ー　第一章 那央の片想い　ー カフェレストラン『アンプデモア』。 「小さな恋」という意味のフランス語だ。 昼は限定ランチとスイーツ、夜はカジュアルディナーに気軽にお酒も飲めるオシャレなお店。 お客さんは、ほぼカップルと女性ばかりで、いつも賑わっている。 食事の美味しさや雰囲気もさることながら、ウエイターの橘莉音(たちばなりおん)が女性客をファンにしていた。 整った顔立ち、お店の雰囲気にマッチした優しいオーラ、それでいてなじみのお客さんの好みを覚えていて新しいメニューをおすすめする、デキる男でもあった。 ―――――――――― 橋本那央(はしもとなお)が初めてこのお店に来たのは、高校の終わりの3月。 大学入学が決まり、アパートを契約しに来た時だった。 契約が終わって、大学近くのお店を見てみようと歩いていたときに見つけた。 ブラックボードに書かれたランチカレーに惹かれて店に入った。 店内に入ってみると、花や植物の装飾、ファンシーな置物があってとても可愛らしいお店だった。 お店の雰囲気は好きだったが、店内を見回すと女性客ばかりで、男の那央は気後れした。 入ってしまったら仕方ない。 店には居づらかったので、スイーツを買って持ち帰ることにした。 「いらっしゃいませ。」 橘が他のお客さんの注文をとり終えて、レジに来た。 あまりにカッコよくて、芸能人かと思った。 「あ、あの、このガトーショコラと、タルトを一つずつ…。」 甘いものはそこまで好きじゃなかったけれど、一つだけ買うわけにもいかない。 親への手土産にと思って選んだ。 食べたいカレーも頼まず、食べたいわけでもないスイーツを買う。 自分はそういう気の小さい人間なのだ。 せっかくいいお店を見つけたのに、勝手に自分で残念な思い出にしてしまった。 もう来ないだろうな…と、思っていた時だった。 「もしかして、そこの大学の新入生ですか？」 「え、はい。そうです。」 「不動産会社の袋持ってたんで、もしかしてアパート探ししてるのかと思って。」 「あ…今、契約してきたとこなんです。」 「そうなんですね！いいところが見つかって良かったですね。入学、おめでとうございます。」 橘が優しくほほえんだ。 思いがけない場所での「おめでとう」に那央はドキッとした。 自分にとって、この大学は猛勉強が必要なレベルだった。 親からは何度も進路変更するように言われてケンカもしたし、もう勉強は意地でやったようなものだ。 だから、合格したときは誇張無しで飛び上がるほど嬉しかった。 橘は挨拶程度に言っただろうが、自分にとっては大切な合格を祝ってもらえて嬉しかった。 本当にここの大学生になるんだ…と思えた。 「すみません、急に立ち入ったことを聞いてしまって。私もそこの大学生で、今2年生なんです。だから、なんか同じ大学だったら、嬉しいなと思って、声かけちゃいました。」 これは… 新しい形のナンパなんだろうか。 俺みたいな冴えない奴に、イケメンが優しく話しかけてくれる。 なんだかこそばゆい。 スイーツは丁寧に袋に包まれた。 「お会計は…。」 「あ！あの…。」 橘の会計を遮った。 「ランチカレーも食べていきます…。」 つい、イケメンに課金を決めてしまった。 カレーの注文が入ると、橘の顔がパッと明るくなった。 営業上手だ。 自分の接客でお客さんが注文してくれるなら嬉しいだろう。 「それは良かった！もしかしたら、女性ばかりで、入りづらいのかなと思って…。」 え？そっち？ 「今日からの新メニューのカレーなんですけど。本当に美味しいんです。せっかくだから一度は食べてほしくて。」 売上じゃなくて、俺がカレーを食べることに喜んでくれたのだ。 自分の発想の卑しさが恥ずかしくなった。 橘は奥の席に通してくれた。 男一人でも気兼ねなくいれるように気を遣ってくれたのだ。 カレーは、話通り美味しかった。 ただ、カレーの美味しさよりも、橘とのちょっとした会話の温かさの方が思い出深かった。 橘が料理を運んでいる姿は、お店の雰囲気と相まって絵になっていた。 カレーを食べ終えても、那央はしばらくその様子をボーッと見つめていた。