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第15話 進藤の兄

マンションに帰ると、玄関に進藤がいた。 「あれ? どうしてここに?」 「あ、夜分にすみません。昨日来たときに財布を忘れたみたいで。近くまで来たので、ちょっと寄ってみたんです」 「財布ですか、こちらも気付かなくてすみません。今、鍵を開けますね。」 ちょっと寄ったとは言っているが、なんだか寒そうにしている。 多少は待っていたのかもしれない。 「時間あるなら、上がっていきませんか?お茶くらいだしますよ。」 「あ……じゃあ、お言葉に甘えて……」 ♢♢♢ 部屋に入り、長谷川からの手土産のお菓子を出す。 「あ、コレ! この間テレビでやってましたよ! 今は人気で、なかなか手に入らないって言ってました」 「そうなんですね。俺はそっちの話は疎くて。昔お世話になった先輩からのお土産なんです。そんなに貴重なお菓子なら、もらう時もっとありがたがれば良かったなぁ」 冷蔵庫の中を見て、何を飲もうか考えながら言った。 「……今日の望月さんは、なんかご機嫌ですね」 「そう……かもしれませんね。今日会ったのは、例の、俺が若手の時に指導してくれた先輩で。酒が強いんで、付き合ってたら大分飲みました」 思わず笑顔がこぼれた。 「望月さんがそんな笑顔になるくらい、楽しかったんですね」 「すいません、普段、無愛想で」 「あ、そんなつもりでは……! 望月さんは、いつもキリッとしてるイメージなんで……」 「一応、評価する側なんで、変に勘繰られないようにしてるつもりなんです。まあ、元々、愛想はうまくないですけど。何飲みます?コーヒー、紅茶、緑茶があります。俺は酒飲んでもいいですか?進藤さんも飲みたかったら、お酒出しますけど」 「じゃあ、お酒でもいいですか?」 進藤は声を弾ませて言った。 ♢♢♢ 若手とサシ飲みなんて、久しぶりだった。 少し明かりを落として、ジャズをかける。 お酒はホットワインにした。 進藤は長谷川に興味を持って、色々聞いてきた。 進藤の聴き上手も相まって、望月も久々に饒舌だった。 若かりし長谷川との思い出は自分の誇りだった。 もしかしたら「自慢の兄」と感じる気持ちは、これと似ているかもしれない。 「どうしたら、長谷川さんや望月さんみたいにかっこいい男になれますかね?」 進藤は目を輝かせながら言った。 「長谷川さんはともかく、俺はかっこよくないですよ。長谷川さんが転勤になって、他のメンバーがいなくなってから、俺は孤独になりました。ずっと自分の成績が支店で一位だったんで、天狗になってたんです。元の性格の悪さが出てきたんですよ」 望月はその頃から、会社の上司とも関係を持つようになった。 同僚と打ち解けられず、腹を割って話せるのがむしろ上司だけだったのだ。 「なんで、逆に今はセールスじゃなくて、こういう仕事をされてるんですか?」 「……やっぱり、長谷川さんとの仕事が楽しかったからですかね。再現したいわけじゃないけど、もっとチームが良くなれば、できることがあるんじゃないかって、思ってたのかもしれません」 「望月さんて、人が好きなんですね」 進藤が微笑んで言った。 望月は、進藤の言葉に驚いて、目を見開いた。 母を嫌悪し、父を諦めて、兄を捨てた。 仕事では左遷させた奴もいるし、リストラ候補リストも作った。 上司とも寝るし、立場を利用して部下に関係を迫ったこともある。 むしろ、自分は最悪な部類の人間だ。 「そんなこと…初めて言われました。何を考えているかわからないと言われてばかりなんで」 「僕も望月さんのこと、わかりませんけど、優しい人なんだな、とは思ってます」 「優しい人、とも言われたことはないです」 無意識に計算している自分が嫌いだった。 親身にしてるようで、どこか損得を勘定している。 進藤のことだって、善意だけで構っているわけじゃない。 全て、仕事の一環だ。 いつの間にこんな人間になったのだろう。 そこが長谷川と違うのだ。 長谷川は一人の人間として勝負している。 営業でも、育成でも。 自分は、常に数字とスキルで自分を守っている。 もちろん、他の営業職員もそれはわかっていて、俺の数字とスキルの恩恵を受けている。 普段何となく感じていた違和感が改めてわかって、小さなため息が出た。 「僕は、望月さんや兄がすごいなと思うんです。普通、こんなに誰かのために時間を割いたり、面倒を見たり、しないですよね。僕は小学生の頃、兄が付きっきりで面倒を見てくれました。幼かったからしょうがなかったとは言え、兄の時間を奪ってました……。そういうことができる人、って、何が違うんですかね」 兄という言葉が出て、進藤は昔を懐かしんでいるのだろうか。 遠くを見るような目つきをした。 確かに言われてみれば、こんなに人材育成に熱心にならなくてもやっていけるのだ。 なんで俺はわざわざ人に踏み込む仕事をするのだろう。 「進藤さんのお兄さん……俺と似てるようですけど、どんな人なんですか?」 「……兄は……」 進藤はホットワインで両手を温めながら話し始めた。 「僕が小4の頃から一緒に住み始めました。その時兄は中2で。名門校のエスカレーターですから、受験勉強は無いのですが、毎日きちんと机に向かうような人でした。母は小さな飲食店をやっていて忙しく、義父さんも帰りが遅くて。子ども部屋は兄と一緒で、僕は家に帰ると、兄と一緒に家事を済ませて、勉強をすることになってました。兄は、僕の面倒を見るために、友達と遊ぶのも断っていたみたいです」 多忙な夫婦であれば、上の子が下の子を面倒見てくれるのは助かるだろう。 だが、兄の自由がそこまで制限されるのは、やりすぎな気もする。 「兄は、いつでも優しかったです。僕も兄が大好きでした。僕は、父親が早くに亡くなったので、父との思い出がないんです。母も優しい人だけど、忙しくて疲れていたから、自分から母に甘えるのは気がひけました。だから、兄がずっとそばにいてくれたことが、すごく嬉しかったんです。僕は……勉強そのものは好きじゃなくて、自分で勉強することができませんでした。だから、兄は僕がやる気になるように色々工夫してくれました。そうやって、ずっと僕のことを考えてくれることが嬉しかったです。母よりも僕のことに詳しくて、親身になってくれました」 もう保護者同然だ。 中学生なんて、自分も子どもだろうに。 「でも、兄は大学生になって家を出てから、何かに理由をつけて会ってくれなくなりました。家族みんなならいいんですが、僕のことは避けてたと思います。僕は兄が好きだったけど、兄は僕が邪魔だったかもしれません」 義務感で面倒を見ていたのだろうか? だとしても、簡単にやれることではない。 いくら両親が忙しいとはいえ、限度があるだろう。 兄はなぜそんなに進藤の面倒をみていたのか。 「俺は、仕事の時だけですけど、お兄さんは毎日のことじゃないですか。辛かったら、ご両親に相談できたと思うんですよ。なんでそんなにお兄さんはがんばっていたんですかね?」 進藤はグラスを見つめ、さもそのグラスが大事かのように指で撫でながら口を開いた。 「……僕が小5に上がった頃、兄のスマホを借りたときに、いわゆるショタコンの漫画を見つけたんです。兄は頭が良くて、僕に対してすら紳士的な人でした。そんな人がそういう願望を持っていることにショックを受けました。それに、その願望の相手は自分なんじゃないかと思うようになりました」 進藤は、ホットワインを一口飲んだ。 「それから間もなく、兄とキスをしました。『キスをするのがバレたら両親が悲しむからバレないようにしよう』と言われて、僕と兄には大きな秘密ができました。でも、僕はそれで兄が僕のそばから離れないなら、それでいいと思っていました」 進藤は淡々と話しつつも、時折思い出してか、表情をうっとりとさせる場面があった。 兄が大学生になって離れていくなら、進藤が中2くらいまではそんな生活をしていたことになる。 「徐々に、セックスもするようになりました。暴力的なことはされてないし、両親にもバレてません。僕も兄が好きだから、”何も問題ない”んです」 両者の同意があれば、”問題ない”んだろうか。 進藤の”好き”とは何なんだろう。 一人では生きていけない子どもが、必死に何かにすがった結果の倒錯じゃないだろうか。 「望月さんに勉強を教えてもらって、兄と過ごした楽しかった日々を思い出したんです。もしかしたら下心のためだったかもしれないけど……兄が僕を育ててくれたことは事実です。感謝もしてるし、兄を悪い人だとは思わないし、思いたくない」 進藤の、幼い印象はここから来ている。 進藤はずっと当時のままの進藤なのだ。 今も、兄との世界に生きている。 「……どうして、その話を俺にしようと思ったんですか?」 「……そうですね、望月さんなら、わかってくれそうな気がしたんです」 進藤は儚さを感じさせる目で望月を見た。 「俺は……家族には散々な目に遭いました。特に母親が嫌いで、そのせいで女がダメなんです。」 昔の自分なら、言わなかっただろう。 誰から話が漏れるかわからない。 よっぽど信頼できる相手か弱みを握っている相手にしかこの話は言わない。 進藤くらいの若造に同情して、自分をさらすなんてしなかった。 「なんとなく、そうじゃないかと思っていたんです。僕も、あまり女性には興味がなくて。彼女のことは人間としては好きですけど、彼女がいないのは普通じゃないよな、と思って、体裁のために付き合っていました。」 「まあ、それでも一緒に住めてますから、いい人に巡り合えば女性も大丈夫になるかもしれませんよ。俺は絶対無理ですけど」 進藤はクスッと笑った。 進藤は、まだ若い。 今、兄と決別すれば、普通に女性と付き合い、家庭を持つことができるかもしれない。 俺みたいに手遅れになる前に。 「あの……」 進藤が何かを話しかけたとき、手元を滑らせてホットワインのグラスが落ちた。 「あ! すみません!」 「あ、いや。こっちのものはいいんですけど、進藤さんのコートにかかっちゃいましたね。赤ワインだから、早くシミ抜きしないと……」 望月は、キッチンから濡れたタオルを持ってきて、進藤の横に座り、そばに置いてあるコートを広げてシミにタオルをあてた。 「望月さん…。」 呼ばれた方を向くと、進藤は望月の首の後ろに手を回してキスをしてきた。

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