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二章 ドラゴンと龍、その派閥 ①
『ドラゴンと龍、その派閥 一話』
ゴォン、ゴォンと耳に届いたのは、この広い校舎内全域に響き渡るであろう、大きな鐘の音。昔と変わらないその音色に耳を傾けながら、俺はよしと小さく手を叩いた。
「そこまで! それじゃあ一旦休憩にしますので、十分後再開します」
そう俺が声を掛けると、一斉に室内に生徒たちの気怠げな返事がこだました。そのすぐ後には、部屋のあちこちから談笑の声がちらほらし始め、ふぅと一つ息を吐く。
「瑠璃さん」
一息ついた後、俺はすぐに隣に佇む瑠璃さんへにこりと微笑む。
「授業といえど、流石に一時間ぶっ通しで動き続けて、疲れてないですか? 俺、飲み物とか買ってきましょうか」
なにせ、瑠璃さんは自分以上に、彼らの指導の為、水龍の力はもちろん体術を行使していた。相手は学生とはいえ、三十人前後と組み手を続けていればそれなりに疲労はするだろう。――――そう思っての提案だったのだが……。
「いえ、結構です」
俺の問いに対し、瑠璃さんは淡々と『この程度は動いた内に入りませんので』と告げた。そう間髪入れずに当人からすげなく断られてしまえば、俺ももう何も言えず、ただ『そ、そうですか……』としか返せない。
確かに、瑠璃さんは見るからに汗一つかいていない。だから、これは謙遜や遠慮というわけでもなく、本心からの言葉だということは分かる。……だとしても。瑠璃さんの場合、これが、何だか他人を拒絶しているように感じてしまうものだから、余計に心に突き刺さる。
悪い人ではない。けれど、必要以上に他人を寄せ付けようとしない瑠璃さんと、俺はいつになったら打ち解けられるのだろうか……。そう思いながら俺は肩を落としはしたものの、すぐに気を取り直し、『じゃあ、時間まで座って待ちましょうか』と言ってすぐ傍にあった椅子へと腰掛けた。すると、瑠璃さんもその言葉にはそうですねと頷き、俺の隣へと静かに腰掛けた。
それから瑠璃さんは、かちゃり、と眼鏡を掛け直すと、ふぅと一つ息を吐き出し、それにしてもと続けた。
「今年の学生は、例年と比べてあまり骨がありませんね。これでは先の未来が不安でしかない」
そして、続けて彼がそんな辛口な評価を口にしたものだから、流石に乾いた笑いが溢れ出た。
「あ、あー……ははは。流石瑠璃さん、手厳しいご意見です……」
その瞬間、ああ、この会話を教師陣が聞いていなくて良かった、と一人俺は心の中で思った。
「ま、まぁまぁ。それも踏まえた上で、今日みたいに俺ら取締機関が直々に指導する日があるんですし。一緒に頑張りましょう、瑠璃さん!」
「……はぁ、そうですね。……しかし、今のままだと到底、俺の服にすら触れることも出来ない気がしますがね」
それでもどうにか瑠璃さんの気を取り直そうと声を掛けてはみたものの、それでもなお飛んでくるのは辛口な評価で。おかげで俺の口からは、乾いた笑いしか出なかった。
ここは、中央区に建立された学校の内の一校。ドラゴン・龍両派の系譜持ちの子供たちが共に通う事を許された、共学校だ。国内に数えるほどしかない両派の共学校、そこへ、俺たちは仕事のために訪れていた。
竜族取締機関に属する実働班の仕事には、大きく分けて三つの職務がある。それは、日々の見回りや先日のような過激派の取り押さえといった実働的なものに、部署内で行う調査といった事務的な仕事。そして今日のような、現在在学中の、まだ幼い竜の系譜持ちである子供たちを指導する、という仕事の三つだ。
ドラゴンと龍、両派の系譜を持った子供たちが通う学校。それらは当然、両派の人間が多く交わる為、必然的に竜族取締機関の管轄となっている。
とはいっても、基本的には通常の学校と何ら変わりはなく、系譜持ち以外の生徒も少なからず同学校には通っている。なので他所の学校と決定的に違う点というのは、在学中、系譜持ちの学生は取締機関の職員から実施訓練などの授業を受けられる、という所だろう。
なんなら通常通りに学校を卒業するだけでも、両派共学の学校に関しては、普通の学校よりも取締機関に就職しやすくなる上、実施訓練などで成績が優秀だったりすると、現職員からの推薦も得やすいという利点もある。おかげで、両派共学の学校はそもそも国内に数が少ないにも関わらず、常に競争率は高い。
ただし。そうすると、だ。同時に両派共学の学校は、過激派の連中からも狙われやすくなる。その為、共学校は定期的に見回りをする必要があった。
つまるところ取締機関としては、表向きでは今回のように実施訓練と称しながら、その間学校内に危険因子が潜んでいないか監査する、という、とても重要で欠かせない任も背負っているのだ。
「ところで副長、一つお聞きしても?」
「はい?」
今し方まで無言だった瑠璃さんから不意に質問をされ、俺は少し驚き目を丸くする。瑠璃さんから話しかけられるなんて珍しい。いつもはこちらから振らないと話してくれないのに……そう思いながら『何でしょうか』と促すと、瑠璃さんはまた、静かに眼鏡を掛け直した後、至極冷静に言葉を紡いだ。
「何故、今回の任務、班長ではなく俺を選んだんです?」
「ぅえっ」
そうして零された瑠璃さんの問いに、俺は思わず素っ頓狂な声を口から漏らしてしまった。
そんな俺の様子に、瑠璃さんが違和感を抱かないはずもなく。一拍の間を開けた後、眉間に皺を寄せた険しい顔をして俺を見た。
「……副長、貴方また――――」
「っ、あー! えっ、とですね!」
何やらお小言を言われそうな気配を察知して、俺は咄嗟に声を上げる。
「その……ほら! 今日は体術よりも、能力とか、術関係の指導をメインにって言われてたのでっ! 燐はほら、あれですよ。瑠璃さんもご存知の通り、体術と剣術が得意なだけで、術はあまり、ですし……っ」
だからその、術式が得意な瑠璃さんを呼ばせていただいたというか……なんて、あからさまに取り繕った俺を前に、瑠璃さんもすぐに何かを察したのだろう。無言で煩わしそうに顔を歪ませた後、はぁ、と一つ深い息を吐き出した。
「……まぁ、深くは聞きませんが。仕事に差し支えるような喧嘩は止めていただくようお願いします」
「やっ、いやその、喧嘩というわけでは……っ!」
しどろもどろながらもそうやって言葉を連ねていると、隣から不意にそんな言葉が返ってきたものだから、咄嗟に否定する。
そんな俺の言葉に、瑠璃さんはすぅ、と目を細める。静かで凛とした濃藍の双眸が俺を貫き、思わずぅぐ、と言葉が詰まる。
「喧嘩ではない、と」
信用できない。そんな意味合いの籠った瑠璃さんの視線に、上手く言葉が出ない。
「そ、うです……。喧嘩では……ないです」
すみません、と、それでも何とか零した俺の言葉に、瑠璃さんは最早何度目かも分からないため息を落とした。
「……謝罪は結構です。別に今回の人事に不満がある訳でもありませんから。実際、先程副長も仰った通り、今日の任は班長よりも俺が適任でしょう」
そうして返ってきた瑠璃さんのその言葉に、思わずほっとする。けれどその直後、ですが、と続けられた言葉に、俺はまた気を引き締めた。
「……」
けれど、どういうわけか瑠璃さんは以降無言で俺を見つめてくるばかりで。咄嗟に身構えた俺としては、その意図が読めずに首を傾げてしまう。
「え、と……瑠璃さん?」
どうしましたか、堪えきれずに問い掛ければ、瑠璃さんはいえ、と何かを振り払うように首を振って、すみませんと視線を俺から外してしまった。
「……班長はさておき、貴方はすぐ考え過ぎる嫌いがありますから。早めに折り合いを付けた方が良いと思いますよ」
俺個人の意見ですがね、と、沈黙の後そうして続けられた言の葉は、酷く淡々としていて、お世辞にも感情が込められたもののようには思えなかった。――――けれど。瑠璃さんとは、これでももう何年も短くはない時間を共に過ごしてきた仲間だから。その言葉が、彼なりの最大級の気遣いであることは、すぐに分かった。
「瑠璃さん……」
途端じーんと温かくなる胸の内に、思わず瑠璃さんの名を零す。すると瑠璃さんは、あからさまなほどわざとらしい咳払いを落とした後、もうすぐ授業開始だからとそそくさと席を立った。
バツが悪くなるとすぐにこれだ。しっかり者の大人な瑠璃さんも、この時ばかりは何とも可愛らしくて笑ってしまう。
やっぱり、なんだかんだで優しい人だなぁと思う。顔は仏頂面が常だし、言動は厳しいことが殆どだから、誤解されやすいけれど……きっと誰よりも優しくて、思いやりのある人。本人は頑なにそれを認めようとはしないけれど、それに気付いている人は俺以外にもいっぱいいるだろう。
いい加減認めたらいいのに……そんな事を思っていたその時、まるで見計らったかのように授業開始を知らせる鐘の音が校内に響き、結果瑠璃さんはまるで逃げるように俺から離れていった。
その背を追いかけるよう、俺も席を立ち、教卓の前に立つ。視界に映るのは、大人数とまではいかないまでも、自分が学生の頃に比べると増えた学生数。
今ここにいる生徒たちは、確かに瑠璃さんが言った通り、皆飛び抜けて術が秀でているわけでも、体術が優れているわけでもない。でも、それはきっと、昔と比べるとこの国が平和に近づいている証拠だと俺は思うから。だから俺は、それが、必ずしも悪い事だとは思えない。
そんな彼らを前に、俺は改めてよし、と気を引き締める。
「……それじゃあ、今度はさっきの体術も組み込んだ上で、自分の能力に応じた術を繰り出してもらいます」
少しずつ平和になっていくこの国で、少しでも皆が過ごしやすくなるように。そんなことを思いながら、俺は教鞭を取る。自分の抱えるちっぽけな悩みなんて、今はどうでもいいと押しやって。
西域の森へ過激派の連中を捕らえに行った日から、今日で一週間。あの日から俺は、『このままだと駄目になる』。そう思い直し、燐への態度を少し改めることにした。恐らく、当の本人である燐ですら気付きにくいだろう範囲で。
けれども確かに俺は、意図的に、燐から少しずつ距離を置く準備を始めたのだ。とはいっても、普通に過ごしている分にはきっと、誰も気付きはしないだろう、それぐらいの微々たる差異だが。
つつがなく再開することとなった授業に身を投じながら、俺は小さく息を吐く。
あの日、空が零したあの言葉は、ずっと俺の胸の奥深くでぐるぐると蟠った。
『――――そんなこと言って兄さん、結局燐さんから離れようとしないくせに』
聞くからに呆れを滲ませたその言葉は、俺をいとも簡単に動揺させた。今更何をと、そう言わんばかりのその言葉に、俺は途端自覚させられたのだ。
――――そう弟に思わせる程に、俺は燐の隣にずっと居座っていたのか?
思えば、燐が俺の名前を、さも傍にいて当然とばかりに呼ぶから。忘れていたのだ。今、俺は燐に、友人として適切な距離感で接せれているのかと。
俺は燐が好きだ。けれど、俺は別に、燐に俺と同じ想いを返して欲しいとは思っていない。そんな不確定な関係より、親しい友人として傍に居続けられたらそれで良かった。特別でなければ、もし仮に失くなった時、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚を覚えることもないだろうから。
だが、それがどうだ?ここ最近の俺は、燐の一挙手一投足に心を掻き乱され、友人としての距離感を見誤ってはいないか?
そう気付いてしまえば、燐と普段通りに接することができなくなった。何が友人として正解で、不正解か分からなくなった。
今回に限って言えば燐は何も悪くない。ただ自分自身の気持ちの問題だ。だから、自分の中で折り合いが付くまで少し距離をとりたくて、燐を避けた。
ああ、本当、自分の臆病さが嫌になる。
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