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一章 竜族取締機関―文月班―⑦

『任務/帰還』  紙が擦れる音と、ペンの走る音のみが耳に届く室内に、ピピピ、と電子音が鳴り響く。発信源は、自身の右ポケットの中から。確認するまでもなく、通信端末の着信音だ。  時間帯からして、きっと副長からの任務完了報告だろうと辺りをつけ、端末を取り出せば、目についた表示名にほんの少し目を丸くする。これは珍しい、そう思いながらも、すぐに耳に取り付け応答する。 「こちら瑠璃。どうされましたか、班長」  俺の言葉に、視界の端で桃色の目が丸くなったのが分かる。この男もまた、俺と同様のことを思ったのだろう。それだけ、我が班の班長は報告を疎かにする悪癖があるのだから。  副長は真面目な気質であるので、だからこそ、共に任務に立ったのなら副長から連絡が来るだろうと思っていたのだが……。まさか、連絡できない状態なのだろうか。そんな思いで応答するも、返ってきた声音は、これまた予想とは反したものだった。 『ん、あー……こっちは無事終わった。んで、今帰ってる所なんだけど、そっちの首尾はどんな感じかと思いまして』 「そうですか。お疲れ様です」  班長の様子からして、副長に何かがあったとは思えない。本当にただの任務終了報告だけか……珍しいこともあるものだな、なんてことを思いながら、俺は労いの言葉を口にする。 「こちらの業務も、特に滞りなく。二時間ほど前から銀も作業に加わりましたので、後一、二時間程で終わるかと」 『そうか、それなら良かった。……結局、全部任せてしまいましたね……すみません。助かりました』  そうして返ってきた、ありがとうございますといった素直で真っ直ぐな言葉に、思わずふ、と頬が緩む。まったく、この男は昔から本当に変わらないなと、懐かしい記憶が頭に過ぎる。本当、いつまで経っても素直な子供のままだ。 「……礼を言う必要はありません。貴方は別の任務に立ったのですから、それ以外の業務をこなすのは、部下として当然のことです」  そう、まるで幼子を嗜めるかのように口ずさむ。その時、不意に手前から生暖かい視線を感じハッとする。 「んっんん! ……そういう訳ですから、此方のことは気にせずお戻りください」  咄嗟に誤魔化すよう咳払いを落としたものの、視線の温さは変わらずあり、気恥ずかしさに彼の人物を睨みつける。けれども彼は、それでもニコニコと笑みを浮かべたままで、流石に俺もバツが悪くなって目を逸らす。 『はい、分かりました。……まぁ、そもそもそうだろうなぁと思って動いた後なんですけどね』 「…………は?」  そんな中、端末から聞こえてきた声に気を取り直していると。返ってきた少し不穏な答えに、ピクリと眉が跳ねる。  そういえば、ずっと気になっていたことがある。本来、報告を怠りがちな班長が、こうして連絡をしてきたということは……。 「……班長、ずっと気になっていたのですが、副長は今、どちらに?」 『ん? 千草なら俺の隣にいるぞ?』  班長の答えに、そうですか、と胸を撫で下ろす。すぐ側に彼がいるのならやはり杞憂だったかと、そう思いかけたところで、班長は続けた。 『まぁ、とは言っても千草は今、寝てるんだけどな』 「……寝ている?」  その言葉に、また目を丸くする。仕事には真面目一辺倒な副長が、仕事中に寝るなんて。これまた珍しい事だと、思わず口を開く。 「それは……もしや、副長もお疲れだったのでしょうか。……ご無理をさせてしまいました」  双子同様に、副長も疲れが溜まっていたとは。気付かなかったにしても、そんな上官に外の任務へ向かわせてしまった。そう思い咄嗟に謝罪を口にすれば、端末からすぐに『いやいや』と声が届いた。 『いや多分これ、本人も気付いてないヤツだったから、俺以外には気付くの難しいですよ。だから瑠璃さんが気にする事ないです』 「……そうですか」  その言葉に、俺は静かにかちゃり、と眼鏡を押し上げた。  俺以外には、か……そういう事を恥ずかしげもなく断言するものだから、聞いている此方の方が気恥ずかしくなる。  そんなことを考えながら、しかし副長も厄介な男に惚れられたものだと思っていると、班長は話を続けた。その言葉に、俺は思わず思考を停止させる。 『ま、だから、手っ取り早く疲れさせようと体力削らせて、馬車に押し込んだらやっと寝た。そういう訳で、今日千草は直帰させますね。報告書は後で俺が仕上げに戻るんで』 「…………は? 馬車?」  その時、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がして、思わず復唱する。すると、あからさまに班長が『あ、やべ』と声を漏らした。その言葉に、ぐ、と眉間に皺が寄る。 「……班長、馬車の使用許可が降りるのは、何らかの理由で列車を使用できない時、又は列車の通っていない辺境の地のみ。今回の西域の森は、そのどちらにも当てはまらないと分かって――――、」 『あーあー! なんか通信の調子が悪いなぁ! これじゃあ詳しい話はできないなぁ、そんじゃまた後で!』  小言をつらつらと続けようとしたその瞬間。班長は、ひどくわざとらしいそんな言葉を叫んだ後、此方の言葉も聞かず通信を切った。  途端、無音となった通信に、はぁ、とため息を落とす。まったく、交通の経費も馬鹿にならないんだが……そんな事を思っていると、すぐ手前からくすくすと笑い声が聞こえ、目線を上げた。 「……何が可笑しいんですか」 「ん? んー、いやね。君たちは仲が良いなぁと思って」  くすり、と、ひどく柔らかい微笑みを前に、俺は益々眉間に皺を寄せる。  ――――ああ、嫌いだ。この男の、この顔は。 「……別に、普通です」  じくりと、胸の底に沸いた感情に、咄嗟に蓋をして。なんてことはないと偽りながらそう答える。 「えー、そうかなぁ。……まぁいっか、君がそう言うのなら、そういうことにしておこう」  俺の返答に、男はふわふわと笑って、最後にはそう言って締め括る。俺の心情に気付いた上で、この男はそれが最適だと、そう判断したのだろう。  ――――そういうところも、嫌いだ。物分かりが良い顔をして、笑顔の内に全てを包み隠す。……その顔を、ひどく無茶苦茶にしてしまいたくなる。  蓋をしても尚、己の内に絶えず沸く感情。それを、俺は何とか抑え込み、またも大きく息を吐き出す。 「……班長が戻るのは、早くて二時間後です。キリが良いようなら、今のうちに昼休憩としましょう」  頭を切り替え、そう提言すれば、男――鴇はにこりと笑って『そうだね』と首肯した。 ***  森の入り口付近の男女三人と、先に捕らえていた中腹の小屋にいた四人、計七人の過激派を捕らえた俺たちは、流石にこの人数を機関まで連れて行くことはできない為、すぐに回収課へと連絡を取った。  回収課とは、竜族取締機関管轄の更生施設所属の職員を指す。  そもそも、当主が定めた法に背く意思のある人間は、竜族取締機関の班員が捕らえはするものの、最終的には更生施設に収容される。その為、機関で過激派の人間を捕らえた際には、真っ先に施設の回収課の職員に回収してもらう必要があるのだ。人数が一人、二人なら直接連れて行くことも出来るが、人数が多いとなるとそれも難しい。  その為、千草がすぐに窓口に電話を繋げば、幸運なことにすぐ近くに職員が数人滞在しているらしく、おかげで十分と掛からず回収課は駆けつけてくれた。  そのまま手早く収容の手続きを済ませ、連中を彼らに引き渡した後。それじゃあ帰るかと、千草から声をかけられた時、俺は待ってましたとばかりに口を開いた。 「それじゃあ千草、馬車に乗るぞ」 「……は?」  一定の間隔で揺れる馬車に乗り込み、中央区を目指して早十分。  ちら、と隣を見遣り、映り込んだその姿を捉え、俺は思わずふ、と頬を緩ませる。 「……、ん…………」  聞こえるのは、微かな吐息。そこに混じる声は、先と比べてもほんの小さな囁きだ。  あれほど何故馬車に乗るんだ、経費で落ちないんだぞだの何だのと暴れ散らしていた我が副長殿は、今や、なんともあどけない寝顔を晒している。  そのひどく無防備な横顔へ手を伸ばし、そっと指の背で優しく頬を撫ぜる。 「……、んぅ……ぅ……」  触れると、千草は少し身動いだもの、特に起きるでもなく、またすぐに緩やかな寝息を立てた。  その姿に、またふ、と笑みが零れる。 「……なんだってお前は、素直に甘えてはくれないんだろうな」  馬車の中で一人、ぽつりと零す。その声音は、自分でも分かりやすいほどに、ひどく優しく、甘いそれだった。  どんな相手にも分け隔てなく笑顔で、誠実で。そのくせ、こと自分のこととなると途端に鈍く、それでいて臆病な男。そんなこの男が、たまらなく愛おしくて仕方がない。 「……お前は、気付いたら一人で気を張ってるから。俺の側でくらいは休ませたいんだけどなぁ。……こうでもしないと、お前は休まないから」  だから悪いなと、また一人、零す。  きっと、こんな事をした訳を知られたら、千草は怒るだろう。そして、余計に自分の内に隠すようになる。自分でも気付かないような、そんな深い奥底へ。隠すことばかり上手くなっていくのだから、本当参ったものだ。  ……でも。 「お前のことで俺が気付かないなんてこと、たとえ天と地がひっくり返ったってありえないけどな」  だからいい加減素直になったらいいのにと、俺は独言ちた。  そもそも俺は、今朝出会った時から、千草が本調子でないことには気付いていた。加えて、その事実を、本人自身が気付いていないということも。  千草は、自分よりも他人を優先する男だ。その為、こういうことは今までにも何度もあった。その度に俺は、多少強引になったとしても、俺の手でこの男をどうにか休ませてきたのだ。  今回にしたってそうだ。能力を複数使わせたのは適度に疲労をしてもらう為であったし、帰りの馬車についてもまた然り。  全ては、こうすれば千草が寝入りやすいだろうと思っての所業である。 「……おやすみ、千草」  良い夢を。そう呟きながら、俺はもう一度、柔く千草の頬を撫ぜた。 *** 「――――……兄さん。正直今の話を聞く限りだと、俺には燐さんが酷い奴っていうには、とてもじゃないけど思えないんだけど」  机を挟んだ向かい側、食事の箸を止めて呆れた様子でそう零す弟を前に、渾々と今日の出来事を語っていた俺は、返ってきた答えを聞くや途端、カッと目を見開いた。 「確かに、彼奴は酷いと表現するには若干違うかもしれない。だけどな空! 彼奴は酷い奴じゃなかろうとも、ずるい奴なんだよ! それだけは共感してくれ!」   力説するよう、語尾を強めてそう返す。が、向けられる視線は先程から変わらない。 「……ずるい、なぁ。そう思うのも多分、兄さんだけだと思うけど」  またしても弟から返ってきた否定的な言葉に、俺はがくりと肩を落とす。 「なんっで! 誰も分からないんだ……っ」  そう頭を抱えていれば、前方から小さくため息が落とされたのを耳にした。  今朝交わした約束の通り、卓上に並ぶのは、自分特製の甘辛く味付けした鳥の手羽先焼き。蜂蜜のコクのある甘さがマスタードの酸味と合わさり、食べれば食べるほどもっとご飯が欲しくなるという我ながら至極の逸品である。  兄である自分より体格に恵まれた空は、育ち盛りだから普段からもよくご飯は食べるのだが。この料理が並ぶ時には、普段より二杯もご飯をおかわりしてくる程に、弟はこの手羽先焼きが好きなのだ。  おかげで食べ始めた頃から、空は此方の話を殆ど話半分で聞いている感じがする。  己の手料理を美味しいと思ってくれることは嬉しいものの、相談に乗って欲しい手前今はちょっと複雑な気分である。 「……そんなこと言って、兄さん、結局燐さんから離れようとしないくせに」  すると、不意にそんな言葉が耳に届いたものだから、どきりと心臓が強く跳ね上がった。  がばりと勢いよく身体を起こせば、いつの間にか箸を置いて、己を真っ直ぐに見据える空の姿が目に映った。  じっと見つめる淡い水色の瞳はひどく澄んでいて、どこまでも見透かされているような心地にさせられた。おかげで、上手く言葉が出てこない。 「あ、いや、……それは、その……」 「……まぁ、俺には関係ないことだし、どうでもいいけど」  どうにか言葉を紡ごうと口を開いていると、空の方から視線を逸らされ、続けて弟は静かに席を立った。 「ごちそうさま」 「あ、う、うん。お粗末さま……」  綺麗に平らげた皿を片手に、空は律儀にそう俺へと声を掛け、台所へと足を向ける。  その背を見つめながら、俺は無意識に張り詰めていた息を小さく吐き出した。 「……離れる、か」  不意に、口から零れてしまった言葉。その声音は、自分でも分かるほどに、それが本意ではないといった感情が滲み出ていて、咄嗟に手で口を塞いだ。そのまま、恐る恐る空の方へと視線をずらし、弟の様子を伺ってみる。  聞こえてしまっただろうか……。  そう思いながらしばらく見つめていたものの、空が自分の方に振り向く様子はない。どうやら、シンクに置かれた食器の音に紛れて、空には届かなかったようだ。  カチャカチャと食器を洗ってくれるその背を見つめながら、俺はまた、ほっと安堵の息を漏らした。  けれどその時、俺は、空が今どんな顔をして食器を洗っているのかまでには気付いてなかった。 「……不器用な二人」  空から零された声もまた、食器の音に混ざって俺に届くことはなかった。

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