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第14話 長谷川との再会
勉強会を始めて2週間目。
進藤は雰囲気が変わっていた。
仕事について望月に相談するようになり、勉強の成果もあってヒアリングの力が高まった。
もともと人懐こい進藤なら、聞き出すこと自体は造作もない。
”的確に”聞き出せるかなのだ。
ヒアリングがきちんとしていれば、自然と提案内容は良くなる。
望月自身も何件が同行訪問をしたし、進藤が気になる先輩社員にも見学の機会を設けた。
技やスキルを盗むということではない。
他の社員とつながりを持ってほしかったのだ。
仮に、進藤がこの会社で勤めあげることがないにしても、今の会社に対する傍観者的な態度のままでは社会人として遅れをとる。
それではせっかくのキャラクターがもったいない。
人事採用の見る目も節穴ではないのだ。
大手企業の狭き門をくぐるだけのポテンシャルが進藤にはある。
もし、転職するとしても、そこでそれを引き出してくれる上司がいるとは限らない。
自分で自分を高めていくメンタリティだけは身につけさせたかった。
「進藤くん、かなり変わりましたね! たった1週間程度で、さすが望月さん!」
個人主義の根源はこの痩せメガネ課長だが、彼ばかりを責めるのは酷な話だ。
成績がいい営業マンが、人の世話までうまいとは限らない。
この痩せメガネだって、こんな風に進藤の変化を察するくらいわかっている人なのだ。
♢♢♢
いつの間に人材なんて、偉そうな言葉を使うようになったのか。
そんなことを思い出してると、メッセージが入った。
長谷川徹
自分が、進藤の歳の頃に営業を教えてくれた先輩だ。
今の自分と進藤と同じ12歳、年の差があった。
今は本社の営業部長をしている。
来週の月曜日に出張でこちらに来る予定だから会えないか、という内容だった。
もちろんOKした。
進藤には、次の月曜日の勉強会を無しにするようお願いした。
長谷川とは数年ぶりの再会だ。
久々に楽しく飲めそうだと思った。
♢♢♢
駅で待ち合わせをしていると、改札から長谷川が出てきた。
「お互い、ちゃんと歳をとるものだな」
長谷川が笑って言う。
「それはそうでしょう。長谷川さん、心労が顔に出てますよ。本社の営業部長で気楽にやってる人なんていないでしょうけど」
望月も自然と笑顔が出た。
望月がこんな風に笑える相手は限られている。
長谷川は50歳だが、当時と変わらず溌剌としていた。
「仕事はね、1人でやってるわけじゃないから何とかなるんだけど、息子が大学受験でね。そっちが大変というか。俺が心配してもしょうがないんだけど」
そんな話をしながら居酒屋に入った。
まずはビールから。
さっさと飲み終わって、早速日本酒に入った。
冬の始まりで肌寒い。
熱燗にした。
「君の後輩になりそうだよ、無事に受かれば」
「それは嬉しいですね。きっと大丈夫ですよ」
「今時は受験の仕方も手続きも複雑なんだよな。ビックリしたよ。全部妻がやってくれてるから、ありがたいことだけど、早く受験なんて終わってほしいな。平穏な日々が恋しいよ」
長谷川はつまみのほっけをつついた。
「そんなに大変なんですか? 長谷川さんの息子さんなら優秀でしょう?」
「うーん、なんというか、予備校の煽りがね。妻が不安になってしまって。自分の時はもっと適当にやってた気がするんだが」
「あちらも商売ですからね。不安産業ですよ」
「まあ、そうだよな。わかっていてもいざとなると巻き込まれるもんだなぁ」
長谷川は日本酒を口にした。
「ところで、お前も随分がんばってるじゃないか。再興請負人なんて呼ばれて」
「その通称、恥ずかしいんですよね。自分で名乗ってるわけじゃないのに。まあ、最初は嫌がられましたが、今は仕事を丸投げされるくらいには受け入れるようになりました。今は、資格試験合格に向けて、若者に勉強を教えてましたよ」
望月は笑った。
「はは。随分細かい仕事までやってるね。まあ、君の雰囲気なら若者も接しやすいだろうし」
長谷川は望月をチラッと見た。
「結婚する気も彼女作る気もないのは変わらずか?」
望月は長谷川に酒をついだ。
「当たり前じゃないですか。俺はもう女という生物とは決別したんです」
「そうか。歳をとると、人肌恋しい気持ちにもなるんじゃないかと思ってな。お前は友達もいないタイプだろ? 心配なんだよ。親心だ」
そう言って長谷川は笑った。
「たしかに、友達もいないですね。みんな転勤族でバラバラだし、結婚してますから。まあ、いいんです、俺は会社の働き蜂で、社会の貴重な労働力の歯車として生きていきますよ。俺ががんばって会社に貢献すれば、間接的にでも長谷川さんの力になれるでしょ?」
望月は長谷川の方に身を乗り出して微笑んだ。
「相変わらず頼もしいな」
長谷川は目尻にしわをよせて笑った。
♢♢♢
望月が20代前半の頃、長谷川はトップセールスマンであり、若手育成担当をしていた。
長谷川は休日ともなれば、その地域の名所や有名店に若手たちを連れ出した。
ぐだぐだと人の家で飲み明かすこともあった。
勉強ではわからない、地元の誇り、人の気持ち、人と人の縁の不思議さを体験させることが目的だったようだ。
ある日、望月のマンションで、長谷川と、望月を含む若手3人と飲んだ。
2人は先に帰り、長谷川は一服したら帰るということでベランダに出た。
望月も、当時はタバコを吸っていたので、一緒にベランダに出た。
月の綺麗な夜だった。
「彼女は作らないのか?」
「そうですね、仕事に専念したいので」
「お前は仕事一筋になりすぎるから、彼女がいた方がいいと思うけど」
「女って、面倒臭くないですか? 自分の時間も取られるし。大して興味のないところにもついて行かなきゃいけないし」
「人によるんじゃないのか? 趣味が合う子を選べばいいだろ」
「俺にはみんな同じに見えます」
「興味なさすぎだろ。もしかして、男が好きなのか?」
長谷川にだったら、話してもいいかなと思った。
「俺の母親が最悪だったんです。兄が問題児で引きこもり、父は大企業の幹部で家庭に無関心。母親は兄のことでノイローゼになって、唯一まともな俺に依存しました。過干渉に束縛。拒絶すればヒステリーを起こして自殺未遂。俺は、ずっと母を子守をしなきゃいけませんでした」
長谷川は煙を吐きながら黙って聞いていた。
「何回か母親の相手をするはめになって、気持ち悪かったです。ただのぶよぶよな脂肪の塊ですよ。何より臭いんです。体臭も、化粧品の臭いも、香水の臭いも、臭くて仕方ない。大学時代、彼女もできましたけど、若ければいいというものじゃなかったみたいで。俺は女とセックスは無理なんだってわかって別れました。俺は、女の体も中身もダメなんです」
長谷川は新しいタバコに火をつけながら言った。
「そんな世界がホントにあるんだな……。今は家族と交流はないのか?」
「ええ、もう縁を切ったようなものですから。いずれ地域職から総合職に切り替えて、全国転勤できるようにしたいです。今どこにいるのかわからない、くらいにしたいですね」
望月は笑って火を消した。
「変なこと聞くけどさ、男とは寝れるの?」
「案外大丈夫でしたね。大学時代、バイトの店長に迫られて付き合ってみたんです。その後、他のバイトと仲良くしすぎてるとかなんとか言って、束縛してきたんで、怖くなって辞めましたけど」
「束縛されやすい体質なんだな」
「なんなんでしょうね」
「でも、何かわかるよ。お前のことは、何か気になるんだよな。フラッとどこかに行ったまま、ずっと帰ってこないような気がするんだよ」
長谷川は煙を吐きながら言った。
「もしかして、遠回しに俺に告白してますか? いいですよ、俺は長谷川さんのこと好きですから。抱きたくなったらいつでも声かけてください」
酔いもあったし、カミングアウトした高揚感もあって、生意気なことを言った。
長谷川は静かに笑っていた。
そして数日後、二人で飲みに行った流れで関係をもった。
長谷川は、頭が良くて、かっこ良くて、エロくて最高だった。
望月にとって、長谷川とのセックスはスポーツみたいなものだった。
愛だの恋だの、面倒なものはない。
気持ちいいことを、楽しくするだけだ。
ただ、長谷川に憧れて好きだったのは本当だった。
♢♢♢
長谷川を見送るため、駅までついて行った。
「何もしないで帰るなんて。期待してたのに」
「お前もね、50歳になればわかるよ」
長谷川はあの頃と変わらない、笑顔を見せた。
「体に気をつけてな」
「そっちこそ」
「薫……」
「なんですか?」
「俺はいつまでも、お前を応援してるからな」
長谷川はまっすぐに望月の目を見た。
長谷川のかっこよさは、あの頃と全然変わらない。
「……また、会いに来てくださいね」
長谷川の男らしい背中が、見えなくなるまで見送った。
今日のことはたまたま近くに来たから、という言い方だったが、よく聞けばわざわざ俺の様子を見に足を向けてくれたようだった。
生まれ育った家庭を捨て、新しい家庭も持たない俺にとって、長谷川のような存在は自分とこの世を繋ぐ、か細い命綱だ。
今日も、あの日のように月が輝いていた。
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