷うぐらいなら先に俺を呼べって! あんまり動き回るな、自分が方向音痴なのを自覚しろ、燐!」
なんとか平静を保ちながら、『毎回呼び出される俺の身にもなれ!』なんて、ぼやきをぶつける。本心ではもう少し違った感情を抱いてるくせに、それはひた隠しにして。
そんな俺を前に燐は、これまた悪びれた様子もなく、悪い、と一つ、謝罪を口にした。
「今日はいける気がしたんだが……やっぱりそう簡単には治らないもんだな。次は気を付ける」
そう告げられた言葉からは、けれど、一切反省した様子が見受けられなくて。その姿に、流石の俺も苛立ちが優り、結果、目の前の頭をスパンと叩いていた。
「ぁだ……ッ!」
途端、頭を抑える燐を前に、続ける。
「前回も前々回も、それより前の時もそう言ってたんだよ、お前は。だから、頼むからさっさと俺を呼べって言ってるんだ」
最早お前のそれは天性のものなんだから、と釘を刺す。すると、燐は叩かれた箇所を摩りながら、ひどく不服そうな顔をした。
「お前……なにも叩くことないだろ」
そう呟くその姿は、あまりにも学生の頃と変わらなくて。ちょっと情けないその姿に、もう少しで二十五にもなるいい大人のくせに……なんて思いが、不意に頭を過る。
黙ってればイケメンだっていうのに、こういうところは変わらず子供っぽいから、なんだかんだ憎めないんだよなぁ、コイツ。
その時、今更ながら、もう五年は勤続しているはずの職場で迷子になる二十五歳男性、という情けない事実が頭に過り、沸々と笑いが込み上げる。
「そもそも、……ふ、っ……、叩かれるようなことをしたお前が悪いんだよ……ふふっ」
それでも、注意している手前、なんとか笑わないようしていたのだが。結局、堪えきれずに笑いが溢れ、最後にはくつくつと笑ってしまった。
そんな俺を前に、燐は一度、緩く目を瞠っていたようだが。最後には、何も言わず、ただ意味ありげにくすりと柔く笑っていた。
そんな燐に、思わずムッと口を窄める。
「……なんだよ、なんか言いたげな顔して」
「ん? ……いや、別に」
すぐに詰め寄ってはみたものの、なんでもないとはぐらかされる。その柔らかい表情に、どきり、と胸が少し跳ねた。
――――……ああ、いつからだったろう。燐の、こんな優しい顔を見るようになったのは。
きゅう、と胸が少し切なくなって、言葉が詰まる。こういう顔をするから、この男はずるいのだ。
そういう顔は、女性だけに向けていればいいのに。
不意に、そんなことを思った自分自身の言葉に、今度は胸がちくりと痛んだけれど。ここで話を途切れさせるのは不自然だろうと、俺はなんとか口を開く。
はぐらかすなと、言いたいことがあるならさっさと言え、そう続け……結果、返ってきた言葉に、俺は後悔した。
「あーいや……正直な、そう言いながら、千草は必ず俺を見つけてくれるから。それが嬉しくてな」
笑って悪かったと、そう被せられた燐の言葉に、俺は益々言葉を詰まらせた。
「っ、……は、はぁ⁉︎」
瞬間、俺は自分の顔が一気に赤くなったのが分かった。頬が死ぬほど熱い。はくはくと、声にならない声が口から零れ出る。
意味が分からない。それの一体何が嬉しいんだ。というかそもそも、俺はただ、お前が一応は俺の上司だから、こうして迎えに来てやってるだけで、そこに深い意味はない!
そう言葉にしたくても、どういうわけか、燐がそんな俺を見て、益々嬉しそうに頬を緩めるものだから。その柔い表情に、やっぱり自分の口は上手く働いてくれなくて。
「~~~っあーもう! やっぱりお前、ずるいっ!」
それでもどうにか吐き出した言葉は、そんな可愛らしい文句だけだった。
これ以上、俺の心を引っ掻き回すな。いっそのこと、そう叫びたいけれど。何故と言われるとその理由は話せない為、結果、こうやって心臓に忙しない日々を送る羽目になっている。
ああ、分かってる。それもこれも全部、自業自得だってことくらい。だとしても、文句だけは口にしたっていいだろう。
「何がずるいんだ?」
「何もかも! 全部だよ!」
とはいえ、それでも、当人にそれが上手く伝わっていなければ、それも無駄な話で。だから、今回もまた、改善される見込みはないのだろう。
きょとん、とこちらを見つめるその紅い瞳を見上げながら、それがまた、段々と俺を腹立たせる。
「……ずるい、か……。俺としては、お前にこそ、もっとずるくなってほしいんだけどな」
その時、不意に手前からそんな呟きが落とされたものだから、俺は咄嗟に動きを止めた。
「……は?」
その、先程までとは違った突然の真面目な声音に、目を瞬かせる。その時、向けられた燐の目が、まるで俺の心の内全て見透かすかのように、どこまでも真っ直ぐで。真剣なその瞳に、またどきりと心臓が高鳴った。
「そ、れって、どういう――――」
その瞬間だ。始業時間を知らせる鐘が屋内中に鳴り響き、俺たちの間に漂っていた空気も霧散した。
「あ、」
「む」
その瞬間、俺は思い出す。此処へ来る直前に告げられたことを。次いで俺は、さっと顔から血の気が失せた。
「まっずい、始業時間……っ! 瑠璃さんに怒られる‼︎」
行きしなに言われた瑠璃さんの言葉を思い出し、即座に燐の背中を押す。
「ほら! 急いで戻るぞ!」
自分よりも筋肉質なその身体は、けれど特別抵抗することもなく。俺の突然の焦りっぷりに、燐は若干驚いた様子ではあったものの、最後には俺に押されるがまま、その場から動いてくれた。
そうしてたったかと廊下を駆け、燐と二人で文月の職務室へと戻ってきた、のだが……。
そっと廊下の時計を見やると、その時刻は既に始業時間から五分過ぎていることを示していて。その様に、これでは瑠璃さんからの叱責は避けられないだろうと、項垂れてしまう。
「うぅ……瑠璃さん、怒ってるかな。……怒ってるよなぁ」
思わず頭を抱え、そんなことをぼやいていると、燐がやれやれと言った具合に首を振った。
「五分やそこら遅れた程度で、狭量なんだよな、彼奴」
「……お前、絶対それ瑠璃さんの前で言うなよ」
遅刻した原因が言い放ったその言葉に、最早呆れながら、とはいえこのまま突っ立っていたって好転するはずもない。そう気を取り直し、そっと取手に手を掛けた。
恐る恐る扉を開ける。それから部屋の中へと意識を集中させ、辺りを見渡せば、部屋の中心で何やら話し込んでいる瑠璃さんと鴇さんの姿を見つけた。
「た、……ただいま、戻りました~……」
震える声を叱咤しながら、それでもなんとか入室を知らせると、瞬時に中の二人が此方を見た。
「……副長っ!」
すると、途端に瑠璃さんがぐっと眉間に皺を寄せ、かつかつと勢いよく此方へと詰め寄って来たものだから、思わず肩が跳ね上がる。その、あまりの瑠璃さんの形相に、自然と謝罪の言葉が溢れ出た。
「ヒェッ、すみません遅くなりましたすみません!」
怒られる。そう身構えた、その直後。続けて飛んできた言葉はしかし、予想していたものとは違ったものだった。
「すぐに準備を。出立要請が来ました」
険しいその表情に、言葉。それを見聞きするや、俺もそうだが、その隣。燐が、すっと俺より一歩前へと出て、瑠璃さんへと口を開いた。
「どんな状況だ」
そうして告げられた燐の一言に、後ろで控えていた鴇さんが静かに口を開いた。
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