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第65話 別荘

「翔優、近々、引っ越そうと思う。藤波家が手放そうとしている別荘にうつろうと思うんだ。」 僕は翔優に写真を見せた。 翔優はソファの向かいに座って、写真を受け取って見た。 「伯母がもっぱら使っていたんだ。料理好きな人で、キッチンが立派でね。パーティができるくらいに広い。だから、2階を住居にして、ここで店をやればいい。」 翔優は驚いたように僕を見た。 「私に……お店なんてできるでしょうか……。」 「家賃分がないんだから、経営的にはかなりイージーモードだよ。」 翔優はいつものごとく、言われた通り店を始めた。 1日、限定3組。 ランチとカフェで、メニューは”シェフにおまかせ”しかない。 辺鄙な場所でかつ森の中なのだ。 シェフは翔優しかいないのだからしょうがない。 黒字だなんだは考えてないようだったが、営業日は予約で一杯になり、常連ができた。 貸切予約も増えて来た。 貸切のときは、坂上や藤波家のシェフが手伝った。 「三人で一緒にいるのが懐かしいな。子どもの頃は箏だったけど、今は料理だなんてね。料理も興味はあったんだけど、試すには時間とお金がさ。だから、いい経験になるよ。ありがとう。」 坂上が言った。 「むさ苦しい男二人の暮らしでは息が詰まるんでね。良かったよ、翔優の社会性が花開いて。」 翔優は相変わらず無口だが、笑うようになった。 さらに、翔優はお客さんのマダムに気に入られて、ボランティアをやったり、チャリティ演奏会に出演している。 彼はやはり儲けよりも奉仕が似合う。 時々、坂上、莉音、那央を呼んでパーティもした。 自分がこんな風に人をもてなす側になるとは思いもよらなかった。 二人は社会人になって、ますます逞しくなっていた。 目の前の若者のおかげで、この国の未来にも希望が持てる。 ―――――――――――― 僕のルーチンは変わらない。 翔優が作ったご飯を食べ、執筆をし、夜は晩酌をしながら本を読む。 きっと、一生こうなのだろう。 莉音には、莉音をモデルに小説を……と言ったが、最初から書く気はなかった。 獅堂とアキさんの人生をそっとしておきたかった。 代わりに、翔優をモデルにした男色小説が何作かできた。 執筆中に、翔優が紅茶と試作のお菓子を持ってくる。 書いている原稿に、翔優が目を落とす。 「前々から思っていたのですが、本のモデルはどれも私ですよね……?」 「ああ、そうだよ。君が変態なおかげで、ネタが尽きない。」 「……お役に立てられれば幸いです。」 翔優は微笑んだ。 きっと翔優も、一生こうして僕のそばにいるのだろう。 翔優が風呂で背中を流してくれるのも変わらない。 翔優がその気にならキスをしてくる。 ようやく、彼は人間らしいキスができるようになった。 店の名前は『メモリア』。 フランス語で、”思い出”。 翔優が大切にしているもので、これからも大切にしたいと思っているのだろう。 -第三章 完-

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