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第8話 再会
居酒屋に現れた橘は、少しやつれたようだった。
以前の艶やかな感じは薄れ、働く男の逞しさが出ていた。
「大学忙しい?」
「まあ、1年の時よりは。でも、先輩の忙しさに比べたら全然。」
「あ、このドレッシング、ちょっと生姜が強いよ。食べれる?」
好き嫌いまで、ちゃんと覚えてくれている。
「食べられるようになったんです。ゼミの飲み会で鍛えられて。」
そう答えて、得意げに食べてみせる。
「そっか。大人になったね。」
と言って橘は笑った。
「もしかして、彼女できた?」
急に言われて、少しビールを吹いた。
「えと…まあ、はい、できました。なんでわかったんですか?」
「生姜、食べれるようになってたから。」
「それ、関係あります?」
橘は笑っているが、オレは内心戸惑っていた。
内緒にするつもりはなかったが、話題に出なければ言わなかった…と思う。
「どんな子なの?」
「同じゼミの子で…。」
「告白されたから、付き合ったの?」
「そうですけど…なんで、わかるんですか?」
「あはは。那央はわかりやすいよ。」
「まあ、見た目通りの中身だとは、自覚がありますよ。」
俺はゼミで1番の草食男子だ。
橘のような気遣いもできないし、他の男子みたいに面白いことも言えない。
自分から好きになって告白するようなエネルギーが元々無い。
「彼女の写真ないの?」
「えっと………これです。」
一緒にごはんを食べに行ったときの画像を出した。
「へえ、可愛いね。なんか、二人とも雰囲気似てる。相性がいいと、似てくるっていうよね。」
相性…。
いいんだろうか。
ケンカもしない。
彼女はいつも優しくて明るい。
セックスはそんなにしないけど、あまりあっちも気にしてないみたいだ。
自分もそんなにしたい方じゃない。
相性は、いいのかもしれない。
でも、やっぱり、違う。
「付き合ってどれくらい?」
「3ヶ月です。」
「教育学部じゃ忙しいだろうから、3ヶ月なんて、あっという間だよね。来年は忙しいだろうから、遊ぶなら今のうちにかな。」
「…先輩は…どうなんですか?」
あまり彼女の話はしたくなくて、話の流れをぶった斬ってしまった。
「え?俺?彼女の話?まあ、相変わらずだよ。そもそも最近こっちにいないから…。このまま自分のことばっかやってたら振られちゃうかもね。」
橘は苦笑いした。
先輩には似つかわしくない『振られる』という言葉。
逆に、先輩からは振ることはないんだろうか。
「…先輩は…やりたいことをやると思うんですけど、それで別れちゃったら、それでもいいんですか?」
「そうだなぁ…難しいよね。宇宙開発系の公務員は、狭き門だし、今は民間もあるけど、あまり興味ない人からすれば、何やってるか、わかんないよね。いくら今注目されてるとはいえ、ずっと右肩上がりかはわからないから。彼女は…自分との結婚を考えてるなら、宇宙関係なら公務員、公務員じゃなければ一般的な業界の民間に就職してほしいと思ってるんだ。」
結婚…。
彼女の悪評を聞いていたので、まさか結婚まで考えてるとは思わなかった。
あんなに、ただの噂だと自分に言い聞かせてたのに、オレは何を期待してたんだろう。
それに、橘が結婚のために就職先を迷っていることも意外でもやもやした。
こんなに夢を追ってる人でも、現実の、結婚なんかに左右されてしまうのか。
「彼女にとっては、宇宙なんかより目の前のことだろ、ってことなんだ。まあ、わかるよ。宇宙規模で考えたら、自分の生きている間にできることは限られるから、そんなのにうつつを抜かして、家庭をないがしろにされたら、堪らないよな。」
だからって、橘の夢を摘むのか。
「うちはシングルマザーだったから、俺も家庭は大事にしたいんだ。宇宙事業は今は熱心な変わり者集団が湧き立ってるとこだから、ワークアンドライフバランスなんてないんだよ。だから、彼女の考えていることも、わかるんだ。」
そういうもんなんだろうか。
自分が子どもすぎて、わからないところがあるんだろう。
「まあ、俺の話はそんなもんだよ。」
橘は酒をあおった。
「那央は?」
「俺の方は…なんか、自分、教員目指して、本当に良かったのかな、って。今更、ちゃんと考えずに教育学部入ったことを後悔してるんです。だから、先輩みたいに、好きなことを追ってる人が、羨ましくて。でも、今話を聞いたら、それでも、迷うことがあるんだな…って。」
彼女と付き合ったことも後悔があるが、橘には言いたくなかった。
進路も恋愛も、自分の人生にはこんなに受身なのに、橘の彼女のことや橘の就職の話には噛みついている自分が嫌だった。
「嫌だったら、やめてもいいんじゃない?先生にならなくても、今やってることは無駄じゃないし。アンプデモアの働きぶりみると、他の仕事も充分向いてると思うよ。俺も、迷ってるけど…時がくれば、ジタバタしようがすまいが、自然と決まる気もするんだ。」
「そう…なんですかね。」
「宇宙がね、壮大すぎて、そういう人生観になってきたよ。いいのか、悪いのかはわからないけど。」
橘は届いた料理を取り分けながら言った。
「だから、せっかくこの世に産まれたなら、深刻にならずに、楽しむのが一番かな、って。」
もしそう生きられるなら、俺は先輩ともう一度一年前の生活に戻りたい。
未来に向かうのが、怖い。
分岐が迫ってくる。
みんなどんどん進んで行くのに、俺は何も決められない。
進路も、橘のことも。
そして、どうでもいい方の分岐に入ってしまう。
食べたいカレーを食べずに、食べたくないスイーツを買うのが自分なのだ。
「…先輩は、彼女のどういうところが好きなんですか?」
「そうだなぁ。頑張り屋なとこかな。何でも全力だし、人間関係もね、分け隔てないから…勘違いされるけど、彼女の長所だよ。」
やっぱり、先輩はなんとなく腐れ縁で付き合っているわけじゃなく、ちゃんと彼女を理解して付き合ってるんだ。
自分の立ち入ることができない絆を感じて、余計に凹んだ。
橘は、心配そうに那央を見つめている。
「那央…俺じゃ頼りになんないかもしれないけど、悩んでるなら、気軽に連絡してよ。一旦、遠方に出かけるのは、終わりだから。」
いつまで橘に面倒を見てもらうつもりなんだ、自分は。
お礼を言いつつも、自分の不甲斐なさばかりを感じた。
「あと、これ、誕生日プレゼント。」
差し出されたのは、俺が好きなキャラクターのマグカップだった。
「宇宙科学館とのコラボやってたんだよ!限定ものだから、絶対喜ぶと思って。」
一年前、すっかりハマってしきりにグッズを集めていた。
橘をショップ巡りに付き合わせたのが懐かしく思い出された。
宇宙服を着たキャラクターは相変わらず可愛かった。
「ありがとうございます。可愛すぎて使えないなです。大事に飾りますね。」
橘はあの頃と変わらない優しい微笑みを浮かべていた。
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