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二章 ドラゴンと龍、その派閥 ②

『ドラゴンと龍、その派閥 一話』 「いやぁ、取締機関の御二方、本日はご苦労様でした!」  教室を後にした帰路の途中、不意に掛けられた声に後ろを振り返れば、そこにはこの学園の教頭である男が立っていた。  まるで貼り付けたかのようなにこやかな笑みを浮かべるその姿に、俺は自然な表情でにこりと笑みを返す。 「こんにちは、教頭先生。お気遣い痛み入ります」  俺がそう告げると、その言葉に倣うよう、瑠璃さんは無言のまま隣で軽く会釈する。 「いえいえ、こちらも取締機関のおかげで、こうして平穏無事に学びの場を設けられるのですから、これくらい普通ですよ! どうです、今年の生徒たちは。どの子も賢く、良い子たちでしょう」  すると、ひどく上機嫌な様子の教頭は続けて、にこにこと笑みを絶やさず俺たちの前の道を指し示した。引き止めてしまってすみませんと言いながら、教頭は、途中までご一緒しますと言わんばかりに前へと促してくる。  そんな教頭を前に俺は、軽く苦笑を漏らし、では、と促されるまま足を前に進めた。それに続く瑠璃さんは眉間に皺を寄せたまま、未だに言葉を発さない。そんな彼の態度に俺は内心ヒヤヒヤしていたものの、教頭はどうやら気に留めていない様子で話を続けていた。 「いやそれにしても、この学園の卒業生がこうして、一年に一度、在校生の指導をしてくれるというのは、何度経験しても嬉しくなってしまいますねぇ。校長先生ともよく話しているんですよ。素晴らしい生徒たちをもって、我々も幸運だとね。そうそう、この間も……」  そうしてつらつらと続けられる言葉の数々。それは、そのどれもが明らかに自慢としかとれない内容ばかり。どうにか相槌を打ってはみるものの、次第に俺は自分の顔が引き攣っていくのを感じた。なんなら瑠璃さんに至っては、最早教頭の顔すら見ていない。  正直こういったタイプの人間のあしらい方は不得手で、どうにも対処に困ってしまう。長引かせようものなら、隣でいつ瑠璃さんが爆発してしまうかも分からないし……。ああ、こんなことなら、言葉が巧みな鴇さんに対処法を教わっておけば良かったと本気で思う。  そんな折、丁度別れ道に差し掛かった。俺たちが今から向かう予定の棟は右の廊下を進んだ先にあり、教頭はといえば、左側の道の先にある教員室に用があるようで、彼とは此処で分かれる形となる。  ようやく解放される。少なからずそんなことを胸に秘めながら、俺は教頭へと会釈をした。 「それでは、私たちはこちらなので……」 「ああ、そうでした! いやはや、ご多忙な取締機関の方の貴重なお時間を割いてしまい、申し訳ありません」  返ってきた教頭の言葉に、いえそんなことは……そう返そうとした、その時だった。 「そういえば」  不意に落とされたその言葉は、どうしてかいやにはっきりと耳に届いてきた。 「貴方は……、なのでしょうか」  その言葉に、ピクリと眉が跳ね上がる。  何かを詮索するような、そんな無遠慮な視線が突き刺さる。その視線が秘める思惑には、嫌というほど心当たりがあった。今までにも何度か経験してきた、こちらを値踏みするその目。何度経験しても気持ちの良いものじゃない、その視線。  けれど、俺はその問いを聞くや顔色を一つも変えず、ただにこりと笑みを浮かべた。 「はい、龍の系譜ですよ」 「……右に同じく」  こちらの返答に、瑠璃さんもまた同様に返事をする。そういった彼の表情は、やっぱり未だ不機嫌そうな仏頂面のままだったけれど。それでも、どうやら平穏に事を終わらせようとしてくれるその姿勢に、安堵の息が漏れる。  もし仮に、これが燐であったら、こうはいかない。相手の胸ぐらに掴み掛かり、あ?と凄むや殴りかかろうとしただろう。そう思うと、やっぱり瑠璃さんに付いてきてもらって正解だった。  すると、そんな俺たちの返答を聞くや、教頭はそうですかと一つ言葉を落とした。その声音は、先ほどまでのものと比べるとひどく静かで、そして薄暗いものだった。  けれど、それも一瞬のことだった。すぐに教頭の纏っていた空気は、先ほどまでのそれに戻っていて、浮かべられる笑みすら先刻のものと寸分の違いもない。 「……なるほどなるほど。いや、失礼しました。今回任に当たった文月班は、ドラゴンの系譜の方が班長だとお聞きしましたので。それが、随分とお若く線の細い方が来られたものだから、不思議に思っていたのですよ」  いやまぁ、特に深い意味はないんですけれどね、とあからさまにわざとらしい言葉を連ねる教頭に、けれど俺は顔に笑みを浮かべたまま、そうでしたかと零した。 「ああ、それで。申し訳ありません、今回班長は別の任についており、副長である私に任せていただいたんです」 「ああいえ、謝らないでください! 私が早合点してしまっただけですので……。ああしまった、また引き止めてしまいましたね。それでは、私はこれで。……また、次の機会があれば是非、班長殿ともお話しさせてください」  そう言い残すと、教頭はようやく教員室へと姿を消していった。  その背を見つめながら、次いで『じゃあ行きましょうか』と瑠璃さんに声をかけ、俺たちはその場から離れた。  暫く無言で廊下を歩き、人気がなくなってきた頃。無意識に張り詰めていた緊張の糸を解くよう、はぁと息を吐き出す。 「ハァァ……疲れた」 「お疲れ様です」  俺の吐き出した言葉に、瑠璃さんがすかさず労いの言葉をかけてくれる。それに感謝の意を示せば、瑠璃さんもどこか煩わしそうに眼鏡を押し上げた。 「……今の時代、あれほどあからさまな態度も珍しいですね」  さしもの瑠璃さんでも、教頭のあの態度は腹に据えかねたのだろう。そう続けられたその言葉に、俺はそうですねぇと頷き返す。  ドラゴン派と龍派間の、確執がまだ根強かった頃は、それこそ先ほどの教頭のような視線を向けられることは少なくなかった。  自分の方こそが強者であると、崇高なものを崇拝しているのだと言わんばかりの目。今でこそ、取締機関が中立として目を光らせている為、行き過ぎた過激派も減ってはきているが、何もそれが全てなくなったわけではないのだ。心のうちに秘めて隠している各派の贔屓連中は、流石に取り締まることができない。 「ただ、おかげで納得しました」 「納得?」  途端首を傾げる瑠璃さんに、はい、と俺は返す。 「以前、弟が言ってたんです。前任の教頭先生が好きだったわけではないけれど、今と比べると断然前の方が良かったって。正直、普段はあまりそういったことを言うタイプじゃないから……珍しいと思ってたんです。でもまぁ、あれほどあからさまにドラゴン贔屓であれば、正直納得ですね」  以前空が零した言葉を思い出しながら、俺はそう続ける。  学校のことは疎か、他人のことは基本興味がないと言ってのける弟が、そう断言したものだから、ずっと気にはなっていたのだが。なるほど、こういう理由があったわけか。  すると、瞬間瑠璃さんはああ、と得心した様子で頷いた。 「成程。そういえば、御兄弟の方は此処の生徒でしたか」  瑠璃さんの零したその言葉に、俺はへらりと笑い首肯した。 「はい、ここの四回生です。兄としての贔屓目で見ても、とても良い子で、俺なんかよりも敏い自慢の弟なんですよ」  八つ年下の、ただ一人の家族。両親を亡くした時、まだ幼かった空を、俺は兄ではあったものの最早親同然に育て見守ってきた。  賢く、運動神経も良い、成績優良者。手が掛からない常識人で、学校からの評価も悪くない。……ただ――――。 「そのせいか、肝心なことはいつも全く話そうとしなくて。おかげで、余計に心配なんです。弟は……空は少し、系譜持ちの中でも特殊だから」  少し含みを持たせたその言葉に、瑠璃さんはまた、納得した様子で静かに眼鏡を掛け直した。 「……御兄弟には、未だ開花は見られない、と……そういうことですか」 「あ、やっぱり知ってましたか。さすが瑠璃さん」  瑠璃さんの言葉に対し、俺はなんだ、と笑う。それに対し、瑠璃さんもこれくらいは知っています、と、淡々と返してきた。 「もう何年同班だと思ってるんですか。文月班班員として、副長の事情を知らないというのも可笑しな話でしょう。……通常であれば、系譜持ちとして能力が開花するのは、早くて六歳……遅くても十二、三歳ほど。確かに、御兄弟は開花がかなり遅いですね」  空は、今年で十六歳になる。だというのに、本来はあるはずの竜の能力というものが、空には備わっていなかった。系譜持ち特有の紋様はあるというのに、だ。  その理由は不明。一応、医者や学者など、系譜持ちに詳しい人物に何度か当たってみたりはしたものの、その原因は終ぞ判明しなかった。幸か不幸か、能力がない以外体に不調はまったくなく、その上空本人があまり気にするようなこともなかった為、現在まで何事もなく日々を過ごしてはいるが。……今後も、そうとは限らない。  もし今後、体に不調が出たら? 本当に命に別状はないのか?  何もかもが分からない状態でそのまま放って置けるほど、俺も能天気ではいられなかった。何せ、残されたたった一人の家族だから。早くに他界した両親の分まで、兄である自分が、守らなければ。 「こういう時は流石に、両親がいたらなぁって思ってしまうんです。俺自身はすぐに能力が出てきた口だから、そのことに関して言えば、全然空の気持ちに寄り添ってやれなくて。……不甲斐ないです」  そう零しながら、俺は静かにぐっ、と掌を握りしめた。 「…………」  俺がそう話した後、隣が途端無言になったものだから、ハッとする。そりゃあそうだ。突然こんな暗い身の上話を聞かされて、さしもの瑠璃さんといえど困らないわけがない。 「あ、……」  ああしまった、失敗した。なんて思ってももう遅いだろう。それでもどうにか繕おうと、咄嗟にへらりと笑みを浮かべ、隣を見上げる。 「あー、あはは。すみません、突然こんな……瑠璃さんは気に――――」  気にしないで下さい。そう続けるつもりだった言葉は、けれど、不意に隣から頭上へと伸ばされた手の平によって、制されてしまった。 「へっ、わ、わわっ⁉︎」  そうやって、突然ぐしゃり、とひどく不器用な手付きで撫ぜられたものだから、言葉が詰まる。  それでも変わらず瑠璃さんは言葉を発さず、なんならため息を吐くものだから、俺は何が何やら分からなくて。 「る、瑠璃さんっ……? な、何、なんで……っ?」  訳が分からずあたふたしていると、次第に俺の髪をかき混ぜていた大きな掌は離れていった。そのまま、呆然と瑠璃さんを見上げていると、頭上から深く長いため息が落とされた。 「……まったく。貴方といい、アレといい……何故貴方達は、こういうところばかり似ているのか」  そうして、ため息交じりに零されたのは、そんな言葉だった。 「え?」  そんな瑠璃さんの言葉に思わず目を瞬かせていると、いえ、と瑠璃さんは小さく零した。 「いえ、なんでも。……先を急ぎましょう」 「へ、? あっ、は、はい……!」  そうして呆けていたら、瑠璃さんがまた眉間に皺をこれでもかと刻んだ顔で、歩を速めたものだから。俺はすぐに気を取り直し、その背を追った。  アレ、って……誰のことを指しているんですか、なんて。ひどく苦々しい顔で呟いた瑠璃さんを前にして、そんなことは流石に聞けなかった。

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